女子中学生の咆哮

星乃

第1話

 準備体操を終え、全部員が、テニスコートに入る。いつもは、談笑しながらミニラリーをするが、今日だけは無言だ。

 ロングラリーの後に、ボレーとサーブの練習を行い、十分間の休憩に入る。テニスコートには、重苦しい空気が漂い、部員の動きもぎこちない。

 コートから出て、水飲み場に向かう、その時だった。


 両手を叩く音が、コートに響き渡る。

「部長だけ、集合! ちょっと、お話をしよっか」

 甲高い声の主は、コート脇で腕を組む、OGの秋月涼花だ。

 秋月涼花、高校三年生。ショートヘアの眼鏡女子で、上下紫のジャージを着ている。中学校のテニス部は、三年前に引退しており、今日の練習は、OGとしての参加だ。

 部長の矢田やた七海は、部員の不安を吹き飛ばす返事をして、涼花の元に駆け寄る。

 矢田七海、中学三年生。黒目がちの瞳に、健康的な小麦色の肌、周囲からの推薦で部長に任命された。

(初参加のOGは、何を言い出すか分からない。できれば、差し入れだけ置いて、帰ってくれないかな。――差し入れは、見当たらないけど)


 涼花は、水飲み場を、ゆっくりと指差した。

 眼鏡を少し下にずらし、上目遣いで睨んでいる。

「水飲み場にいる一年生を見て。何か、気にならない?」

 七海は、コート二面を挟んだ先にいる、一年生三人に目線を移した。OGから指摘されていると気付いた三人は、明らかに怯えている。

(三人とも、学校指定の体操着だし、髪も黒い。テニスは上手じゃないけど、素直に頑張っている)

「――すいません、私には、分かりません。教えて頂けますか」

「ラケットを見て。何かに、気付かない?」

(三人のラケットは、初心者用の安いラケットだ。選手として、もっと良いラケットを使うべきというアドバイスかな。確かに、一理ある)

「彼女たちの成長を見越して、中級者になっても使えるラケットを、お勧めするべきでした」

 涼花は、眼鏡を下にずらしたまま、七海を見る。

「ラケットの品質なんて、どうでも良いの! ラケットに巻いてる、グリップテープよっ。一年生は、全員、黒でしょ? 白やピンクは、二年生になってから!」

(これは、ヤバい。昔のルールを押し付けてくるOGだ)

「それに、あの一年生の子、あなたとラリーした時に、『ドンマイです』って言ったよね? 先輩がミスしたら、『フォローできず、すいません』と言うべきよ」

「あれは、私のミスなので、フォローも何もなかったと思います」

「ちょっと、部長がそんな意識でどうするの? 大井町中学校女子テニス部の伝統は、年長者への敬いでしょ。三年経つだけで、こんなに変わるなんて、驚きよ。休憩後の形式練習に私も入るから、ビシビシ指導するわね!」

(二年前、顧問の先生が変わった時に、部員全員で、テニス部の方針や雰囲気を変えたことを知らないんだ。先生は、あと一時間は来ない。後輩の私が、上手に説明できるだろうか)

「顧問の先生が変わったことで、テニス部の伝統が薄らいできているのかもしれません。ですが、その分、公式戦では勝てるようになりましたし、先輩後輩が仲良しになりました」

「中学校の部活動なんだから、勝敗なんてどうでも良いの! 大切なのは、先輩を立てられる振る舞いよ。高校や大学、社会人になっても上下関係はあるんだから、中学生時代に骨の髄まで叩き込んだほうが、その子のためになるのっ」

(ダメだ、私じゃ太刀打ちできない。せめて、部員に、今日だけはいつもと違うと伝えよう)

 七海は、涼花を残し、部員のいる水飲み場に向かった。大事な試合で負けた後より、足取りが重い。


 形式練習が始まった。二対二になり、片方のペアは全てボレーで返し、もう片方のペアは全てストロークで返球する。

 首を回した、涼花は、ベースラインに立ち、ラケットを構えた。

「キエーッ!!」

 般若のような顔付きで、ボールを打ち込む。

 相手の部員は、顔と叫び声に驚き、ボールをネットに掛けた。

「OGが相手だからって、手加減は不要よ!」

 調子を良くした涼花は、ボールを打つ度に金切り声を上げた。テニス部の隣で練習をしているバレー部が、金切り声が上がる度に、小さな悲鳴を上げる。

 バレー部からすると、怪鳥の雄叫びが、頻度高く聞こえるのだ、迷惑極まりない。

(後で、バレー部にお詫びに行かないと。奇声に驚いて、校舎から顔を出している人もいる。変わったOGで、ごめんなさい)

