主旋律のないカタルシス
梅里ゆき
主旋律のないカタルシス
「現実はプラスティックだ」と類は語る。俺には理解できなかったが、類の中性的な見た目とは正反対な低い声に説得力を感じて、頷くことしかできなかった。
本当に現実はプラスティックなのだろうか。俺にとっては、今日も学校へと通う道中のパン屋の匂いはいい香りであったし、道端の砂利を踏み締める感触は歩くのを邪魔していた。だが、類にとっては違うようだ。確かに想子が死んでからと言うもの、類は変わってしまった。いつも一人で居るようになり言葉数も減った。
今でも思い出せる自分の彼女であった想子と今も親友である類を失ったように思えた。けれど、現実がプラスティックだとは思わない。現実は今日も巡り時間が過ぎていく。
そう、今も。今日は類には早く来るな、と携帯電話で伝えていた。学校には俺ともう一人。類について話したいことがあると想子の友人である花苗だけがいた状態だった。
俺に話があると言っている花苗が口を開こうとした瞬間にドアが開く音がした。
類だ。花苗は類を敵視したような様子で、少し俺や類から距離を取りながら「この嘘つき」と言った。居るはずのなかった類は無表情から久々に見る綺麗な笑みを見せながら、俺に朝の挨拶を軽くした。
口喧嘩にめっぽう強い類だが、簡単に言い争うようなヤツではない。しかし、今日は違った。というよりも、変わってしまったのかもしれない。
「誰が嘘つきだ。僕は必要のない嘘を言わない。それに花苗、お前に嘘をついたことなんてないだろう」
最近、様子がおかしい類と鉢合わせさせたくなかった。だから、わざと類に連絡を入れていた。万が一にもこんな風にしたくなかったからだ。だが、類は最近真っ当に携帯電話の内容を見ない。遊びの約束すらおぼつかない状態だ。
俺にとって、この状態は望まないことだった。朝の学校のこの時間には類くらいしか来ないことはわかっていたが、花苗の話を一つも聞けないまま類に言いくるめられるだけの状態が目に見えてわかるからだ。
「だから早く来るなって言ったんだ。類、花苗は俺に話があるんだ。そうだろ?」
頷く花苗は萎縮している様子で怯えているようにも感じた。「だから花苗、後で聞くからさ」俺は宥めるつもりで花苗に言った。だが、萎縮している花苗に類は笑みを湛えながら近づく。花苗は逃げようともっと距離を取った。
「でも僕の話なんだろうから、僕が直接聞きたいな。言えないようなことをした記憶はないよ」
「お前のそういうところがお前に話せない理由だろう?」と俺が諌めると類は無表情に戻りながら頷いて「僕が悪かったよ」と言った。俺は自覚していた。類は自分と想子に弱いことに。だから、仲裁できるのは自分しかいないこともわかって花苗をわざと黙らせるような言い方をした。
「花苗、悪いけど後で時間取るから話そうな」
「……わかった」無表情に戻った類を睨みつける花苗は俺にそう言うと急いで自分の席へとついた。
「連絡しただろう、今日は早く来るなって」責め立てると類は呟いて「わかってるよ。親友の告白だと思って応援に来たいと思っただけで」
俺は耳を疑った。「僕は大輝に嘘はつかないよ」と軽く笑った。
類が最近には珍しくよく笑っている。そして嫌味が酷い。「だって、断るだろう?」と続ける。嫌なところばかりつく。
類はもっと素直で優しい小説の好きな男だった。俺にも想子にも花苗にも優しい男だった。たまに喧嘩したら強い面があったが気性が大人しくて、あまりそういったことを好まない良い男を体現したようなヤツだった。
「お前、本当に変わったよな」
「大輝の変わらないところがいいと思ってるんだけどな」
「なんで変わったんだよ」
類は悩んだ表情をして、今度は困り笑顔を浮かべる。
「現実がプラスティックだからかな」
「またそれだ。俺にはわからない」
「いいんだよ、大輝はそのままで。想子だってそう言ってただろ」
