曇り空とマスカルポーネ
クロノヒョウ
第1話
小さな足場屋を営んでいる俺にとって雨の日は憂うつだった。鉄筋が雨に濡れて足を滑らせる事故が起きないよう、仕事を休まなければならないからだ。
「今日はあがりにするか」
さっきから降りだした小雨。現場で空を見上げなから俺はそうつぶやいた。
ワゴン車に従業員五人を乗せ会社に戻って荷物をおろした。
「お疲れ様でしたっ」
「お疲れっす」
ちょうどお昼の十二時をまわったところだった。
「おう、お疲れさん」
次々と頭を下げながら帰ってゆく従業員たち。彼らにとっては半日休みはさぞ嬉しいことだろう。俺にとってはこのどっちつかずの曇り空が一番腹立たしいのだが。
倉庫の点検をしシャッターを閉めてから俺は隣の事務所へ入った。狭いプレハブの部屋だが一応事務所らしく机を三つずつ向かい合わせて並べている。従業員五人分のデスクと総務として週三で雇っているおばちゃんのデスクだ。そして一番奥に皆を見渡せるように俺のデスクが置いてある。
「ん? 今日はもう終わりだぞ」
最近入ったばかりの若者、確か二十三歳だったか、俺のすぐ目の前のデスクに座っていた森山に声をかけた。
「あれ、説明してなかったっけ。雨で鉄筋が濡れたら滑るから危ないだろ? だから雨の日はこうやって早くあがれたり休みになるんだ」
面接の時に説明したとは思うのだが、俺は森山にそう言いながらデスクに座った。
「はい」
それだけ言って動こうとしない森山。そういえば森山が他の従業員と口をきいている姿を見ていないことを思い出していた。まあ、出所したばかりだから馴染めないのも無理はないだろう。そう、他の四人も同じ、俺は受刑者を雇っているのだ。
「帰ってもやることないので」
森山がぽつりと言った。
「そうか」
おとなしそうな雰囲気の森山は犯罪者にはとうてい見えない。いったい何の罪を犯したのか。気にはなるが俺は従業員にその話は聞かないと決めていた。
「だったら好きなだけ居ていいぞ。俺は事務作業があるからな。お、そうだ、昼飯は?」
俺がそう言うと森山はごそごそとビニール袋を取り出した。
「ここで食べてもいいですか」
朝から買ってきていたのか机の上にコンビニ弁当が置かれた。
「おう、じゃあ俺も昼飯にするかな」
俺も朝から握ってきたおにぎりを鞄から出した。
家族と別居して十年が経つ。妻は俺が受刑者を雇うことに大反対した。だが仕方なかった。あの頃は不景気で子どもたちの学費を工面するのに必死だった。受刑者や外国人を雇えば給料が安くすむ。国から補償ももらえる。俺なりに家族を守ろうとしたのだが妻には理解してもらえなかったのだ。
「お茶は飲むか?」
俺が立ち上がろうとするとすぐに森山が立ち上がった。
「俺がいれます」
「おう、サンキュー」
なんだか嬉しそうな顔をしながら森山は急須にお茶の葉を入れていた。
受刑者を受け入れている会社はまだ少ないであろう。世の中表面では犯罪者の社会復帰を望んでいると言っている割にはそういう場所が少なすぎる。世間の目も偏見だらけだ。彼らよりも凶悪で罪深い人間はいくらでもいる。彼らは罪を犯したけれどちゃんと罪を償って反省もして、これからはちゃんと真面目に生きていきたいと思っている。そんな彼らの居場所はまだものすごく狭い。それが罪を犯してしまった者への代償なのかもしれないが、彼らは少なくとももう二度と同じ過ちを繰り返したくはないと思っていることだろう。
きっと森山も、こうやって社会に復帰して今これからがんばろうとしているはずだ。
「あ、そうだ森山。冷蔵庫にケーキの箱があるだろう。あれ出してくれ」
お昼をあっという間に食べ終わった森山に、俺は思い出したようにそう言った。
「はい」
森山が冷蔵庫から箱を出して持ってきてくれた。
