ハマナスの花

大和弥尋

第一話 悪い大人

 国からの要請があったのは年明けすぐの正月ボケも抜けきれていない頃のことだった。思い当たることはなく当時はかなり動揺していた。役人に促されるがまま、僕はどこか分からない場所へと連行されてしまった。


 これが何かと尋ねても両脇にいる役人は「黙っていろ」としか言わない。こんな理不尽を体験したことはなかった。確かに僕は独り身で、心配をかけるような親族もいなかったが、それでも犯罪を犯したことなんてないし気持ちだって持ったことはない。


 いや、少しばかりその傾向はあるのではないかと、僕の中にある黒い影が話しかけてきた。


 元々僕は能力面に関しては大したものではない。ちょっとした催眠術をかけられるくらいのものだ。それも微弱の。本人の意思があればそれは全く通用しなくなるほどに弱い念で反発されればどうすることもできない。だから「そっち」での出世は諦めることにしたのだ。


 僕がこうして質素ながらも生活できているのは他ならない僕自身の努力の成果である。死に物狂いで勉強をして、良い成績を収め、先生になった。だから今も忙しなく働けて生活する上で困らない給料も貰っている。それで僕の人生は十分過ぎるほど豊かになったつもりだった。


 それでも改めて思い返してみれば、これにはどこか諦めのようなものもあったのではないかと考えてしまう。


 本当の自分はどうしたかったのか。そんな今までずっと押し殺してきた黒い影が僕に迫ってくるのを感じていた。


 連れて行かれたのはとある研究機関だった。警察か検察か、檻のようなところかと思っていたせいでこれには少しだけホッとしていた。どうやら捕まることはないらしい。

 

「いや、すみません。突然呼び出してしまって」


 そう言って現れたのはこの研究所の所長を名乗る男だった。何も拘束されているわけではないのに、謎の緊張感があった。


「米原一己(いつき)さん。私立渓帆奈学園で社会の教師をされているとお伺いしましたが、間違っていませんか」


「は、はい・・・・・・そうですが」


 男は分厚めの資料を一通り見て、「あ、いや別にリラックスして聞いてもらえればいいことなので」と固くなっている僕に優しい言葉をかけた。


「あなたはインフィニット、つまるところ能力者であるという登録がされていますが」


「微弱ですが催眠のようなものができます」


「ヒプノシスですね。勝手ながら調べさせていただきました。とても珍しい能力をお持ちで」


「本当に微弱なので、あまり重要視されたことはないんですが」


「そのようですね、判定もD(普段の生活に影響なし)と書かれてある。けれどこれが今の我々のとても欲しているものでして」


 そう言うと男はそばにいた研究員に「例の子を連れてきて」と命じた。研究員は黙って部屋を後にする。


「あの、僕みたいな能力ってそんなに珍しいんでしょうか」


「珍しいというかなんというか、ちょうどいいっていうのかな。強すぎないっていうのが今回ハマったっていうか。あなたはこの能力を人や動物に使ってみたことはありませんか?」


「無いと言ったら嘘になりますが・・・・・・なんにもなりませんでしたよ。影響がないから自由に暮らせる。微弱で良かった、なんて」


「そこです。そこに注目してるんですよ私たちは。もしこの能力がC(制限を科す)以上であったらダメだったんです」


 先ほどの研究員が戻ってくる音がした。足音が僕の隣で止まる。


 子供を連れていた。色白で髪はボサボサ、腕や脚はひねれば簡単に折れてしまいそうなほど細く、全く外に出ていない様子の少女だった。ただ、そんなひ弱そうな子には相応しくないほど頑丈な錠で腕や足を拘束されている。


 虚な目は僕を捉えた後、ゆっくりと下に下がった。


「この子をあなたの能力で動かしてほしいんです」


 所長の男はそう言った。僕はよく話が飲み込めずに質問をした。


「あの、この子は誰なんでしょうか」


「この子は超能力者なんです。それもとっても危険な」


 超能力者というのが実在することすら知らなかった。なんせ僕らのような無・微能力者は彼らと接触する機会が全くないからだ。ニュースでも超能力者のことは報道されることがない。幻のような存在だった。


「一体どんな能力を・・・・・・」


 少女は床に座り込んでいた。さっきまで見えていた虚な目はボサボサの髪に隠れて見えない。男はそれを見て「立ちなさい」と言ったが立つ素振りをみせない。やがて諦めたように僕の質問に答えた。


「とても危険な能力としか、ここでは言うことを許可されていません。ですがこのとおり、彼女には意思がありません。そこであなたの能力が必要で・・・・・・」


 研究員の一人が「試しにこの子に立ってもらいましょう」と言った。所長は「いいねそれ」とノリよく答えた。


 長い間使っていなかったから久しぶりにやってできるかどうか分からなかったが、どうやら身体が覚えていたらしい。催眠は間違いなく発動している。


『立て』


 心の中でそう言うと、彼女は勢いよく立ちあがった。それを見て所長と研究員たちは「おお!」と歓声を上げる。


 僕自身この能力が成功したのはこれが初めてで驚いていた。三十年経って自分自身の能力を改めて再認識することになるとは思いもしなかった。


 喜びの余韻もそこそこに、所長は少女のことを説明し始めた。彼女の身元は不明であること。DNAやその他いろいろと調べたが詳しいことは分からなかったこと。検査したところ強力な念力があったためこうして研究所でその能力の研究をしていたということらしい。

 

