第五話 転入生
手続きは思いの外スムーズに進んだ。
結局あれから僕は元通りの日常に戻るべく、以前までの生活へと再びシフトしていた。大家さんには手違いがあった旨を話し、またしばらくお世話になることも伝えた。全てが何も問題ないのなら教職を辞する理由も無いからだ。
いや問題はひとつあった。この少女のことである。彼女は身元不明であり社会的に宙に浮いた状態のままだった。その為外を自由に出歩くことも難しい。このまま放置するのもこいつの管理者と名乗る人は満足しないだろう。
『こっちとしては早くこの子の身柄を渡してほしいものなのだが、いかんせんこちらの世界とイツキたちの世界は複雑に絡み合っていて私たちがそちらの世界に赴くのが難しいのだ』
そんなことを管理者は僕の頭の中で話していた。とんだSF話だ。異世界転生でもすればいいっていうのか。
「僕は元の生活に戻るよ。この子はしばらく預かるから、早めに迎えに来てあげて」
『だーかーらー!それができるならそうするって言ってるが!』
怒り方が子供っぽい。もしかすると僕が思っているよりこの管理者は子供なのかもしれない。
『仕方ない、イツキがしばらくここを離れられないというならそれに従うしかない。そもそも『一般人』だからな、イツキは』
「そう、被害者なの僕」
『でもこの子を保護してる責任も持つべきだよね?』
「なぜ」
『頼れるのが君しかいないから。国は敵だから。すまないが頼まれてくれ』
まずは戸籍をどうにかしなければとこの少女に社会的な名前をつけるところから始めた。名前は『β-316』の316からとって「弥尋(みひろ)」、名字は僕の母方の姓「大和」に決めた。そこからは管理者があれやこれや、役人に対して弥尋を介しながら催眠をかけ、無理くりに戸籍登録するよう誘導させた。結果として難なく審査も通過することができた。
「犯罪じゃないかこれ」
『私はこの世界に住んでないから、これが犯罪とは適応されない』
「僕がされるんだよ」
そんなやりとりも、ここ最近では習慣になってしまうのだ。習慣というのは怖い。今までイレギュラーで異質だったものも身体で覚えてしまうと当たり前になってしまう。それを他人が見れば「おかしいよそれ」と止めてくるかもしれない。思い当たる節はいくつかあるけれど、それを無理くりやめさせて関係が悪くなるのも嫌なのでそっとしたほうがいい。触らぬ神に祟りなしだ。
弥尋は既に制服に着替えていた。家にずっと籠っているよりも学校に行かせた方が良いと僕の学校へと転入させることにした。今までずっと研究室生活をしていた子が他の生徒たちと同じ環境で過ごすのは難しいのではと思ったが、管理人曰く「そこは私がサポートする」とのこと。催眠は日を追うごとに体感で分かるようになっていた。僕の思考と管理人の介入が脳内で完全に分離されている、これを催眠免疫という。
『常に同じ人間を強力な催眠で操作させることが難しい』
それは管理人が僕に使う催眠と同じく、僕の催眠効果もこの子が耐性を持ちはじめるかもしれないということだ。ただ本人の意思が弱いのか、管理人が話す言葉をそのまま受け入れているような感じもする。
本人の意思がどうであれ、もしこの状態が長期化するのならこの子に強力な催眠をかけることは極力避けたほうがいいと、最近では弥尋を介した会話は控えて僕の脳内で会話することにした。その結果、僕の意思と管理人の思考は完全に分離され、自我をコントロールできるようになったとも言える。
「米原先生」
そう声をかけてきたのは僕が受け持っているクラスの生徒。名前は木原蓮介。学級委員でムードメーカー的な存在だ。クラスのちょっとした変化にもすぐに気づくため、僕と話をする機会が一番多い。
「机が一人分増えているのですが」
「ああ、僕が用意した」
「どうして」
「転入生が入るからだ」
「え、ほんとですか!?」
隣で僕らのやりとりを見ていた一生徒が会話に加わってくる。彼女は一ノ瀬真。気さくな性格だが一人でいることが多い不思議な子だ。ただクラスメイトとは仲が悪いといったことはなく、悪い噂も聞かない。
「実は僕の遠縁の子で、しばらく家で預かることになったんだ。だから仲良くしてやってくれ」
「なるほど、先生の親戚なんですね。合点がいきました!」
「どう合点がいったんだ」
「転入生が来るとなると普通は事前に噂が立つんですよ。でも今回はそんな情報はなかった。先生の親戚なら噂の出ようが無いわけだと、そう思ったんです!」
「・・・・・・納得していただけてなにより」
こんな感じで少し変わった子だ。そして転入生の話はみるみるクラス中に伝わり僕への質問攻めが始まる。
「男?女?」
