愛しい人は、少し甘い香りがする

佐倉井 月子

第1話 

 ピンポーン。

 17時38分。

 築32年の独り暮らしのマンションのチャイムが鳴った。インターホンの画面に映ったのは、大学からの友人の平野ひらのだった。

 「どうした?今日、来る約束してたっけ?」

 「イヤ。ちょっと気が向いたから、来た」

 学生時代から変わらない平野のマイペースぶりは慣れているはずなのに、毎回少し驚かされる。

 大学で初めて会った時から、こっちの都合はお構いなしで、ずかずかとパーソナルスペースに侵入し、あっという間に友達になった。

 俺がドアを開けると、平野は悪戯が成功した子供のような笑顔で、「ジャン!」と言って顔の横にウィスキーのボトルを掲げた。

 「あっ、それ、噂の?」

 「そっ。たまたま手に入ったから、一緒に飲もうと思って」

 「マジかっ。あぁ、でも俺、この後用事があるから、飲むのは又、今度」

 「えー、何だよそれ。おまえが飲みたがってるの知ってるから、持ってきたのによ」

 「マジでごめん。でも、ホントありがと」

 「悪いと思ってるなら、玄関で立ち話しさせずに、『上がってお茶でもどうぞ』だろうが」

 平野は、俺が「上がってお茶でもどうぞ」と言う間もなく、ずかずかと上がり込み、二人掛けのソファーの真ん中にドカッと腰を下ろした。

 俺は仕方なく、お茶を出すために電気ケトルでお湯を沸かす。

 「俺にはグラスと氷ね」

 はぁ?と平野を見ると、持ってきたウィスキーの瓶の封を切り、ポンッ!といい音を立ててコルク栓を抜いた。

 「おい!それは、今度二人で飲むまで取っておくんじゃ無いのかよっ」

 思わず声を上げて、平野に詰め寄る。

 「そんな事、言ってねーだろ。俺は今飲みたいから持ってきたんだよ。『今度』なんていつ来るか分かんねーだろ」

 俺は平野の言葉を無視して、平野の右手を掴んで引き寄せた。

 平野は少し抵抗したが、俺はそれを認めず、力ずくで引き寄せる。

 俺の顔を真っ直ぐ見る平野の目を、俺は真っ直ぐ捉える。

 平野は俺の思いを掴んだ手の強さと真剣な目から悟り、目を伏せて腕の力を抜いた。俺は自由に扱える平野の腕を顔に近づけ、手に持っているコルク栓の匂いを嗅ぐ。

 「思ったよりスモーキーだな。もっと癖のない素直な感じかと思ってたよ」

 「匂いはそうでも、味は素直かもしれないぞ。おまえもそうだろ。理性がある大人ぶってるけど、深い関係になって中身を味わえば、単純で素直な永遠の少年だからな」

 「何だよその表現。俺は、社会人なのに中二病真っ最中って言いたいのか?」

 「そこまでは言ってねーよ。とにかく、飲もうぜ」

 「めちゃくちゃ飲みたいけど、やっぱり今日は止めとく」

 名残惜しい気持ちを蹴散らしながら、平野の腕を離して氷の入ったグラスを渡した。

 「素面じゃなきゃダメな用事って何だよ。車でも運転するのか?」

 「イヤ、彼女が来るんだ。今夜」

 

 

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