第十二話 束の間の楽園

裏通りに出てしまった。


 買い物に来ていたはずなのにいつの間に迷ったんだろう。特になんの気にも無しに歩いていたら駅に着けるだろうと思い、しばらく歩くこと数十分、はたして目的としていた駅よりだいぶ離れた場所で、別の駅を視界に捉えた。


 土地感の無さか、こういうことは私には多々ある。時間を気にしないため、いつものんびりとなんの気もなしに歩く癖でしょっちゅう迷子になってしまうのだ。


 外は思っていたよりもずっと広い。


 周りの工場は高々と立ち、私を見下ろす。太陽なんていつも雲で隠れてるから目を半開きにすることなく、てっぺんまで見上げられる。


 生暖かい工場からの風、私の服をゆらゆら揺らす。


 駅まで続く道はどんどん高くなる。


 この感じがたまらなく好きだ。


 空気は汚れているけど、私の心の中はなぜかとても澄み切っていた。


「お嬢さん、どちらまで?」


 行き先を言うと改札の人は私をホームに入れてくれる。お金はいらない、彼は趣味でやっているだけだ。


 私がホームに立つと電車はすぐに来た。中に入る。


 電車は新品みたいにぴかぴかで、作られてあまり時間が経っていないようだった。乗客は老夫婦2人だけだ。楽しそうに世間話をしている。


「あら、珍しい。こんな時間に人が乗ってきたわ」


「やあやあお嬢さん、こんにちは」


 二人席だったところを四人席に変えてくれる。


「こんにちは、今日はどちらまで」


「遠くまで買い物さ。今日は天気がいいからね」


「私もなんです、でも途中で道がわからなくなっちゃって」


「まあ、そりゃ大変。大丈夫なのかい?」


「平気です。そう遠くないと思うので」


 二人とは会話が弾んだが、もうそろそろ次の駅に着く時間になった。おばあさんが懐から小さな飴を取り出して私にくれた。


「甘いものは疲れた体に良いんだよ」


 私は二人に別れを言い、電車を降りる。とても大きな階段で、小さな私は転ばないように慎重に一段一段を降りていった。


 工場の煙が私の顔面に当たり、おもわず咳込む。とても高いところまで来た。好奇心が私の不安をすぐ消し去ってくれる。雲一つない青い空にそれらの煙が白い線となって上に上がっていく様を目で追う。


 自由な気持ちになる。



 とても軽快な音楽が聞こえてきたので、音のする方向に目を向けると一人のお兄さんがキーボードを弾いていた。聴いたことがない曲だった。周りでもたくさんの人がお兄さんの演奏を聴いている。音楽が奏でるこの空間は、時間の波と共に流れ、私たちを温かく心地よい気持ちにさせてくれる。


 演奏を終えた彼に私は大きな拍手をした。周りの人も手を叩く。


 お兄さんは大きく頭を下げた。


「とっても良かったです」


「ありがとう、これからも頑張って」


「応援してます」


 最後まで音楽の余韻が頭の中から離れなくて、私はその場でぼうとしていた。さっき演奏していたお兄さんが場所を交代するために移動し始める。不意に目があって小さくお辞儀をした。


「君も聴いてくれてたね、ありがとう」


「はい、良かったです。すごく」


 その人は私がさっき降りた駅まで機材を抱えながら行こうとする。残念ながら反対方向だ。


「君はどこへ行くんだい」


 呟きにも聞こえた彼の言葉に、私は「家に帰るところです」と返した。


「そっか、気をつけてお帰り」


「お兄さんはどちらへ行かれるんですか」


「僕はもうしばらく音楽の旅を続けるよ。こいつと一緒にね」


 そう言って彼は肩から下げていた大きなキーボードをポンと叩いた。それを聞いて私は彼を少し羨ましく思った。


「私も旅に出たいな」


「旅は楽しい。でも時には辛く苦しいこともある。それら全てを含めても旅は良いもんだよ。君もいつか機会があれば旅に出たらいい」


 お兄さんは私がさっき下った階段を登っていく。今度は彼の番なのだ。そして次は誰が登るのだろう、そう思っていたら汚れた服を着たバックパッカーのお姉さんが私の前の現れた。


