第二話 操縦者

 催眠は洗脳とは違う。


 人間は「本能」と「理性」を天秤にかけることで正常に行動する。洗脳は「本能」に圧をかけることで操る能力であるに対し、催眠(ヒプノシス)を使って操るのは主に「理性」のほうである。


 催眠の力は洗脳とは比べ物にならないほどに強力だと言われている。社会通念が崩壊してしまっても気づかない可能性があるからだ。その力を利用すれば誰も疑うことがない術者の思い通りの世界を作ることができる。政府関係者やテロ組織、宗教団体、口には出さないだけでこの能力を欲している人は山ほどいるだろう。今の法律では出生直後に受ける検査でこれら催眠に長けた能力を持っていることが確認された場合、拘束隔離され、日常生活において相応の重いペナルティを受けることになっている。


 しかし僕のような弱い催眠しかかけられない者は「本能」が予め備わっているものに対して催眠をかけてもあまり効果がない。「理性」を少し動かしても「本能」が重い分天秤が全く揺れない。だから制御ができない。


 だから僕は自分の能力が日常生活に支障があるレベルのものではないと判定されてほっとしていた。今の僕らの社会では能力者の方が少数で差別を受けるのが当たり前なのだ。あくまでも無能力、つまるところ弱者のほうが多数一般的で、健康的な生活をおくる権利を有する対象となっている。


 ただ少し厄介なのがこの無能力というところだ。これは出生直後の検査を受け、何も能力を持っていなかった人のことである。僕はこの無能力者ではない。「微能力者」というとても中途半端な立ち位置にいる。だから結局のところ普通に生活する保障はあっても、世間的には色眼鏡で見られ、差別される対象の枠に入ってくることには変わりない。


 重い足枷としては十分だった。僕は憧れの教師になる為に周囲の無能力者よりも優秀な成績を修める必要があったのだ。


 「そっちの」方面で活躍する道はすでに諦めていたはずだった。




 黒い影の正体は僕の「本能」でないことはすでに分かっていた。これは単純に「理性」から来る、能力者による力によるものだというのは、同じ能力を持つ者として気づきやすかった。

 

 ではこの能力は「誰の」能力か。


 目の前にいる少女は「本能」が脆かった。空っぽとまではいかないものの、僕が「理性」を弱い力でつついただけで簡単に操れてしまうくらい天秤は簡単に動かせた。


 ただ、この少女が僕を操ろうとしているとは考えにくい。それなら先にこの研究室にいる人間、所長や研究員を操ったほうが手っ取り早いからだ。拘束具に特殊な能力を抑えるものがあるのだったら尚更彼女が起こしたものとは考えにくい。


 とすればこの能力は所長や研究員によるものだろうか。これも考えにくい。彼らが能力で僕を操れるなら契約書なんてわざわざ用意しなくてもいいし、弱い能力しか持ち合わせてない僕をこんな拘束具で縛る必要もないからだ。この黒い影が現れたのは僕が拘束された時くらいだった。彼女が僕に、いや研究者たちに操られることを良しとしていない可能性が高い。


 つまり狙いはこの少女をコントロールできる「僕」なのだ。


 いつの間にか僕は彼女の拘束具を解いていた。そしてそのまま部屋から、研究室から抜け出すよう動かされていた。


 催眠は「本能」には全く手をつけられないため、頭の中では思考することが可能だ。しかし正しい判断をすることが難しい。ならば僕が今動かされているこれは催眠の類ではないのかもしれない。新しい人格が話しかけてくる感覚。つまりところ僕はもはや常識で動けていないことになる。


 目の前から警官が迫ってきていた。僕を殺そうとするものだ。身を守る為には僕は彼らを先に殺さないといけない。そうだろう。


 しかし僕は非力だから殺せない。僕は彼女に命令しないといけない。


『あの警官を殺せ』


 警官はたちまち木っ端微塵に破裂した。血や臓器が飛び散る様に胃の中のものが込み上がってきた。


 僕が彼女をコントロールするために、まずは僕がコントロールされている。この状況、今の僕にはどうすることもできない。


 そして後から来る警官たちも、彼女の能力で次々に破裂していく。地獄絵図だ。僕は彼女を抱きかかえたまま走っている。この状況を見れば、悪いのは完全に僕になる。能力者は僕を操っていても僕以外の人間には誰にも悟らせない。完全犯罪だ。