「総務のおばちゃんいるだろう」
「ああ、えっと、板垣さん」
「そう、そのおばちゃんが今朝持ってきてくれたんだ。なんだろうな」
俺は森山が見ている前で箱を開けた。
「お、ティラミスか」
中にはかわいらしいティラミスが六つ並んでいた。
「ティラミス」
箱の中を見つめながら森山はつぶやいていた。
「ティラミス知らないのか? 食ってみろ。うまいぞ」
俺はティラミスを一つ取り出し森山に渡した。
「俺、チーズが苦手で、ティラミス食ったことないです」
「ハハッ、大丈夫だ。俺もチーズ苦手なんだよ。でもこれはチーズの味がしないから食えるんだ。騙されたと思って食ってみろ。ダメだったら俺が食うから」
スプーンを渡すと森山は「はい」と言って自分の席に座った。おそるおそるティラミスの入ったプラスチックの器にスプーンを差し込む森山。
そうか、俺の長男も森山と同じ年の頃か。森山を見ていると自分の息子を見ているような感覚になっていた。
「うまいです!」
突然俺に向けられた森山の顔は明るく嬉しそうだった。
「だろ? ハッハッ」
なぜか俺も嬉しくなって笑っていた。
「え、これチーズ入ってますよね」
もう食べ終わったのか、森山は空になった器を眺めていた。
「入ってるがティラミスに使うチーズはマスカルポーネっていうチーズなんだ。匂いもそんなに強くないそうだ」
総務のおばちゃんから聞いたことをそのまま伝えた。
「マスカルポーネ」
「ああ、チーズが苦手な俺たちにとっては救世主だよな」
「はい」
俺もティラミスをごちそうになり、昼休憩を終え一服して仕事にとりかかることにした。雨のうちにやっておかなければならない事務作業も山ほどある。
「あの、何か俺に手伝えることありますか」
そう言ってきた森山。帰ってもやることがないとさっき言っていた。確か森山は近くのアパートで独り暮らしだ。
「やることはあるが、帰らなくていいのか?」
寂しそうにうなずく森山にいいから帰れとは言えなかった。
「森山はパソコン得意か?」
「はい」
俺が一番苦手とするパソコン入力を森山に頼んだ。一回説明しただけで森山は軽やかに指を動かしタイピングしていた。さすがは今どきの若者だ。パソコン作業を森山に任せたおかげで俺は備品の発注や領収書の整理、作業の工程表の見直しなどたまっていた雑務をやることができた。
時計を見ると十五時をまわっていた。
俺はコーヒーでもいれようかと立ち上がって体を伸ばした。プレハブ小屋の窓から見える空。雨は降っていないが相変わらずの曇り空だった。雨が降らないのなら現場でもよかったのに。今日休んだ分、工程を急がなければならない。雨ならまだ諦めもつく。だから曇り空は腹立たしいのだ。
「社長はマスカルポーネですね」
「あ?」
窓の外を眺めていると森山がタイピングしながらそう言った。
「俺がマスカルポーネ?」
振り向くと森山が顔を上げた。
「社長は俺の救世主です」
そう言って森山がにっこりと笑ったのだ。まだ少年のように幼い笑顔。
「ハハッ、大げさな」
そう言って俺はまた振り返って外を見た。
俺にとってはお前も救世主だよ。おかげでパソコン作業が終えられそうだし、俺だって一人でやるより誰かとこうして仕事ができて寂しくなかった。何より俺はお前のおかげで久しぶりに息子に電話してみようと思っているしな。
そんな言葉が喉元まで込み上げたが恥ずかしくて口から出ることはなくのみ込んでしまった。
「曇り空も、悪くないな」
代わりに出た言葉はそんな言葉だったが、背中から「はい」と聴こえた俺は思わず顔をくしゃくしゃにしてこっそり笑っていた。
完
曇り空とマスカルポーネ クロノヒョウ @kurono-hyo
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