第2話


 「トバリお兄ちゃん、そっちに行った!」

 「おぅ、任せろォ」


 衝撃余命宣告を受けて早3日。

 悪霊ハントにも慣れたもので、私は牧羊犬よろしく悪霊を追いかけ回し路地裏に追い込んでいた。


 『隧ア繧定◇縺?※縺上l』


 彼らを捕らえるのは毎度同じく丑三つ時。

 夜間の方が人通りが少なくて捕獲しやすいのだ。


 『縺雁燕縺ッ鬨吶&繧後※縺?k』

 「なに言ってるかわからないけど、その手には乗らないからね!」


 月光に照らされる悪霊は意外にも優しそうな老人の顔をしている。

 とても人に害をなす存在には思えなくて、しかも必死になにかを訴えてくるから初日は戸惑った。

 それがあいつらの戦略だとお兄ちゃんは言う。善良なフリをして油断させて、取り憑いた相手をあちらの世界に引きずり込むのだ。なんて恐ろしいのだろう。

 

 「つーかまーえたァ」


 路地裏の突き当たりで待ち構えていたお兄ちゃんがガシッと片手で悪霊の頭を鷲掴みにする。悪霊はどういうわけか直進しかできない。後退することも振り返ることもできないのだ。

 諦めたように項垂れるその顔を私は見たことがない。見れなくてよかったと思う。


 『螳医▲縺ヲ縺ゅ£繧峨l縺ェ縺上※縺斐a繧薙↑』


 悪霊たちの断末魔の叫びはいつも悲痛に満ちていて胸が痛くなる。

 そんな彼らに哀れみの眼差しを向けてお兄ちゃんはそれを食らう。悪霊を小さな人魂に変えて飲み込むのだ。


 「ふぅ。疲れたァ」

 「ぐはっ。胸筋ぱふぱふ最高」


 トバリお兄ちゃんがわざとらしく私にのしかかってくる。

 すりすりと頭に頬ずりをされ、顔面に豊満な胸を押しつけられる。天国でしかない。

 もちろんこれはお兄ちゃんなりの労りなのだとわかっている。初日の悪霊捕獲後に私はひどく落ち込んだのだがお兄ちゃんの困惑抱擁により回復したのだ。学んだ彼は悪霊捕獲後に必ず私を抱きしめるようになった。罪深い男だ。心の中でしみじみと頷きながら猫吸いならぬ兄吸いをする。

 すぅぅぅぅうう、はぁぁあああ。

 ぶるりとお兄ちゃんが震えた。


 「お前、それやめろよ」

 

 八の字の眉にうっすらと潤んだ瞳。

 暗くてよくわからないがきっと赤面しているのだろう。


 「かっっっわゆ…あたっ」


 額をはじかれた。

 仕方がない。両手を広げて私も吸っていいよとウインクをする。


 「そのうちなァ」

 「むぎゃっ」


 大きな手が頭にのせられ、そのまま髪を梳きながら下に降りる。頬に触れた手が顔を上向かせ、ちゅぅっと鼻に吸い付かれた。

 しまいだとばかりに鼻先を舌で舐められ、頭をぽんぽんされてお兄ちゃんは歩き出す。


 「くぅ~っ。美形はなにをしても様になる。憎い世界だぜ!」


 私は慌ててお兄ちゃんの後を追った。

 兄吸いと同等、もしくはそれ以上に羞恥心を伴う行為だと思うが、こういうときのお兄ちゃんはけろっとしている。

 思えば昔から彼は人とズレていたように思う。まあ神だから当然とも言えるけど。

 いつの日だったか、おじいちゃんがトバリお兄ちゃんの行動に慄然としていたっけ。どうしてあんなに怯えていたのだろう。

 思い出そうと記憶を巡らせる。が、

 

 「遅せぇ。置いてくぞ~」


 振り返ったお兄ちゃんの顔の良さに全て吹き飛んだ。

 不満そうに唇をとがらせつつ縋るように私を見る子犬のような顔。言うまでもなく胸を鷲掴みにされた。死因、萌え悶え燃えによる焼死。


 「私の灰は海に撒いてください」

 「ぜってぇ撒かねェ~」

 「きゃ~。意地悪ぅ」


 言いながら筋肉質な腕に抱きつく。

 そこで気付いた。


 「トバリお兄ちゃんの手が赤じゃない!」

 「今更すぎるだろ」


 朱色だった腕が顔と同様に褐色になっていて私はかなり驚いたのだが、実は昨日から彼の腕はこの色だったらしい。全く気付かなかった。

 

 「イメチェン?」

 「んなわけあるか。あいつらの魂を食らったからだ」


 元神様のお兄ちゃんは悪霊の魂を食らう捕獲すると神力が元に戻るそうで、その力で鬼と化した朱色の肌を誤魔化していたのだとか。

 

 「今はまだ角を隠せねーが全員を食らえば、まァ昔みたいに人間のフリはできるなァ」

 「私はお兄ちゃんの角も朱色の肌も好きだよ!」

 「………鬼だって叫んだくせに」

 「はわ!」


 一文字に引き結んだ唇がぷるぷる震えている。

 照れてるのか拗ねているのかわからないが、とにかくかわいい。美形万歳。

 胸に手を当てこの世に生を受けたことに感謝する。

 あたっ。

 額をはじかれた。

 

 「鬼だって叫んだくせに」


 口を尖らせたお兄ちゃんがジト目で私を見下ろす。

 今はわかる。

 これはちょっと拗ねている顔だ。むふふ、かわいい。胸がほっこりする。


 「だってあのときはお兄ちゃんのこと忘れてたんだもん。そりゃあ叫んじゃうよ」

 「チッ」

 「でも今は思い出したから叫ばないよ。美形でも神様でも鬼でも、お兄ちゃんを大好きな気持ちは変わらないから」


 懐かしくて幸せで愛おしいこの気持ちは彼が何者であっても変わらない。

 どれだけ目の前に美形を並べられたとしても私がこの感情を抱くのはトバリお兄ちゃんだけだ。

 お兄ちゃんもきっと私と同じ気持ちだ。

 伺うように仰ぎ見ると、彼は眉を寄せ目を閉じ手で口元を覆っていた。

 ようするにほとんど表情がわからない。


 「…お前、ほんと。そういうところが……」

 「そこの美形! 今すぐ手を離しなさい! 美形が顔面の6割を隠すなんて犯罪ですよ!」

 「お前はほんと、そういうところがなァ!」


 はぁぁぁと疲れ切った様子で項垂れるお兄ちゃん。

 露わになった口元は、言葉に反して幸せそうに緩んでいた。



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