第九話 ホワイトデーの議論
議論は白熱していた。
各々の意見で食い違った時はよくこういう光景を目にすることができる。ただ僕ら大人のやる議論と違うのは彼らの意見が四方八方でまとまらないところにあった。本来まとめ役というのは学級委員の仕事であった。しかしその日、学級委員である木原と一ノ瀬はなんと両名とも欠席するという異例な状況であり、クラス内はこれまで以上にばらつきを見せていたのだ。
クラス担任である僕は彼らの戦いに加わることなく傍観していた。特に面白みもない、かといってここで僕が加わってまとめてしまうのもどうなのか。彼らの自主性を伸ばすやらなんとやら、そんな言い訳じみた理由を述べるつもりもないが本人らが一番つまらないだろう。
担任ですら蚊帳の外なのだこういう時は。
3月、そろそろ3学期も大詰め、3年の卒業式が終わって在校生も間近に迫る春休みに浮かれている中、この議論が起こったのにはとある問題が発生したからである。
3月14日。そうホワイトデーのことだった。
「バレンタインデーでお菓子を貰ったのにホワイトデーに返さないのは言語道断」
「見返り求めてくるのが嫌」
「そもそもお菓子をくれるのは厚意によるものだろ」
「好意なんかねえよ」
「あーもう!ホワイトデーまで学校があるのが悪いんだ!」
おい、最後のやつだけは聞き捨てならんぞ。
それにしても彼らはなんとも贅沢なことを言っている。僕が学生だった頃なんてそもそもバレンタインでお菓子を貰ったことすらない。いや、あるか?貰っていれば絶対忘れないはずなんだが。
しかしこれに対して怒ってるのは別にお菓子を渡した女子側だけの問題でもなさそうだった。
「お前こそ何張り切ってお菓子用意してきてるんだよ」
「今日くらいいいだろ、お菓子作るの趣味なんだよ」
「そうやって女子から人気得ようとしてるのキモすぎ」
「自分が用意してこなかったからって用意してきた人のこと悪く言うの違くない?」
この議論は最初こそ僕にホームルームの時間にクラスで話し合いたいことがあると言ってきた数名の意思を汲んで設けたものだった。しかしすでに議論は30分を過ぎており、今や言い合いの喧嘩状態である。流石にこれ以上長引けば、下校時刻が遅れてしまうかもしれない。部活に行きたいものもいるだろうし、そろそろここで切り上げようかと立ち上がった瞬間、すっと手を挙げる生徒がいた。
「どうした大和。トイレか」
「大和さんも何か言ってやってよこいつらに」
「・・・・・・今日私、誕生日なんだ」
さっきまでの騒がしさはどこへやら、教室がシンと静まり返る。
「お菓子じゃなくていいから。一言おめでとうって言ってくれるだけでもダメかな」
「あ、いやそれは・・・・・・おめでとう」
「知らなかった・・・・・・おめでとう」
「ありがとう。私はそれで十分嬉しいから。もう下校時刻だし帰っていいよね。先生」
急に話を振られ、思わず「そうだな」と言ってしまう。
「議論は結構だが時間がある。今日これ以上皆を拘束できない。以上。部活あるやつは速やかに行くように」
文句を言う人もいたがそれ以上に早く解放されたい人の数が多かったようで、僕の議論終了宣言によって生徒は散り散りになっていった。
僕はというと、放課後の職員室で部活から帰ってくる各々の顧問からの苦言だけが気がかりだった。
「イメージダウンはもうどうしようもない」
「善行を増やしたところで結局彼らは同胞の悪さばかりに目を向けるだろう」
「最近はゴミ漁りをやめたというのに、このあいだ出会っただけで目の敵のように追い払われた」
「やってたのか・・・・・・ゴミ漁り」
ガァガァとうるさい議論がこちらでも行われていた。カラスの声が聞こえるようになってから、彼らもこうして議論しているのを知って最初こそ関心を持てたが、今ではただ鬱陶しいだけになっている。
「おや、先生。お帰りですかい」
「先生様、お帰りなさい。遅くまでお疲れ様です」
「先生、今日もお勤めご苦労様でした」
そうやって労ってくれるのは大変嬉しい。しかし。
「一つ言っていいかな。ここは今も僕の家なんだ。君たちの集まり場ではない」
弥尋は彼らの話を余所にスマホをいじっている。きっと今日の教室での異例な発言もカラスの言い合いを散々聞かされていたせいで一層うんざりしていたのだろう。
「弥尋、カラスたちをどこかへやってくれないか。君の能力があれば造作もないだろう」
弥尋はゆっくり起き上がって僕の後ろにある冷蔵庫の蓋を開けた。僕の買った覚えのない緑茶が取り出され、グラスに注がれる。僕が返事を待っている間を察してポツリと呟いた。
「動物には催眠が効かないから・・・・・・」
緑茶を飲みながら、弥尋は愚痴をこぼす。
「なんか疲れた」
「今日誕生日なんだってな。おめでとう」
「ウソに決まってるじゃん」
「え、嘘?」
「あの喧嘩を早く終わらせたかったから」
喧嘩って、一応彼らも最初は議論のつもりで始めていたのに。それにあの言葉を鵜呑みにしてせっかく帰りに誕生日ケーキも買ってきたのに。しかしそれも織り込み済みだったのか、弥尋は表情を緩める。
「ケーキは食べる。ホワイトデーだから」
「別に生クリームの白さってわけではないんだが」
「何か口実がないとケーキなんて食べないでしょう」
「それもまあそうか」
とにかくその日は僕も疲れていた。案の定顧問の先生からは苦言を浴びせられ小さくなっていたし、その後異例にもホワイトデーのお菓子の件で職員会議になってしまったし、そのせいで帰宅も遅くなったし。甘いものでも食べてリフレッシュしなければやってられなかった。
「お菓子でのトラブルが多いから今後は学校にお菓子を持ち込んではいけないということになった」