そう、想子がいなくなってしまってから類は変わった。あまりにも苛烈なあの出来事があった以来、変わってしまったのだ。俺だって変わっていないわけではないし、失った傷を癒すことはできていない。だが、親友である類があまりにも変化してしまったことが、俺にとってはより現実を生々しくさせた。類までも居なくなってしまうのではないかと、恐れてしまうからだ。
今日はとても晴れていた。雲ひとつない晴天で、青が綺麗に映えていた。想子は今どこにいるのだろうか。俺は考える。あの出来事を思い出すたび、心のモヤが一つずつ胃の中に溜まっていくようだった。
想子がいなくなって一年。俺と類の形が変わってしまったのは間違いがなかった。花苗はどうしてあんなにも怯えていたのだろうか。疑問は募るばかりで、俺はどうにもこの高校一年生という馬鹿すぎる脳みそを抱える。
「それで、花苗。どうしたって言うんだ。類について話したいことがあるなんて」
俺と花苗は昼休み、学校の階段で話している。類は変わってしまったが、未だに本の虫であることは変わらない。昼休みは話しやすい時間だった。
花苗は俺に覗き込むように申し訳なさそうに言う。
「今更なんだけどさ、いつ伝えようかってずっと悩んでたんだけど。何にもできないし、想子ちゃん私にもまともにそのこと言ってくれてなくて、勘違いかもと思ったりもしたんだよ。だけど、そろそろさ、良いかなと思って言おうと思ったの。
想子ちゃん類くんとも付き合ってたと思うんだけど、大輝くん知ってる?」
俺は耳を疑った。正直険しい顔をしている自覚はある。だが、花苗は類の時とは違って怯えていなかった。
「いや、想子は俺の彼女だったし、類は俺の親友で彼女がいるって言ってたけど」
「私もね、確信がなかったし、二人でいる時に手を繋いでるのは幼馴染だからなのかなと思ってたの。3人は基本一緒だったしね。でもね、聞いたの」
「誰から」俺は聞く。何も信じられなかったからだ。花苗の話はまるで怪談話のようで、嘘をついているとすら思えた。
「類くんがね、想子ちゃんは殺されたって言ってたの。それでね、見てたって。現場で見てたって言ってたの」
「殺された? 想子は自殺だし、類は巻き込まれていたはずだけど」記憶との整合性の取れない言葉に戸惑うばかりだ。
「だからね、なんかなんだろう。伝えてきた時の類くん怖かったの。自分が想子ちゃんの復讐をしないといけないみたいなこと言ってて」
「いや、それに近いことは俺も聞いてるよ。想子は殺されたの一点張りで警察もお手上げだったんだから。俺は想子や類が嘘をついていたとも思ってないし、その当時も俺を待っていた状態だったんだから、それが想子と類が付き合ってる証拠にはならないだろ?」
そう言うと黙り込んだ花苗は、戸惑う俺に投げかけるように聞く。
「じゃあ、類くんの彼女、誰か知ってるの?」
確かに俺は類の彼女ははぐらかされて一度も会ったことが無かったし、名前すら教えてもらったことが無かった。
僕が現実をプラスティックだと思わなかった時期。想子は白く仄かで儚げだった。一人で立ってるのは辛そうな女の子だった。くるくると表情を変える想子は大輝の前。静かに泣いてる想子は僕の前。そうやって上手くやってきたじゃないか。
空の色は曇ったグレー。僕の元から少なかった物の部屋はあれからもっと少なくなり、モノクロに包まれた空虚な部屋だ。
「ああ、こうやってしまうのは君が忘れられない僕の罪のせいだね」
僕の部屋に響く自分の声は随分静かで、部屋は空っぽなのにまるで響かない。僕の心には想子だけがいる。僕はこの日、今日という日。きっと君と僕が本当の意味で結ばれた日を忘れられない。僕の腹部に残した傷跡は想子との記念だ。
ーーあの日。想子が死んだ日。あの日の東京と想子の鮮明さは燦爛としていて僕の目を焼き切ってしまったようだ。
僕は想子が死んだ時にあったナイフと同じものを持っている。そのナイフだけは鮮明で、木材の柄には艶があり、ナイフ部分は包丁とまで行かないがペティナイフよりは大きめだ。