 七海は、頭を抱えた。


 涼花が、ネット際のチャンスボールを大きくアウトした。

「フォローできず、すいません!」

 涼花のペアである、三年生の優子が、声を挙げる。涼花は、悪びれもせず、ベースラインに戻る。

(さすが、優子、空気を読んでくれている。正直、涼花さんは、テニスが上手くない。二人が試合したら、優子が圧勝するだろう)

 相手の鋭いボレーが、優子の足元に突き刺さる。相手のナイスショットだ。

「涼花さん、すいません! 集中しますっ」

 球出し役が、涼花にボールを出す。

 眉間に皺を寄せた涼花は、ボールを止めた。

「ちょっとストップ。優子、後輩のあんたがミスったら、先輩の私に、次はどうしたら良いか、アドバイスを貰わないの?」

 優子の黒目がちの瞳が、点になる。一瞬の沈黙の後に、我に返ったかのように声を出す。

「すいません、気が付きませんでした。アドバイスを頂けますか?」

「早いボールは、獣のように一歩踏み出して、タッタンよ」

 涼花は、ラケットを前に振り抜き、見本を見せる。

七海は、そっと目を閉じた。

(それは、優子も分かってます。でも、あなたが邪魔で、前に行けなかったのです。アドバイスも、何を言っているか分かりません。――もう、泣けてきました)


 涼花は、形式練習に取り組みながら、部員の言葉遣いや動きを、細かく叱責する。

「優子、あなたのショットが決まったら、『先輩のお陰です!』でしょっ」

「一年生ストップ! 水を飲むのは、三年が飲んで、二年が飲んだ後だよね?」

「ジャッジに迷ったら、先輩を立てるのが、社会のルールでしょ! あんたは、社会不適合者になりたいのっ?」

 全ての基準は、年長者への敬いの気持ちが見られるか否かだ。どのような言動が、敬いに該当するかは、涼花の物差しで決められる。

(同じ時期に、テニス部に在籍していなくて、本当に良かった。異常な常識を押し付けてくる、鬼女先輩だ)


 準備運動から一時間が経過し、顧問の先生がコートに現われた。先生が、部員を集める。

「今日は、秋月さんもいるし、ダブルスの試合でもやるか。秋月さんのペアは、部長の矢田、お前で良いな」

 部員全員から、哀れみの眼差しを向けられる。涼花に気付かれない角度で、優子が背中を摩ってきた。

(優子って、こんなに、やつれていたっけ? この一時間で、一年分の心労を溜めたのかな)

 七海と涼花の相手は、二年生だ。ラケットを回し、サーブ権を取る。

(涼花さんと組んで負けたら、何を言われるか分からない。この試合は、絶対に勝ちたい。そのためには、サーブを私から打たせて欲しい)

「サーブは、どちらから打ちますか? 涼花先輩ほどではないですが、私は、サーブに自信があります。今日も調子が良いんです!」

「先輩である私から打つに、決まっているでしょ。寝言を言ってないで、早く前に行きなさい」

「……分かりました。コースのサインは、決めておきますか?」

「コースの打ち分けなんて、できないわよ。入ったサーブに合わせて、上手くボレーしなさい」

(テニスは弱いけど、口は強い。さすが鬼女先輩だ)

 信頼関係は皆無の二人だが、七海の活躍により、互角の試合になる。

 チャンスボールを、金切り声を上げた涼花が空振り、空振ったボールを七海が叩き込んだ。涼花が振り返り、前髪を掻き上げる。

「作戦通りね。欲を言うと、もっと、角度を付けたほうが良かったわ」

 七海は、戦慄を覚えた。

(どんな脳味噌しているの? 自分が空振った記憶が、すっぽり抜けているわけ?)

 3-3になり、残り一ポイントを取ったペアが勝利だ。

 七海はトスを高く上げ、サーブをセンターに打ち込んだ。

 相手のボールが、七海と涼花の間に返ってくる。

 二人の視線が、衝突する。

(私が打ちます!)

 涼花の目が応える。

『先輩に譲りなさい。私のボールよっ』

(先輩の体勢じゃ、絶対に入らない! でも、私が打ったら、怒られる。どうすれば良いわけ!?)

 涼花が、強引にラケットを構え、金切り声を上げようとした、その時だった。

「ギエェー!!!」

 錯乱した七海は、涼花が縮み上がるほどの、奇声を発した。

 呆然とする涼花を尻目に、七海はボールを打ち返す。口をあんぐり開けた相手は、ボールを見送った。勝負あり。

 この日以降、涼花は、テニス部に姿を見せなくなった。

 矢田七海は、日本神話に登場する、『八咫烏やたがらす』と、学校で呼ばれるようになった。

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女子中学生の咆哮 星乃 @syoji_hoshino

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