「前はどこに住んでたの?」
「頭いいのかな、勉強教えてほしい」
「カラオケ一緒に行きたい」
『想像以上に騒がしいな』
管理人は僕の脳裏でポツリと呟いた。まるで寄生虫みたいに突然現れるからびっくりする。これが今まで僕を無意識に操作していたのだとしたらそれはもう恐怖でしか無い。
『誰が寄生虫だ。しかしここが学校というものか。私の世界ではこんな大勢で授業を受けるということはなかったから新鮮な光景だ』
管理人は僕の目を通して同じ景色を見ているらしい。思考も読まれるわ常に監視されてるわ、やっぱり寄生虫じゃないか。僕は学校にいる間は極力管理人との対話を控えて、「普通」を演じていた。
そして教室の外で待たせている弥尋を呼び出す。クラスの注目を浴びた彼女はまるで何も動じずにペコリと頭を下げた。
「かわいい」
「ちっちゃい」
「髪の毛白くない?」
「先生と全然似てなくてウケる」
ざわつく彼らを制し弥尋に自己紹介するよう命令を出す。彼女はすんなり従った。
「大和です。よろしくお願いします」
パチパチと拍手が起こった。
『疲れた』
僕の頭の中でため息をつくのはやめてもらいたい。放課後になってようやく少し肩の荷が降りたというのに、常に監視されているというイライラが僕にストレスをかけてくる。弥尋は家に戻ったのだろうか、弥尋をサポートしていた時は静かだった管理人が僕の頭の中で暴れ始めた。
『ひっきりなしに話しかけられるってからに。確かにあいつは見た目こそかわいいが、ここまでチヤホヤされるほど面白いやつでも無いだろ』
「彼らは個性的なものに敏感なんだよ」
『育ち盛りだからか。はぁこれだからガキンチョは』
「僕からすれば君も相当ガキンチョだよ」
職員室は放課後でも人の数が少ない。部活の顧問を受け持っている人が多くいて、その先生たちは全員出払っているからだ。僕は担任を受け持っているので部活の顧問は任されていない。今は黙々とテストの採点をしている。今回は案の定全体的に点数が高い。簡単にしすぎたかと思っていたが満点はまだ一人も出ていない。
弥尋の答案にあたった。転入してきたばかりでテストは受けなくても良いと言っていたが受けたらしい。今までこいつが書いた字を見たことはなかったが、初見でものすごく下手な字だと思った。寒さで震えてるようなか細い線で構成された文字列が並んでいる。
だが、その見た目とは裏腹に正答率は驚異の100%だった。頭は良いのか。初めての満点が弥尋だったことに驚きを隠せなかった。まだ木原の答案は見ていないが、トップの成績なのは確実だろう。
『やることと言ったら勉強くらいしかなかったからな。あの子にとっては』
僕の動揺が伝わったのか、管理人がポツリと呟いた。研究室での生活は僕らのような並の生活をしている人とは比べ物にならない制約があるのだろう。それらしい趣味もなく勉強しかすることがないという管理人の言葉は僕に重くのしかかった。
『何度も言うが、あいつは能力者であること以外は何も変わらない、年相応の女の子だからな。無気力状態にさせて何もできなくしたのは研究者が能力の暴走を恐れてあの子に薬を飲ませたからだ』
はいはい、分かっておりますよ。僕は無心で管理人の愚痴を受け流し、答案の採点を続ける。
結局満点だったのは弥尋と木原だけだった。全員分の採点が終わった時にはもう外は真っ暗になっていた。部活の顧問をしていた先生たちがゾロゾロと呼吸荒く帰ってくる。隣の席に座った先生に「お疲れ様です」と声をかけた。「いやぁ、良い運動ですよはは」と満更でもなさそうな表情が返ってくる。
今から帰宅して晩飯の用意をするまで腹はもつだろうか。きっと家では弥尋が腹を空かせていることだろう。
「米原先生はいらっしゃいますか」
聞き慣れた声がする方向を向くと一ノ瀬が手を振っていた。この時間まで残っているのは珍しい。確か彼女は何の部活にも入っていなかったはずだ。
「どうした?もう遅いから早く帰宅しなさい」
「先生こそ早く帰ったほうがいいんじゃないですか?大和さん一人待たせてるんでしょ?」
頭の中はシンとしている。管理人は何も言ってこない。僕は帰る素振りを見せながら「ああ、そうだな」と言った。
「弥尋と仲良くしてくれてありがとう」
そう言えば帰るかと思ったが一ノ瀬はまだ用事は終わってないという風に僕の前に居座り続けている。どうしたのか尋ねると言いにくそうにしながら一つの提案をしてきた。
「先生、もし大和さん一人でお家で待たせてるんだったら私に夕飯を作らせてもらえませんか」
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