僕はそれを強く枕に突き刺した。突き刺したナイフを枕から引き抜くと、はらわたのように噴き出てくる綿。綿は広がり宙を舞う。そこに僕は自分の掌を刺して血を流した。
そうこれは、あの日の僕だ。
「これが僕で、君はここにいて笑ってる」
笑顔の想子は僕をみていて、僕に語りかけている。
「きっとこれで全てが完成するの」
僕には一つもわからなかった。きっとこれは僕の浅はかさであり、罪なんだろう。
やけに鮮明に残っているのは過去の記憶だけだ。僕たちは煌めく都会に卒業旅行に来ていた。よく女の子一人、男二人の3人の中学生を旅行に出してくれたものだと思っていた。
あの時、僕を刺したのは紛れもなく想子。なのに、想子は栗毛気味の髪の毛をベッドに投げやって、寝ていた。綺麗にも思えたその様子を覆すのは赤い色だった。
赤色の鮮明さだけはやけに今でも現実的で、気持ちを潜らせる度、想子は僕に何を伝えたかったのかを考える。
大輝には内緒の時間。大輝はきっと何も知らないんだろう。こんな二人の劣情を。
想子の部屋には僕と想子。これからあるのはいつもの泣いている想子の慰めの相手だと思っていた。僕の彼女は紛れもなく想子で、まともに想子は愛を伝えて来なかった。だが「大輝には言えないの」これが想子の口癖だった。
いつものように涙ぐむ様子に僕は想子を抱き寄せる。その瞬間だ。
一瞬の出来事であった。
二人の空間突然起きた僕への危害。僕のはらわたに刺さるように想子は刺していた。現実味がなかった現実は、痛さと共にやってきた。
「想子、どうしたの」僕がやっと言えたのはその言葉だった。
「やっと、やっとよ」
想子はそう言いながらくるくると笑って、ベッドに座る。想子は今までで一番可愛かった。ぼんやりとしてくる視界の中で、僕が視界に入っていないことがわかる。流れていく血を見るとまるで自分が道端で轢かれた鳥のようになっている気持ちになった。道端に転がっている石のようにも感じた。だが、僕はぼやける視界をなんとか開けようと抗う。でも、想子は気づいた時には居なくなっていた。物理的にいなくなっていたわけではなくて、眠り姫のように寝ていた。鮮明に映るその姿は、栗毛気味の髪の毛をベッドに投げやって、寝ていた。綺麗にも思えたその様子を覆すのは赤い色だった。まるで天使だった。この世を終わりを告げるような天使の姿だった。
そして、部屋は扉の音が聞こえる。まるで全てが仕組まれたようだった。
僕が目を覚ますと、そこは病院だった。僕が見れたのは本当に眠りから覚めない眠り姫になってしまった想子の姿。そして、僕は誰よりも最後に目覚め見るのも一番最後だった。
体温があったはずの体は冷たくて、今はもう遠い人であることを叩きつけられた。僕は一人想子に祈るように呟き続けた。
何があったと言うんだ想子。僕たちはなんだかんだ上手くやってきたじゃないか。僕たち3人はどうしようもない関係だったが、上手くやってきたじゃないか。僕が最後に見たのは想子の笑顔だった。何にそんなに喜んでいたと言うんだ。僕にも教えてよ。僕は上手く君への劣情を隠してきていただろう。
祈りはどこにも届かない。色彩もどこかに消えていってしまった。きっと君が浅はかな僕には無用な長物だと奪っていってしまったのだろう。
愛してる。どこまでいっても。どうしようもない僕だけれど。こんなことになっても君を忘れない。この世のどこにもいない君は僕のもので僕が愛している。最初で最後の最愛の人だ。
俺は焦っていた。類のことを考えると悪い方にばかり考えてしまうからだ。俺は類のことを何も知らないのかもしれない。だが、側面として見てきた類はとても誠実な奴だった。
「現実はプラスティックだ」と類は語る。俺には理解できなかったが、類の中性的な見た目とは正反対な低い声に説得力を感じて、頷くことしかできなかった。
そうなのだろうか? 本当に?
