第三話 引っ越し

 教師という仕事に就くまで僕という人間はとても不安定な存在だった。特に何かしたいということもなく、ごく普通の生活を送れたらそれだけで十分だと思っていたくらいだ。


 思えば子供の頃から僕は人より卑屈な人間だった。ヒーローものの映画を観ても何の感情も湧かなかったし憧れたりもしなかった。周りの同い年の子がはしゃいでいる時も自分はそれを眺めているだけ、自分もその輪に混ざろうとはならない。そんなことをしていたから友達が少なかったのだ。ただ大人からの評判は良かった。何となく決めた教師という道も、僕が身近にいた教師という大人に対して嫌な思いをしたことがなかったから、なのかもしれない。


 しかし漠然とした明るさを夢見て飛びこんだ教師という道も、蓋を開けてみれば非常に複雑で入り組んだものだった。目の前にいる生徒は小学生のような子供っぽさもなく、かといって社会人のような大人らしさもない、不安定な存在だ。そんな彼らと対等に渡り合うのは非常に難しい。


 いくら論理を並べて指導しても感情で納得されないのだから常に敵対視される。周りには自分と同い年のクラスメイトたち、手軽に多くの賛同を得られて教師にヘイトを向けさせる。僕ら教師は常に孤独。なるほどこれが生徒に向けばいじめになるのか。


 私立渓帆奈学園、そこで僕は教師をしていた。なぜ過去形なのかは辞めたからだ。具体的にいうと半ば強制的な辞職だった。研究室で働かされかけたが、その研究室は一夜にして爆散し、晴れて無職となった。


 そんな夢みたいな話があるか?



「何をしている」


 少女もとい、操縦者は暇そうに訪ねた。僕は荷造りをしていた。引っ越すからだ。教師を続けられなくなった以上、僕はここにいてもしょうがない。何より生徒に僕の姿を見られたくない。職を探すにしてもこの近くではごめんだ。


「米原、一己だ。それが僕の名前」


「ああ、名前・・・・・・イツキと呼べばいいのか」


「好きに呼んでもらって構わない」


「じゃあいっちゃん」


「イツキでいい。お前はなんていう名前だ。その本体の方も気になるが」


 荷造りを終えて、管理人に挨拶しに行くため靴を履く。管理人はこのアパートの一階に住んでいる。老齢のため、部屋を貸し出すのは僕で最後かもしれないと呟いていた。何か差し入れもした方が良いだろうか。


「β-316だ」


「べ、べーたさんいちろく?囚人かなにか?」


「能力者はそもそも名前がない。呼ばれることも少ないし、無くても困らないからな。まあイツキたちとは無関係だから知らなくて当然か」


 リュックを背負い、玄関へ向かう。催眠で少女を連れて来させる。


「管理人に挨拶しに行く。引っ越しだ。ここにいる必要もないからな」


「どうした、仕事もあるだろう」


「辞めたんだよ」


「なぜ」


「研究の手伝いと引き換えに仕事を辞めたんだ」


「なんの仕事をしていた?」


「教師」


「きょうし?」


「勉強を教える人」


「ああ、ラーニングアシスタントのことか」


「なんだその横文字は」


 そういえば、ふと少女の姿を確認する。外出するにしてはかなりマズいのでは。それに三十代のおっさんが隣にいてはもっとヤバいのでは。


「まあマズいだろうな」


「心を読むな」


「研究室の呪縛からやっと解放されたというのに今度は刑務所行き、なんてことになっては困る。故にまだこの部屋を出て行くわけにはいくまい」


「まずすべきことはなんだ。その体の身元を押さえるところからか?住民票?戸籍?えーと」


「落ち着け、まず最初すべきことは」


 少女の身体は少女の胸に手を当てた。


「こいつに服を着せることだ」



 服の違和感はもっともだった。研究室にいた頃の囚人服のような白服では外を出歩くと目立つ。もっと外を出歩くのも相応しい服を新調する必要があった。


 今の時代はネットで何でも注文できる。これが何とありがたいか。成人男性が店頭で少女の服選びをしていたらそれこそ不審者極まりないところだが、ネットだとそんな人の目を気にしなくとも良い。


