第八話 羽を伸ばす

 カラスの群れは少女を取り囲むようにして居座っていた。道を歩くものはその光景にギョッとしながらも声をかけるほどのトラブルだとも思えず、触らぬ神に祟りなしといった具合に避けるように歩いていった。


 少女は膝を曲げながら取り囲むカラスの群れの中でぶつぶつと何かを呟いている。本当に小さな音量で、離れた場所からは何を話しているのか聞き取ることができない。


 僕は見回りという先生の立場を利用して彼女の観察を行なっていた。ある意味ストーカーのようだが生徒と先生という関係がそれを緩和してくれるものだろうと社会的な危険はないと楽観していた。


 彼女をつける理由、それは最近の彼女の様子がおかしいからである。授業中でもそうだが彼女の真意が読み取れないまま放置していたツケが回ってきたといってもいい。もう少しコミュニケーションを取っていればこんな疑念も払拭できていたのかと思うと後悔の念が押し寄せる。


 やがて彼女は立ち上がり、カラスの輪の中から抜けていった。カラスはその動きを邪魔することもなくすんなり道を作って彼女を通した。どうやらカラスから嫌がらせを受けていたというわけではないらしい。


 思っていたよりも早い速度で歩き出したのを見て僕は慌てて彼女の後を追った。


 

 学校の近所にある娯楽施設、真っ先に思い当たるのはショッピングモールである。この中には本屋はもちろんゲームセンター、映画館、フードコートといった学生たちの溜まり場に最適な場所がいくつもあった。教職員はもちろん、補導員もよくチェックしに回る場所となっている。しかし学生たちもそんなことは知っているはずで、最近はあまり見かけない。うまく大人たちの目を掻い潜っているのか、他の溜まり場を見つけて移動したかは分からない。


 彼女もその例に漏れず、真っ直ぐにフードコートへ向かっていった。スマートフォンを操作しながらファストフード店の前に立つ。じっとしているのでメニューに悩んでいるのかと思っていたら、やがて店員が番号を読み上げた。彼女は先ほど操作していたスマートフォンの画面を店員に見せ、トレイを受け取っている。なるほど、スマホですでに注文していたのか。僕らのようなおじさんはこういうシステムを理解するのが遅い。教師という仕事をしていると若者と接する機会が多い分、その差を思い知らされる。


 彼女は一人席に着くとトレイの上にあったハンバーガーの包み紙を解いて黙々と食べ始めた。僕はその光景を眺めながら彼女がこういうファストフードを食べるのは意外だなと思った。数分後彼女はバーガーを食べ終わり立ち上がった。もっとゆっくりしていけばいいのに、僕はまたも慌てて彼女を追った。


 僕は何とか彼女と話をする口実を探していた。フードコートで食事をするというのは先生の立場を使ったとしても注意しにくい。偶然を装って声をかけたとしても気持ち悪がられることだろう。ゲームセンターで遊ぶとか映画を見るとか、何かもっと校則違反なことを起こさないか、アラを探すように彼女の行動を注視していた。しかし彼女はそのまま足早にショッピングモールを出ていってしまった。


 外はすっかり暗くなっていた。建物の中にいるとこの時間変化に気づきにくい。外の寒さにショッピングモールの中にいた頃の暖かさが恋しくなる。


 いや待てよ、と、この真っ暗な空を見て気付いた。夜ということは暗いから早く帰れと彼女に話しかけることができるのではないか。それなら先生という立場を利用して彼女と接近しても彼女は気分を害さないだろう。


 しめたとばかりに僕は彼女との距離を詰めていく。そして話しかけられるほどの距離になったところで偶然を装ったふうに「お、大和じゃないか」と声をかけた。僕の声が聞こえたらしく彼女は振り返る。


「もう暗いぞ、早く帰れよ」


 そう言うと無表情だった彼女はくしゃっと笑みをこぼした。彼女が感情を表に出すのを見たのは初めてだった。


「やっと話しかけてくれましたね、先生」


「ん?」


「先生が私のあとをついてきてるの、知ってましたよ」


 目の前の景色が固まったような気がした。しかし固まったのは僕のほうだと気づくと、それを溶かすために必死に弁解をする。


「あー、いやいや・・・・・・俺もここで飯にしようと思ってたまたま同じ方向だったんだ。ずっとついてきてるって思われたくなくてつい偶然を装ってしまった。だからついてきてると思わせてしまったかもしれんな、すまんすまん」


「焦ってる。かわいい」


 彼女は僕に近づいてくる。てっきり僕は彼女が怯えるのではないかと思っていたが、その予想とは全く逆の反応に僕が驚かされることになった。彼女は今の状況を楽しんでいるようなそんな笑みを浮かべていた。


「白石先生って私のこと好きなんでしょう」


「な、何をいって」


「先生、授業中何回も私に視線向けてくるし、興味あるの丸わかり」


「それはお前がその、いつも遅刻してくる問題児だからな」


 僕が言ったことに面食らったのか、しばし黙りこんだ彼女に冷や汗を流していた僕はようやく一息つけた。なんとかやり過ごせるかと期待したからだ。しかし彼女の調子が戻ったのを見て、僕の心に再び緊張が走った。


