第8話 新生活の予感(2/2)
王立大学内のイスンサレーカの応接室に明かりが灯された。外の強い風は相変わらずで、
ダニは上等そうな椅子の背もたれに体を預けてリラックスした姿勢で、イスンサレーカに向かって言った。
「あんた魔術の天才なんだろ? 俺は技術を習得したいんだよ。ま、ライラのほうはありがたいだろうけど」
楽にしろ、気を使うなとイスンサレーカに言われたので、素直にダニは敬語を使わないことにした。
イスンサレーカに魔術の試験はいつ受ければいいか尋ねると、自分が“預かる”から必要ない、天才であるイスンサレーカが教えを授けてくれることをありがたく思え、とまで言われた。
預かるって何だ? あと、自分で自分のことを天才呼ばわりするのはどうなんだ?
イスンサレーカの地位のおかげでどんな形であれダニもライラも大学で学べるなら、ひと安心だ。
ただライラは魔術を学ぶ気になっているようだが、ダニはそうではない。ダニはお金を稼ぐ力を身に着けるためにここに来た。希望の村の道具屋だけでも生活はしていけるだろうが、技術を身につければより堅実に家族を養える。自分の手で質の良い品を作り、それを妻――つまりライラ――が売る、これがダニの考える最善の未来図だ。
大した魔力のないダニが魔術を学んだところで、たかが知れている。それに、すでに魔術師ですごい魔力のヴォルクスと同じ土俵で張り合うのは分が悪い。
ふむ……、と言いながらイスンサレーカは自分のこめかみに人差し指を当て何かに集中している。
「おぬしの魔力は…… ヴォルクスのものだな。ワタシには分かるぞ」
ライラの魔力についての詳しい話はまだこれからだが、どうやらイスンサレーカはライラの魔力が見えているようだ。胡散臭くはあるが、本当に能力のある天才の魔術師なのかもしれない。
「……はい」
緊張した声でライラが返事をする。他人の魔力を保有していることを
あれは事故だ。ライラに責任のないことをいつまでも気にする必要はないとダニは思う。
「大いに結構! その持て余すほどの魔力、魔術の
急に大きな声を出したイスンサレーカに驚き、ダニとライラははっと身構えた。
魔術の話題となるとスイッチが入り、時に暴走するというイスンサレーカの性質をまだ出会ったばかりのダニとライラが知るはずもない。
「よいか…… 魔術というものは、リビドーとデスルドー、あるいはエロスとタナトス…… どのような言葉を用いたとて、結局は生と死、創造と破壊のぶつかり合いから生まれるもの。ヴォルクス、ライラ、二人の抱く強い感情すらも、魔力の源泉となる」
何に興奮したのかイスンサレーカは立ち上がり、右へ左へと動き回って演劇舞台の役者のように腕を大げさに広げる。
ダニは
「りびどーとでするど……? あるいは……えと、なに?」
なぜヴォルクス? 強い感情? 一体、何のことだ?
ダニは唐突にヴォルクスの名前がイスンサレーカの口から出たことに違和感を覚えた。言い間違いだろうか。仮にダニが魔術を会得したいと思い込んでいるとして、ダニとライラと言うのなら分かる。
「ただ、若さに任せておぬしらはやりすぎだ。おぬしのアンバランスなほどの膨大な魔力…… ヴォルクスもああ見えて、いや、ライラ、おぬしも見かけによらず、か? 結構なことだが、過ぎたるは及ばざるが如しという言葉もあるぞ。魔術師として、魔術の真理探求という本来の目的を見失うことのないよう……」
イスンサレーカは言い終わると、
「おい、やりすぎって何のことだ……? さっきから、何か勘違いしてねーか?」
笑い声には微かに下品さが混じっているのをダニは見逃さなかった。
イスンサレーカはダニの言葉が耳に入らない。これはダニだからではなく、いつものことだ。魔術のこととなるとイスンサレーカは一人の世界に入り込んでしまう。天井なのか窓なのか彼女の目線はゆらゆらと何かを追いかけ、どこか陶酔したような表情を浮かべている。ダニとライラには彼女に何が見えているのか分かりようもない。
「しかし、着眼点は非常に良いぞ。それによって魔力が至高へとさらに昇華するか否か…… ふむ、おもしろい。ヴォルクスは理論派かと思っておったがな。魔術師の求める理想、無意識の超自我に至るという境地を求めるアプローチは人それぞれ、どのような試みも否定されるべきではない!」