「今日って何日だっけ」


 そのお姉さんが私に声をかけてくる。道じゃなくて時間を尋ねてくるとは珍しい。外見からはとても普通に見えるのに、変なことを聞いてくる。私は少し不審に思いながらも、今日の日付を答えた。


「やっぱり? だと思ったよ。バス乗ってもタクシー乗ってもタダだし。自分らは趣味でやってるからお代は結構だ、なんて。資本主義国だったら絶対言わないって」


 ぶつぶつ何かを言ったと思ったら、お姉さんは急に私の顔を覗き込んできた。私が固まっていると、お姉さんは急ににっと笑った。


「じゃあ仕事、じゃなかった趣味があるから私は行くよ。日付教えてくれてありがとね」


 おそらく二度と会うことはないけど、そう言ってお姉さんはやっぱりさっきの駅を目指して行った。色んな人がいるんだと思った。


 駅から顔を出した電車は真っ直ぐに次の駅を目指す。私はそれを下から眺めていた。


 もし、私が電車に乗らず、あのまま歩いていたらどうなっていただろう。おじいさん、おばあさん。キーボードのお兄さん。時間を尋ねてきたお姉さん。


 多分出会えなかったいろんな人たち。そう思うとこの駅は私たち同士が出会う機会を与えてくれたということになる。そう思うと少し嬉しくて、私はさっきのおばあさんがくれた飴を口の中で転がした。いちごの甘い味が口いっぱいに広がった。



「ただいま」


 薄暗く埃のかぶった本の束を掻き分け、私は奥の方で、縮こまりながら本を読むその人に声をかけた。相手は難しそうな顔をしながらこれまた難しい本を読んでいる。数秒して私の存在に気づくと、やっと本から顔をあげた。


「おかえり」


「洗剤と歯磨き粉、あと駅前でお弁当も買ってきた。ここに置いといていい?」


「助かるよ」


 重たい腰を「よいこらしょ」とあげ、私が袋に下げたお弁当を受け取る。その様子を見ながら私は呆れたように言った。


「たまには外に出たらいいのに。体を動かさないと」


 そう言うと、相手は私を一瞥し、こう言った。


「動かすさ、たまには」


 少しだけ沈黙が続いた。



 体を動かさない割にはよく食べる。それを目で追っているとものの数分で平らげてしまった。彼は満足したように机の上にあった財布から札を取り出す。


「お弁当ありがとう。お礼にお金をあげよう」


「結構です」


「こういう時はいらなくても貰っておくものだよ。好きなものでも買っておいで」


 私の手のひらに二千円札が置かれる。初めて見た。千円札のような、野口英世や北里柴三郎といった人物写真が載っていない。でもこれもお金なんだ。


 けれどこれだともったいなくて逆に使えないかもしれない。そのことを言うと。


「そうかい、でもそっちの方が本当に欲しいと思ったものに使えるだろう」


 そう言ってその人はけらけらと笑った。


 もっともこの世界だとお金もただの紙切れにすぎない。それを彼は外に出ていないせいで気づいていないのだ。

 


 自分の部屋の電気をつけ、リモコンを操作する。普段はあまりテレビを見ないけど、今日は気まぐれにつけてしまった。なぜかは私にも分からない。


 ニュースが流れる。今日も街は平和でしたとさ。めでたしめでたし。たとえそれが嘘であってもポジティブなことが流れてくると不思議と安心するのだ。鬱屈とした何かが浄化されるのだ。それは犬や猫と触れ合った時でも同じだ。


 外出してたくさん歩いたからか眠気が早くきた。枕を高くして眠れる日は徐々に少なくなっている。不安はないと言ったら嘘になる。悪夢は見るし趣味の話も減ってきた。それでも私たちは束の間の平穏な日常を思う存分楽しむことにしたのだ。