「あ、そうか。みんな気にしてないから忘れてた。『先生には』催眠かけてなかったんだった」


「ん、んん?」


「面白いなーって思ってそのままにしてました。白石先生だけ」


「どういうことだ?」


「白石先生以外のほとんどの人は何も違和感を持たないんですよ。私がいくら変な行動を起こしても。遅刻しても動物と話をしてても、それに・・・・・・」


 汗でべったりとした手を握られる。ショッピングモールを出入りする人の波の中、僕は彼女から逃げることはできないと確信した。


「仮に私がここで悲鳴をあげても助けてくれる人はいません。みんな『そういうものだ』と思っているので」


 手を彼女の胸に当てられる。手首の脈を押さえられた状態で、彼女は僕に言った。


「だから先生は『先生』をしなくてもいいんです」


 周りの人は僕らの行動を気にすることもなく『そういうものだ』と認識している。僕のなけなしの理性がみるみる崩れていくのを感じた。



 彼女が能力者だということに気づくべきだった。思えばいくらでも気づく機会はあったはずだ。誰も彼女の遅刻を咎めない、カラスに囲まれても動じない。奇怪な出来事は能力者であれば辻褄が合うものばかりだ。


「大和は・・・・・・将来何をしたい」


 今更「教師」をしたところで何の意味もないことは分かっていた。補導なんてもってのほか、捜索願を出されていてもおかしくないくらいの時間、彼女を拘束したからだ。


 しかし彼女のこれまでの行動からは単純に遊びたいからという理由で能力を使うには些か規模が小さいようにも思えた。もしかしたら僕にも催眠をかけられていて「かつての常識」からかけ離れた生活を送っているのかもしれないとも思ったが、彼女は「そうですね」とわざとらしく神妙な顔を作って答えた。


「旅がしたいです」


「旅、か。どこに行きたいんだ」


「色々見て、食べて、知る。それじゃあダメでしょうか」


「ダメではないが漠然としすぎていてよく分からん」


 僕の感想が気に入らないのか、彼女は眉を寄せた。そして彼女は僕に抱きついてきた。しばらく布団の中にいたおかげで生身の身体は温かい。


「抱き合うと温かい気持ちになれるってクラスの人から聞いたんですけど、実際よく分かりません」


「家族は?米原の親戚だったよな」


 そう言うと大和は吹き出した。「鈍すぎますって」と言わんばかりに彼女は僕の背中に腕を回しながら頭を寄せる。


「デタラメに決まってるじゃないですか、私はあの人を利用しているだけにすぎません。それに全く似てないし」


 余計背景が見えなくなり話すことが思いつかなくなった僕に、今度は彼女から話しかけてくれた。


「どう生きるか何がしたいか、なんてみんな漠然としたものだと思うんです。ただ生きていくだけじゃ味気ないから、そんな理想を振りまいて生きる意味を与えてるだけ。何かを成し遂げたい、大金持ちになりたい、好きな人と死ぬまで一緒にいたい。それができて何になるんですか。死んだら全部消えてしまうのに」


「・・・・・・でもお前はさっき旅に出たいと言っていたよな」


「強いて言うならそうです。だからそれができなくても、自由に生きられなくても『そういうものなんだ』と割り切れるんです」


 そう言うとしばらく黙って苦虫を噛み締めたような顔をした。嫌なことを思い出したかのようにその表情はなかなか戻らない。


「私は能力者。でも神様じゃない。身の程はわきまえてるんです。能力を使ってこの世界を変えてやるみたいな野望なんてありません。それをすることに興味がないから。ただ・・・・・・」


 黒い靄が張れたかのように、吹っ切れたような表情は僕に向けたものではないことは明らかだった。


「今は『羽を伸ばす』を学んでいるところなので。それを邪魔されるのは気に入らないかもしれません」



 次の日の朝、僕が起きた頃にはすでに彼女の姿がなかった。一緒に歩いていても僕らの関係を怪しむ人なんていないから別々に出ていく必要もないのだが、僕は複雑な気持ちでベッドから起き上がった。


 夢のような時間は覚めたようで覚め切っていない。この後僕は仕事に戻らねばならない。もし僕が彼女のような能力が使えたら遅刻し放題、なんなら休みたい放題なのにと、邪な考えが頭を掠めた。


 朝の静けさに寂しさを催しテレビをつける。独り身を気にしたことはないが、こういう時急に孤独に襲われる。テレビの音はそんな寂しさを和らいでくれるのだ。そういえば昨日は彼女に夢中でニュースを見ていなかったと情報番組を探す。若い女性が楽しげに今日の天気を伝えていた映像から神妙な顔をした男性アナウンサーに切り替わる。


 そしてその時、僕は初めて生徒の一ノ瀬が行方不明になっていることを知った。

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