「・・・・・・それはそれでつまんないね」
「つまんないのは僕らも同じさ。でもトラブルになったらそれはそれで面倒なんだ」
「面倒ごとのタネを消しただけで、あの問題は何も解決してないけど」
「あの問題?」
「バレンタインでお菓子を貰ったらホワイトデーに返すべきかどうか。お菓子を学校に持ち込めなくしたところで何も解決してないと思う」
「それは、まあそうだけど」
「学校じゃなくても近くにショッピングモールとかカラオケ屋とか色々渡す場所もあるし、そこで揉めるだけだと思う」
「・・・・・・そうだな。けど僕らがこの問題にあれこれ突っ込んだところで、周りが納得しなければ意味がないからな。悩んでも仕方ないこともあるんだよ世の中には」
「・・・・・・私なら意味あると思う」
ケーキと緑茶の組み合わせは割と合うことに気づいた。王道のイチゴのショートケーキだが、このいちごと生クリームの甘さと緑茶の苦みは非常に調和されている。そもそも抹茶ケーキなどもあることからケーキの甘みと茶の苦みは相性が良いことは予想しやすかった。
「見返りを求める人間と、見返りを求めていない人間。厚意でお返しする人間と、返す必要がないと考える人間。どっちが良くてどっちが悪いか。白黒つけよう」
「白黒つけるったって・・・・・・モラルの問題じゃないかな」
「モラル・・・・・・」
前を見ると彼女のケーキはまだ全然減っていなかった。議論に集中したいのかあまりお腹が空いていないのか。まあ間違いなく前者だろう。
「思いやりだよ。そもそもお菓子を渡すってこと自体が思いやりの一つなんだ。でも相手がお菓子をくれるのは当然のことだと思っていたら渡した側はムカつくだろうな」
「ムカつくんだ」
弥尋は笑った。おかしいところはなかったはずだが。
「だからホワイトデーでもお返ししない。思いやりを当たり前だと思っているから。面倒だから。お菓子を渡した女の子たちもお返ししないこと自体に怒ってるわけではなくて、彼らの思いが透けて見えるから怒ってるんだと思うよ」
「先生の立場からだとそう見えるんだ」
カラスたちがゾロゾロと集まってきた。ショートケーキの包み紙を狙っている。荒らされるのは勘弁だからさりげなくカラスからそれらを遠ざけた。目当てが離れていったことで手持ち無沙汰になったカラスは口を開ける。
「先生、お困りですね」
「そっちの話は済んだのか」
「ええ済みましたとも。お騒がせして済みませんでした」
「済んだのに済まないのか」
「言葉遊びはやめてください。それより先生、何か困っていらっしゃいますね。私たちも混ざってよろしいでしょうか」
「カラスにも分かるのか?この問題が」
「分かりますとも、思いやりの『程度』の話です。熱量に差があってはトラブルに発展するのもそうおかしくない話です。お菓子だけに」
「言葉遊びはやめるんじゃなかったのか」
「鳥頭なので、言ったことは忘れてしまうのです」
「なるほど、確かにカラスは鳥だったな」
弥尋はため息をついた。くだらない掛け合いはもううんざりしているのだろう。彼女が真剣に解決策を探っているのにそれをはぐらかす僕らはカラスの言う『熱量』の差があるからなのだと気づいた。
「話が逸れました。この問題はカラスの間でもしばしば見られることです。主に食料の取り合いで起こります」
鳥だけに取り合いかと、僕は心の中で思うに留めていたが、心まで見透かせる弥尋はわざとらしく舌打ちを打った。思わず頭を真っ白にした。
「ナワバリのおかげでその食料は全て我々同胞たちの取り分になるのですが、その中でもお腹がいっぱいのものやお腹を空かせているものがいますよね。そこでお腹を空かせているものに優先して食料を配るわけです。これは思いやりですね」
「うん」
「でもその次の日、お腹を空かせていたものがお腹がいっぱいのものと同じだけの食料が与えられた時にどう思うでしょうか。昨日はお腹が空いているものに多めに与えられたのにどうして今日はみんな同じなんだと文句が出てきますよね」
「そうだな」
「だから私が思うに・・・・・・」
「ホワイトデーはお返しするべき。と」
弥尋は突然そう結論づけようとした。しかしカラスは首を横に振る。
「いえ、思いやりを持たないことです」
「どうして」
「最初から全員平等に配っていればこんな揉め事は起きませんでした。どんな状況でも平等でいれば思いやりなど持たずとも関係はスムーズに進行できるのです」
「つまりバレンタインのお菓子はそもそも渡すな、と」
「我々の考えを反映させるならそういうことになります」
「そういうことにはならない」
弥尋は髪の毛を逆立たせた。猫みたいだと思ったがこれが能力を発動させる前兆なのは明らかだった。
「結局能力に頼るしかないのか」
「能力万歳!」
「私利私欲のために能力を使う。卑怯の二文字はあなたのためにあるのかもしれませんね」
「カラスもずる賢い生き物だって常々思ってるけど」
カラスたちの罵詈雑言も虚しく、能力は遂行されたらしいが、何も起こらない。既にホワイトデーは終わっているからだ。また来年、3月14日にならないと答え合わせはできない。
だが一年もすればそもそもこんなくだらないことで悩んでたことすら忘れてしまうだろう。僕はそもそも学校にお菓子を持ってくることについて教師の立場としても寛容である。
どこまでいじられたのか分からないまま、来年を迎えることについてそんなに危機感も無ければどうでも良いことのようにも思えた。それぐらい最近僕の身の回りで起きている事件はより深刻になっているのだ。
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