「あの、それで僕はどうすれば」


「彼女に僕らが言うことを命令してください」


 なるほど、言うことを聞かないから言うことを聞かせる僕の能力が買われたわけだ。それに僕の能力は他の人には使えないからここでの危険性も少ないと、そういうことらしい。


「報酬は政府から支払われることになります」


 そう言って渡される契約書には、それこそ教師として一生働いたとしても稼げるかどうかわからないくらいの高額な数字が書かれていた。ここで少女を動かす生活で一生遊んで暮らせる。


「どうでしょうか、引き受けてくれますか」


 催眠を解除した彼女はぺたんと僕の方に倒れてきた。慌ててその身体を支えようとすると、手がシャツの中に滑り込んでくるのを感じた。指でなぞるような感覚があってくすぐったい。


「すみません」


 所長は研究員に彼女をここから連れ出すように言った。べったりくっついていた彼女の身体は研究員たちによって剥がされる。そのまま研究室から彼女を担いで出て行ってしまった。


 僕は迷っていた。心の中の黒い影が僕に囁き出す。どうせこのまま教師を続けていたって何にもならない。彼女もいないし結婚する予定もない、この先一生独り身かもしれない。そんな人生灰色の三十歳がこの法外な仕事を受け入れていいのか。

 

「・・・・・・分かりました」



 少女と再び会うことになったのはその日の夜のことだった。最初に会った時は手錠をかけられていたその手には管が巻かれてある。その管は僕も見慣れたものに繋がっていた。どうやら点滴を受けているらしい。


 あの契約書にサインをしてしまった以上もう僕は前の生活には戻れない。後ろめたさがないと言えば嘘になる。今までの努力は水の泡だ。結局一番儲かるのは僕の生まれ持ったこの能力だったのだ。


「こ、こんにちは・・・・・・」


 この部屋は僕ら二人きりというわけでもなく、研究員の人が二人いる状態だった。


 少女はずっと僕の方を見つめているばかりで、僕の言葉に反応するそぶりは一切見せない。


「その子に何を話しかけても無駄ですよ」


 研究員の一人はため息混じりにそう言った。もう一人の研究員は欠伸をしながら時間が過ぎるのを待っているだけという感じである。


「食事を与えようとしても何も食べないんです。まるで死にたがってるみたいに。だから定期的に点滴を行ってるんですが・・・・・・」


「ひとつ、尋ねてもいいですか」


 僕は出されたコーヒーに手をつけずに研究員のほうを見た。怪訝そうな顔をした研究員は「どうぞ?」と聞き返す。


「この子の能力を使いたいから僕に命令役を頼んだのですか?」


 隠す気もないのか研究員はあっさり肯定した。


「ありていにいえばそうです。本人に意思が無いのならそれを操ればいいという判断です。もちろんこの子の人権も保障はされています。超能力者の範囲内でですが」


 能力者は普段の生活をするにあたって大幅な規制がかかる。必ず国に仕えなければならず、一般人とは隔離された特定の場所でしか暮らすことができない。超能力者であればこうして研究所の中でしか生活できないのかもしれない。

 

 そういえば僕の人権は今どうなってるんだ?契約書を隅々まで読んで見落としは無かったはずだが、どこにも僕の生活基準が厳しくなる旨は書かれていなかったはず・・・・・・。


「あ、米原さんの基準も微能力者から超能力者に上がっているので、勝手に出歩かないよう気をつけてください」


 終わった・・・・・・。いやそれはもうあの契約書にサインをした段階で終わっていたんだが。というかそんな大切なことは契約書にも書いておいてくれよ!見たところ、まだ僕には、本来は微能力者、無害だからなのか手錠がかけられていない。だから全てが超能力者基準では無いのかもしれない。そんな風にまだ淡い期待を持っていたが・・・・・・。


「すみません、規則なのでこの拘束具を着用していただければと・・・・・・」


 ですよね・・・・・・。



 そして絶望の中で夜になった。


 一生遊んで暮らせても、こんなに規制されてちゃ罪人とほぼ変わらないなと、僕は寝転がりながら考えていた。手足が自由に動かせないとこんなにも寝心地が悪いと思っていなかった。


 これが一生続くのか・・・・・・。


 隣には例の少女が目を閉じて眠っている。安全のため、彼女を唯一制御できる僕は常に側にいないといけないらしい。契約書には『いついかなる理由で超能力者が暴走して傷害を受けたとしても責任は負わない』と書かれてあった。この子の能力を詳しく知らないせいでいつ攻撃が飛んでくるのか予想できない。とても怖い。


 黒い影が「本当に怖いか」と問いかけてくる。まただ、今日は常にこの黒い影と戦っているような気がする。


『興奮してるんじゃないのか。この状況に』


 そんなわけがない。超能力者と並んで寝たことなんてないし、このまま朝まで生きていられるかどうかすら怪しいっていうのに・・・・・・。


 なんで僕はワクワクしてるんだろう。


 自分の今置かれているこの状況に酔ってしまった僕は。教師じゃなくなった僕はただの、ただの・・・・・・。


 黒い影がまた僕に覆い被さってきた。そして僕はゆっくりと起き上がった。


 服の中に彼女の手が滑り込んだ時、指で何かなぞられた時を思い出していた。あの時、背中からは確かに『SOS』となぞられているのを感じた。彼女には「意思」があったのだ。


 それに気づいていても僕はこの誘いに乗ってしまった。それは僕が良くない大人だからだ。


 監視カメラがこの部屋にはないことは確認済みだった。

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