 やられた。


 契約書にサインしたあの時の僕も完全に操られていた。わざと僕と少女が二人きりになる状況を作らせて彼女の拘束具を解かせ、研究室から脱出させる作戦だったのだろう。

 

『SOS』


 このメッセージの意味はまだよく分からない。しかし彼女は自分の意思で歩くことができるし、メッセージも書ける、少なくとも彼女には「本能」があるというのは分かる。


 だとすれば、今のこの状況に彼女は耐えられるのか?


 研究者はこの子を殺戮兵器として使うつもりだったのか?それとも彼女には他にも能力があるということなのか?


 マリオネットのように操られる僕と彼女はそのまま研究室の外に出ようとしていた。外はまだ暗い。なんせ今から寝ようとしていたのだ。まさか夜中のうちにこんな脱走劇になるとは思ってもいなかった。


「止まれ!」


 外には見渡すだけでも百人くらいの人たちが待ち構えていた。数が増えたところで僕らの動きが止まらない。死体の山が増えるだけだ。


「やめろ、やめてくれ・・・・・・」


 しかし僕が予想する行動とは別に「ガワの僕」は虚ろな目をした彼女にこう命じていた。


『飛べ』


 彼女の背中からは大きな羽が生え、突然僕の手を離れて飛び上がった。その身体を僕が掴むとそのまま宙へと浮かび上がった。


 銃弾の雨に晒されたが、彼女の大きな羽がそれを防いでいる。この程度の傷では何も問題もないくらい丈夫なようだ。僕は自分の意思とは別に「彼女の使い方」を分かっているようなその動きにただ身を任せるだけだった。


 束の間の空の旅から見える満月は絶望的に満ち満ちていた。



 僕の勝手な動きはそのまま僕の元々住んでいた自宅の前で止まった。もう二度と戻ることはないと思っていたが戻ってきてしまった。鍵もまだポケットの中に入ったままである。僕はその鍵を使用して部屋に入った。


 少女は力を使い切ったのかというくらい突然バッタリと倒れて動かなくなってしまった。大きな翼は綺麗に折りたたまれて忽ち消えた。


 サイボーグか何かなのだろうか、とにかく彼女の力はいまだに未知数だ。人を木っ端微塵に破裂させることもできればさっきのように翼を出して空を飛ぶこともできる。そして僕を操っていた黒い影はこれらの能力の存在を知っている。


 少女をここに放置するわけにもいかず、部屋の中へ移動させるために抱きかかえた。少し落ち着いてから思ったのは彼女は見た目以上に軽いということだった。ひ弱な僕でもすんなり持ち上げられるくらいの軽さだ。これがさっきまで僕を空へと持ち上げていたのだからどういう原理でさっきまで飛んでいたのか全く分からない。


 テレビをつける。ニュースは速報という形ですぐに見られるようになっていた。


 黒い影によって暴走した僕の一連の事件は大々的に報道されていた。僕自身でもよく分かっていなかったが、先ほどいた研究室はほぼ全焼している状況だ。消防が消火活動をしているという。なんてことだ。