さっき俺が、歩いているその場所には小さな石を感じられて、鬱陶しく感じられるし、パン屋の匂いもいい香りだった。
ただ、今俺の前にあるのは類のまるでプラスティックはこれだと見せているようなグレーな部屋の中だけだ。青系に彩られているはずの類の部屋は以前きたとより殺風景で元からものの少ないやつだったのにどこを減らしたらこうなるのだろうか、と言った様子だった。
「お前さあ、どうしたんだよ」
「はあ、どうしたも何もお前も体験しただろう」
「またその話だ。なんで花苗にいきなりしたんだよ。怯えてたぞ」
「怯えるって、知らないよ。事実しか話してない」
「だからさ、想子はお前の幼馴染以外にないのに、勘繰ってたんだよ」
「想子は殺された。その事実だけ言っているだけだよ」
「事実は自殺だろ」
「まあ、座れよ」
ベッドを刺され、促されるままベッドに座る。
「ここにくるのも随分ぶりなんだから、少しゆっくりしよう」
類はそう言うと、自分の椅子に腰掛けた。回るタイプの勉強椅子だ。
「想子、よくここに来ると、この椅子で遊んでたよな」
類はどこか遠くを見つめたような深い笑みを浮かべている。
「俺らそっちのけで携帯いじってたしな」
「よくやるよ。なんだっけ、ゲームよくやってたな」
ふと蘇る。鮮やかな記憶たち。もしかしたら、現実がプラスティックというのはとても現実がつまらないという意味なのだろうか。
「彼女、聞きにきたんだろ」
類は笑いながら言う。
「なんで分かるんだよ」
「きっと花苗がそういうこと言ってそうだなって思ってさ」
「そうなんだけど」と少し疑っている自分が申し訳なくなって俯く。
「花苗、ご名答だよ」
類は引き出しから、一枚のプリクラを出した。俯いた俺に見せる。二人で写った生々しい写真。
「携帯にならもっとあるけど、見る?」
「なんで……」
「知らない。というか教える気がない。
大輝はそのままでいてほしい。想子の想いだよ」
愕然とする俺をよそに類は静かに立ち上がった。
「僕が殺した」
うんざりしていた。友人と恋人二人から裏切られていたのかと思っているタイミングでその狂言に辟易した。
「違うと思っているだろうけど、想子、僕の前で死んだじゃん」
類は言い切る。そして少し嬉しそうだ。
「僕が殺したし、想子は僕のものだよ」
「そういうことじゃないだろ」
力なく言うと「そう言うことなんだよ」とにっこり笑っていた。
男は徐に近づいてくる。化け物のような男に少し萎縮する自分がいた。友人だった男だ。
「しばらく痛いかも」
その瞬間だった。鳩尾を何度も執拗に殴られた。抵抗しようとすると、思いのほか力が強く、頭を壁に打ちつけられた。
飛びそうだった。その時、男が取り出したのはなんとなく見覚えのある刃物だった。
「やっとだ。今なら君の気持ちがわかるかもしれない」
そう言ったのは男だった。
「色々あったね。笑ってバイバイだ」
朗々と語る男は自分の胸に刃物を突き刺していた。朦朧とする意識の中、友人に声をかけようとするも、声が出ない。
「……君のやりたかったことはこういうことだよね。
愛してるよ。延々と永遠に」
黒い服装だけの群れはまるで烏が集まっているようだった。
俺は友人も彼女も失った。
類の親が泣きながらも最近枕が真っ赤になっていて手が傷ついていたりおかしかった様子があったから仕方ないことなのだろうといっていた。
だから俺のせいではない。仕方ないのだと。
来れているのはそういう理由だ。
グレーな空にコンクリートはグレーの色。もしかしたら、類が見えていたのはこういう世界だったのだろうか。
あの日以来、全てがどうでもよくなった。
真実を知っている二人はもうここにはいなくて、俺には説明する気もなく居なくなった。
居ないのだ。誰一人。
自分の親も泣いた。周りの友人たちも泣いた。
俺だけは泣けなかった。想子は自殺だったんだろうか。類は自殺だったんだろうか。
何もわからないのだ。
きっと狂わせたのは俺だったんじゃないだろうかとすら思える。
静かな葬列は泣き声が聞こえるくらいなもので、厳かに行われた。
俺らは旅行に行って、何も得なかったんだろう。
後悔ばかりが残る場所だ。
煌びやかに見えたあの瞬間はきっと俺らが悲しみを知ることを予見していたのだろう。
さようなら、彩られた世界。
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