第十一話 夢と現実

 結局僕と彼女、弥尋の二ヶ月の生活は奇妙にも何のドラマもなく幕を閉じた。彼女は研究所へ戻され、僕はこのことを口外しないという誓約書を書かされた後、解放された。この時間がそのまま進行しているということは本当にこれで僕らの関係は抹消されたことになる。


 曰く、彼女は何度も時間を戻していたらしい。満足しなかったらもう一度時間を巻き戻してやり直し、そうやって自分の納得のいく方向へと進んだらそのまま続行。そんなゲームのセーブアンドロードみたいなことを繰り返していたという。


「特に研究所から抜け出す所で何百回も巻き戻していた」


 そう彼女が言っていたのだから、多分そうなのだろう。残念ながら彼女の証言を立証するのは不可能に近い、なんせ同じように時間を巻き戻せる能力を持っているものが他にいないからだ。


 他にいないといえば管理者と僕との関係も解消された。とんだトラブルメーカーだったが彼はそれなりに僕のことをサポートしてくれていた。というか彼女の身勝手な行動を制御するためにいなくては困る存在だった。


 かくして、ここ二ヶ月僕を悩ませていた超能力者の居候問題は無事に解決したのだ。


 それと同時に何か引っ張られていたものがプツっと切れたような気がした。何か大きな欲求が僕の中で生まれていたはずなのに、それはだんだんと萎んでいく。彼女という指針が無くなってからはすでにそんな抜け殻みたいな僕の身体は反射的に学校へと向かっていた。


 そして僕は何らかの病気をでっち上げ休暇を取ったのだ。今まで品行方正な生活を続けてきた僕にとって衝撃的な行動だった。幸い僕を診てくれた医者は「きっと疲れているのでしょう」と僕に休暇を取らせるべく大袈裟に病状を書いてくれた。それだけ僕の顔に生気がなかったのだろう。


 約束通り、僕は旅に出た。まずは国内からということで北は北海道、南は沖縄まで温泉地を中心に巡る旅。僕がこれまでの人生で見たことのない景色や環境に身を投じ、浸る時間。とても有意義な旅だった。


 長い旅が終わり、帰ってくるまでに数年が経とうとしていた。



「先生」


 なぜかその日、僕は道を歩いていた。長旅を終えて外出癖がついていたのか、特に用事があるわけでもなく、ブラブラしていたのだ。後ろから僕を呼び止める声が聞こえ、振り返ると青年が手を振っている。頭の片隅に残っていた記憶を探ってその青年が木原だと認めると「おお」と小さく声が出た。


「久しぶりですね、お元気でしたか」


「ああ、そっちこそ」


 別に喫茶店に入って話し込むほどでもなかった。僕は先生、彼はその生徒。だから僕の頭の中に「平等」の二文字があったならここですぐにさよならするつもりだった。しかし彼は僕を呼び止めた。


「先生、少しお時間ありますか」


「無さすぎて困る」


「手ぶらでどこに出かけていたんですか?ここら辺だと小洒落た喫茶店とオフィスビルしかありませんけど、どこかでくつろごうとしていたんじゃありません?」


「流石の洞察力だな」


「僕もちょうど暇していたんです。どこか入りましょう」


 断る理由も特になかった。彼はとっくに高校を卒業しているし、僕も教師を休職して久しい。お互い1対1の大人同士だ。


 僕ら二人ともホットコーヒーを頼んだ。寒さがしぶとく残ってこたえていたが、店内に入ると心地よい温度に安心感を貰えた。おまけに熱いコーヒーまで飲めるのだからありがたいこと尽くしだ。


 コーヒーはものの数分で届いた。この速さはギネス級だ、などと冗談を言いながら笑っていたが彼は何か話したそうな雰囲気を漂わせていた。


 僕がコーヒーを飲んでいるのをただ黙って見ているだけで居心地が悪くなった僕は「どうした、何か話があるのか」と尋ねた。


「大和さんのことで聞きたいことがあって」


 久しい名前を聞いて「ああ」と言った。そういえばあの後ゴタゴタしていたせいで詳しい説明をしないまま転校させたことにしていたのだ。


「しばらく僕が預かっていたんだけど、どうやら親戚の海外出張が片付いたらしい、その後すぐに遠出するとなって彼女もついていくと言ったんだ。突然のことでお別れ会もできなくてすまなかったな」


 僕はできるだけ濁しながら答えた。木原は「そうでしたか」と初めてコーヒーに口をつけた。


「それともう一つ気がかりなことがあって・・・・・・一ノ瀬さんのことですが」


 一ノ瀬、ある日突然行方不明になった僕の生徒。記憶から抜け落ちていたわけではないが、こうして話題に上がるのは久しぶりだった。


「捜索願が出されていたいうことなんですが、どうやら調べると戸籍がでたらめだったんです。全部」


「どういうことだ」


「先生もご存知ではない?」


 少しだけ店内の温度が高いらしい。ホットではなくアイスにすればよかった。熱さで湯気が出ているコーヒーをちびちび飲み始める。


「てっきり何か知っているのではと思っていたのですが」


 そう、これでいいのだ。これで僕の平穏な時間が手に入るのだから。


 3月もそろそろ終わる。始まりの季節がもうすぐ迫ってきている。僕は少しだけ浮かれていた。こんなところでボロを出すわけにはいかない。


 事実、僕はここにいる。こうして教え子と偶然再会したとしても平然としていられる。何の問題もないじゃないか。


 全てが終わった後の僕に何の抜かりもなかった。だからこれだけ平静でいられるのだ。


「まずいことになりましたね」


 しかし木原はニコニコ笑っていた。ポーカーフェイスには自信のあった僕とは違って彼は表情を表に出しやすい性質らしい。しかし、その違和感はさすがの僕でも表情を崩しかねなかった。明らかに動揺していたからだ。


「どうした、何がおかしい?」


「いや別に」


 しかし木原のその態度が気に食わなかった僕は「何かあるのなら話せ」と彼の顔を睨みつけた。


 ひとしきり笑った後、木原は言った。


「だって、大和さんも一ノ瀬さんもこの世に存在しないんですから」



 小さい頃から旅に出たかった。でもそれを行動に移すのが難しくて、億劫で、気づいたときには30を超えて、責任を持たされて、見かけ社会人をさせられていた。


 しかしそんな夢も叶えてしまえば大したことは無かった。大いなる偉業を成し遂げた学者とまではいかなくとも、それなりに達成感はあるものだと思っていた。


 だから僕はそんな世界に絶望してしまったのだ。


 なぜか心の片隅にいたのが木原だった。真面目で優等生だった彼の性質が僕の目には奇妙に映っていた。クラスメイトとも適度に接しながらも、自分の腹の内を探られまいと一線を引いている。そんな彼の「人となり」がよく分からないままだった。


 久しぶりだな、という言葉は本心から出た言葉だった。そして笑っている彼を見て「何がおかしい」と言ったのもやはり本心だった。


 彼の本心は何だったのだろう。


 そんなことを考えていたら、超能力も行方不明の生徒のこともどうでも良くなってしまっていた。これが当たり前だと、崩れかけそうになっている常識は簡単に捻じ曲げられる。それが普通であり現実だと納得させられる。いちいち考えていられない。


 現実に直面した僕は満足してぐっすりと眠りへ落ちていった。

 


 僕の車と、その荷台に載せていた二人の遺体が発見されたのは二週間後のことである。


 桜が満開だった。

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