浜辺の少女
北条士郎
浜辺の少女
一
真夜中にふと目が覚めると、自分が泣いていることに気がつく迄何秒かかるだろうか、と僕は思った。
静かな、真夜中の部屋には、窓が一つある。窓からはちょうど月の光が射し込み、窓辺に接す机の上の手紙の文字がかすかに浮かび上がって踊りだす。僕は椅子に坐って、その手紙を(その短い手紙を)一文ずつ、沈黙のままに読む。手紙に小さなしみができていることに気がつく。それが僕の頬を落ちた涙だと、僕はだんだんと分かりはじめてくる。そうして僕は窓に映る自分が泣いていることを発見する。
そんなことを考える。
二
波の動きを見ると安堵する。
引いては寄せ、引いては寄せ、引いては寄せ………砂浜にしゃがんで、ぼーっと眺めていると、足元まで冷たい波が寄せてくる。
冬の海は静かで、潮の匂いが鯉のぼりのように宙を泳ぐ。
三
世界がもっときれいだったら、私たちはきっとこんなふうに生きれないだろう。だって、そこに住むのに私たちは汚すぎるもの。
夜の浜辺の彼女の言葉だけは、今も波の音に混じって聞こえてくる。そんな気がするというだけかもしれない。しかし今も耳をすませば、僕はそこに彼女の声を聴くことができる。
水平線に浮かぶ入道雲の白さが、どこまでも長く続く高い高い青空の爽やかさが、そんなものが、僕を生きづらくさせている。
くだらないことばかりの手紙を、君へ。
四
ブランコを夜に漕ぐ。
していることは子供の頃と変わらないのに、辺りが真っ暗で誰もいない、ただそれだけで、大人になったことを僕は知ってしまう。
帰ろう。
ブランコを立ち上がると、銀の鎖がやけに軋む。そろそろ痩せないとな。
水銀灯が眩しい。
五
友達が死んだ日の夜、僕は夜中に海に行った。
死ぬためだったかも思い出せない。友達は僕にとって唯一の友達だった。親友と言い換えても差し支えなかった。しかし親友は、一人で散歩しているときに池に落ちて死んでしまった。
月の光の満ちる浜辺には先客がいた。
長い髪の制服の少女。そのあまりの髪の黒さに、僕は枯れた春を見た。
少女は裸足になって、波の寄せる浜辺を駆け回っていた。僕に気がつくと一度立ち止まって、大きくその細い右腕を振った。
僕はサンダルを脱いで浜辺へと駆けた。
六
「こんな時間に、なにしてるの?」
「友達が死んだんだ」
「どうして?」
「池に落ちて死んだ」
「まぬけだね」彼女は笑った。
僕も笑った。「まぬけだよ」しかし僕は泣いていた。「まぬけなやつだった」
「きれいな涙を流す人」
「だれだって涙はきれいだよ」
「こんな月が出た夜には」
「そしてこんな海を眺めるには」
僕たちは笑っていた。
水平線の向うで誰かが手を振っている。
「あれが、あなたの友達」
僕はせいいっぱいの大声で友達を呼んだ。溺死体となった彼の身体はぱんぱんで、そんな姿をもう二度と見たくないと拒みそうになった気持ちを抑え、喉が擦り切れるまで叫んだ。
「さようなら」
「さようなら」
友達はいなくなった。
「ありがとう」
僕は少女に言った。
少女はくすくすと笑った。
七
誰かといっしょにいるときほど孤独を感じる。
騒音の中に身を置くほど、静かだと思う。寂しいと思う。
誰かに怒られているときに幸せを感じる。
でも今は誰からも怒られないし、僕は僕自身を怒れない。
だから、僕は布団の中で丸くなる。
今日は肌寒い。
八
波を見ていると、生きるということをそこに重ね合わせそうになる。
だからなんなんだろう。
九
僕がこれを書く意味を考えてみた。僕はなんのためにこんなものを書いているんだ? そもそもなぜ書こうと思ったのか。
思い出せない。
十
涙はとうに枯れてしまった。
十一
浜辺の少女と、久しぶりに出会った。
彼女は何一つとして変わっていなかった。月の光の満ちる浜辺で、あの時と同じように制服を着て、裸足で浅瀬を駆け回っていた。そうして、僕をみると、哀しげな顔をした。
「ああ、あなたも………」
僕は微笑んだ。
さようなら。
さようなら。
浜辺の少女 北条士郎 @Hachi0805
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