「終わった」


 僕のこれまで積み上げてきた人生も何者かに操られて終わってしまった。この理不尽極まりない出来事にショックでしばらくテレビの前から動けずにいた。


「そんな暗い顔をするなよ」


 そう言ってきたのは後ろで寝ていたはずの少女だった。咄嗟に振り返ると虚ろな目をした少女の姿はそこにはなかった。


「そりゃあんたを巻き込んだのは悪いと思ってるけどさ。こうするしかこいつの身体を取り戻すことができなかったんだよ」


 黒い笑みを浮かべながら彼女は自分の姿を眺める仕草をする。


「おーおー、可哀想に。こんなに改造されてしまって。やっぱ人間って碌でもない生き物だよ全く」


 事態が全く飲み込めない僕は絞り絞った声で尋ねる。


「誰だお前は」


「それはこっちのセリフだ、と言いたいところだけど先に答えてあげる。私はこの子の保護者だよ。まあこの時代にはいないんだけど、それはこの子も同じだし」


「どういうことだ?」


「次はあんたが答える番、何であの研究室に?」


 彼女は胡座を描きながら僕と対峙する。さっきまでの虚ろな目をしたひ弱な様子はどこにもない。まるで本当の自分を思い出したのかのように生き生きとしている。


「僕はただ研究室の人に拘束されて連れてかれて・・・・・・そこで君に命令をして動かす仕事を頼まれただけで」


「この子だね。なるほど、結局この子を動かせる人は君しか見つからなかったんだ」


「催眠をかけられる人間は今でも結構いるんじゃないのか?なんで僕だけと断言できる」


「催眠の微能力者はとても珍しいんだよ。そもそも催眠能力自体が強いし、それを使いこなせるポテンシャルがないといけないからそのほとんどが強いものばかりなんだ」


 出生時の検査でどういう反応をされたのかは知らない。親はひどく焦っていたらしいがそれは僕が能力を有していたからだとばかり思っていたけどそれだけでは無かったのか?


 僕の能力を詳しく調べることをしなかったツケがここにきて回ってきている。なんせ教師の道を選んだ時点で、自分の能力に対する興味は完全に無くなっていたし、それを他人に言うこともなかったから。


 彼女は色々と催眠能力がどれほど珍しいものなのかを僕に解説してくれた。


「・・・・・・でもそんな超強力な能力も使える対象は『本能』が備わっているものに限られる」


 彼女は部屋の隅っこにある、観葉植物として置かれてあるサンセベリアを指差した。


「例えば植物は生き物だけど本能が虚弱すぎて彼らは操作できない。本能と理性の天秤が振れすぎてちょうどよく動かせないんだ。でもあんたなら動かせるんじゃないか?」


 僕はサンセベリアに催眠を集中させる。そして命じてみた。


『揺れろ』


 サンセベリアはびくともしない。この結果に少女は目を丸くした。


「ありゃ失敗?なんて命令したの?」


「揺れろって命令したけど、動かないな」


「あー植物はそもそも動きが鈍すぎるから。もしかしたらすごーくゆっくりでも動いてるかもしれないけど・・・・・・まあこれは私の例えが悪かったね。ごめんごめん」


 何だったんだこの時間は。そもそも僕は自分の今までの行動で捕まってしまうのではないかというリスクをずっと怯えているのだ。こんな話をしていても僕もやってきたことは変わらない。


 僕の様子が変わらないことに少女は「安心しなって」と言った。


「研究室であんたと関わってきた人間は全員対処した。契約書も破棄した。君とは何も関係なくなった」


「いやいや、そんな単純なことじゃないでしょう」


「複雑なことでもないんだよ。能力者を違法的に研究していたら重罪なんだから」


「え?」


 彼女の顔からは黒い笑みが消えていた。


「だから私は回収したいと思っていた。最初は研究者を操ろうとしていたけどあいつら常に能力を通すのに障害になる防護服を着てやがる。だから防護服を着ていなかったあんたを操作するしかなかった」


「じゃあ僕はただの被害者ってことだ」


「まあ、ありていに言えばそうだ」


 僕は項垂れた。テレビを消す気力すらない。今年の僕は相当運が悪いらしい。


 窓からは陽の光が差し込んできた。夜は明けたが僕の心は深く沈んだままだ。上手いこと言えたぶん先ほどまでの絶望はもうないのかもしれないが。


「そういえばこの子が僕の背中に『SOS』って書いていたんだが、それもお前がやったことなのか?」


「そもそも私にこの子を操作することはできないし権限もない」


「でも今喋ってるじゃん」


「私がこうしてこの子を使って喋れているのは君を経由しているからだ。君を操作してこの子にこう喋れと指示を出している。それだけの話だ」


「じゃあお前がSOSと書けと俺を経由して指示させたのか?」


「いや指示は出していないな」


 少しの沈黙の後、彼女は釘を刺すかのように僕に言った。


「この子は色々改造されてるが、元はただの人間だ。それだけは忘れずに接するように」




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