 このまま何の問題もなく、予定通りいくならば、私たちの出発は今週末になりそうだ。荷造りをしておけと指示されていたから部屋の中は少しだけ殺風景。もともと身軽だったからあまり時間はかからないだろう。


 問題があるとすれば・・・・・・。


「ぶぇっくしゅん」


 埃まみれの部屋でまたくしゃみの音がした。どうせ空き家になる部屋なのだからと最小限の掃除しかしていなかったツケがまわってきた。引きこもりは出発するまで部屋から出てこないつもりらしい。


 私が部屋に入ってくるとメガネを傾かせて振り返った。睡眠はこまめに取ってるらしく顔色は良い。たまにいびきが聞こえてくるのが少し迷惑なくらいだ。


「おかえり、みひろ」


「今日はどこにも出かけてません」


「あれ、そうなの?やけに静かだからてっきりどこかへ行ってるのかと」


 私はやっぱりアウトドア派なのだろうか。外に出ないと鬱屈としたものが積もってしまう。それを察知したのか、表情に出ていたのか、向こうは重たそうに立ち上がった。


「わかった。出かけようか」



 前よりも天気がいいとは言えなかったけれど、それでも部屋の中よりは快適だった。程よく温かな気温に涼しい風、散歩日和だといえよう。


 長いこと外に出ていなかった彼の後ろ姿はお爺さんのようだった。それを本人に伝えると案の定けらけらと笑った。


 しばらくは露店巡りやストリートミュージシャンの音楽を聴いたりしていた。私が店員に話しかけたりミュージシャンに拍手を送っている時でも、彼は後ろでニコニコ見守っているだけで何も言わなかった。のどかな時間に浸りながら、私たちは散歩を楽しんだ。


「みひろ」


 ようやく口を開いたのは日が落ち、暗くなりかけた頃だった。どこかで食べて帰るつもりだったので、私は「お腹空きましたか」と聞いた。しかし彼は首を横に振った。


「きみはこの世界を助けたいと思わないのかい」


 音が消えた気がした。さっきまで勢いよく風の音がしていたのに。今はぴたりと止んでいる。周りには私と彼の二人だけしかいなかった。


「こんな平和な世界が無くなるのはもったいないとは思わない?」


「・・・・・・私は正義の味方じゃないので」


 音が戻ったような気がした。心的なものだったのだろうか、風の音はうるさくなるし、人の声も聞こえてくる。


「私が独断でこの世界の運命を変えるのって、烏滸がましいことだと思うんです。たとえ滅んでしまっても、それも含めてのこの世界だと思うから」


「そう、なら予定通り今週末に出発だね」


 そして彼はこれ以上なにも聞いてこなかった。私の考えてることに呆れているのか、世界がどうなっても関係がないと思っているのか。私がこの世界を救わないという決断に何も文句を言わなかった。



 出発する日になってようやく彼はアクティブになった。散らばっていた本の山はきれいに片付けられ、近くのゴミ収集所にまとめて置かれた。


「持っていかなくていいんですか」


「もう全部読んじゃったからね」


 口ではそう言うけれど、彼が世界を跨ぐたびにその世界で買ったものは別の世界になるべく持って行かないようにしているのを知っていた。自分たちの行動が世界に影響するのを防ぐためなのか。地産地消の考えからか。なんなら特に理由もないのかもしれない。


「じゃあ、行こうか」


 そう言って彼、もとい管理者は私の手を取った。旅立ってしまえばこの世界にはもう二度と戻れない。楽しそうな老夫婦、旅を続けるミュージシャン、バックパッカーのお姉さん。彼らの行く末を知らぬまま、消えてしまう。彼らから見れば消えるのは私たちなんだろうけど。


「この世界はどうだった?」


「とても良いところでした」


「・・・・・・そうかい」


 管理者は消えていく私たちの体を見ながらポツリと呟いた。


「次もそうだったらいいね」

 

 

 

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