「ダメだ。さっぱりわからん」


「服を買うのになぜそんな手こずる」


「おっさんが女の子の服をテキパキ頼めてるほうがおかしくないか」


 僕がインターネットで慣れない服探しをしている時、隣で少女はじっと睨みつけていた。僕は何も指示していなくともこの子にも自我はある。何か不満があるのか、僕に冷ややかな視線を向けていた。


『好きなの選んでくれ』


 観念した僕はその子自身に服選びをさせる。指が勝手に動き、それが一つの写真で止まった。

 

「了解、これでポチッと」


 購入ボタンを押した途端、インターホンが鳴った。慌てて身なりを取り繕い、少女を押し入れに押し込め、玄関のドアを開ける。


 このアパートの管理人のお爺さんだった。九十近くと聞いているが、はっきりとした物言いと立ち居振る舞いは実際の年齢を感じさせない。既にこの部屋を出て行くという連絡は昨日研究室でいれていたから、向こうは把握しているはずだ。


「あんさんが挨拶に来よる前にこっちから来てやったんやこれが。ははは」


「ご足労おかけしてすみません」


「いい、いい」


 荷造りしていて正解だった。部屋は綺麗に片付いている。それを見て管理人は「ありゃ綺麗にしてもろて」と呟いた。


「あんさん、この部屋出てってからはどうされる」


 痛いところを突かれることは覚悟の上だったが、いざその質問をぶつけられるとすぐに答えを出せなかった。僕が焦っているところに管理人は「まあ、並大抵のことで出て行くとは言わんやろとは思ってるけど。先生なんやったら」と続ける。


「旅に出ようかなと」


 結局出した答えはこんな抽象的なものだった。しかしそれを聞いた管理人は笑い出した。


「旅か、ええな。若いのが動けるうちにやっとくのがそりゃええわ。わしはもうこのアパートの一階から三階まで上がるので精一杯やから」


 二言三言交わしたのち、管理人は別れを告げて階段を降りていった。押し入れに押し込められていた少女は「何をする」と不満を漏らして後ろに立っていた。



 お急ぎ便で頼んでいた少女の服はしばらくして届いた。今日中に届かなければそれこそ恥を偲んでショッピングセンターまで走りにいかねばならないところだった。


 届いた服に着替えさせ、僕は晴れてこの部屋とおさらばできる。そう楽観的に考えていたのだが。


『先生!良かったー!繋がって』


 次から次へと色んな人が僕に話しかけてくる。電話がかかってきたのは少女が服を着替えている最中、まさしく着替えが終わり次第、この部屋を出るいうタイミングだった。


 電話は渓帆奈学園からかかってきていた。既に辞めたはずなのにまだ僕になにか用があるのかと疑問だったが、僕はその電話に出てしまった。


『すみません突然のことで。手続きとかのことでしょうか』


『事故に遭ったのかと心配していたんですよ。米原先生に限って連絡無しで欠勤されるなんて無いだろうと思って・・・・・・』


 んん?事故?違和感のある会話のやり取りに不安がよぎる。


「すみません、もしかして僕、まだ辞めてないことになってます?」


『辞める?え、辞めちゃうんですか!?困りますよ!あなた二組の担任でしょう!』


 なんてことだ。辞めたことになっていない。そういえば引っ越しの件は管理人には電話で連絡していたが、教職を辞めることは書面で手続きをしていたのを思い出した。


 研究室が爆散したことで書面が正しく送信されなかった?僕はまだ教師を辞めたことになっていない?


 僕は恐る恐る振り返った。自分の意思で選んだ服に身を包み、いささか嬉しそうな少女の姿がそこにあった。

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