ダニが
「だから、やりすぎって何だよ…… 気持ち悪い想像してんじゃねーぞ!」
「おぬしが気持ち悪かろうが何だろうが、魔術師が構うものか。己の深淵なる心を覗き込む姿が、他人からどう見えるかなど取るに足らぬこと。魔術とは常に自己との対話だ。おぬしはおぬし自身の世話を焼いておるがいい……」
イスンサレーカは
「……あの、すみません。つまり、何のことですか……?」
おずおずとライラが口を挟むと、イスンサレーカは意味深な目で惑わすように
「つまり、あれのことだ……」
「え? ……まさか、あれ……?」
イスンサレーカはもったいぶって茶化した言い方をした。ライラはライラで、またその話、と頬に手を当てまごまごと赤面している。
あれとは? それぞれがどの話をしているのか分かりたくない気がする。ダニはこの歪んだ状況に軽くめまいを覚える。
「あれって、何だよ! このスケベ魔術師! ライラ、こいつの相手をするな……!」
ダニはライラに聞こえないよう声を落としながら必死でイスンサレーカの誤解を解いた。
特に、ライラとヴォルクスを恋仲だと勘違いしていることは、絶対に訂正しておかなければならない……
ヴォルクスの魔力をライラが保有しているのは、魔王様にヴォルクスの体が奪われるのを防ぐためのなりゆき上の事故であって、それ以上のことはない。イスンサレーカの想像するようななにかをやりすぎたりした訳では絶対にない。
それが何だろうが、断じて有り得ない。
イスンサレーカは、時々聞こえづらいのか「はあ?」と聞き返したり、「はあ」と間の抜けた相槌を打っていたが、すべての説明を聞き終えると不審そうに唸った。
「あのヴォルクスがこのワタシに頼むと言うからには、てっきりそういうことかと……」
大きなテーブルの隅に取り残されたライラはシズカを抱いて大人しく待っていた。
イスンサレーカはおもむろにライラのそばに寄るとすっと手を差し伸べた。頭を軽く下げ、エスコートの姿勢できりっと真剣な表情をしている。
「どうやら、いささかながら思い違いがあったようだ…… 魔術とはおぬしの心の求めに応える。それは真実だ。ワタシが導いてやろう」
ライラは戸惑いの表情を浮かべながらおずおずと応える。
「……あの、ここまでの話は難しくてよく分からなかったんですけど、どうぞよろしくお願いします……」
ダニには、ライラにイスンサレーカの話を理解するほどの勘の鋭さが無かったことがせめてもの救いだった。ほっとして目頭を押さえると、ライラが疲れてる?と心配してくれた。
「ヴォルクスの真意は何にせよ、とにかくそのマントは大事にな。魔術師ならだれでも喉から手が出るほどの逸品だぞ。よいな」
「べつに真意なんか、
真剣な顔で頷くライラを横目に、ダニが反論した。
イスンサレーカはダニとライラの顔を交互に見て、ほう、と訳知り顔でニヤニヤと卑しい顔をして見せる。ダニは嫌な予感がした。
「ダニ、技術を学びたいのだな。それはワタシがきっちりと教えてやる。しかし、魔術と共にだ。おぬしのような人間を一からじっくり育ててどうなるものか試してみたいと思っておったところだ。おぬしには、そうだな……素質がある」
「は? 俺にまともな魔力が
「……あるのは素質だ。喜ぶがいい、おぬしは若いころのワタシに似ているぞ」
少しもうれしくないことを、喜べるはずがない。
素質というのは、言葉通りに本当にあるのだろうか。その気にさせて変人天才魔術師の暇つぶしにでもされるのか、それとも魔術の真理探求とやらの道具にでもされるのか……
どうあれイスンサレーカにはなにか得るものがあるのだろうが、ダニにとっては時間の無駄でしかない。
「ワタシが預かるからにはこういう楽しみもあっていいだろう…… 言っておくぞ、おぬしに選択権はない。快く従うか、従わされるか、だ」
「嫌だっつったら?」
にたり、とイスンサレーカが口角を上げて笑ったかと思うやいなや、ライラに向けて声を張り上げた。
「ライラ、よく聞け! ダニはおぬしのことをなぁ……!」
「ちょっと! 待て! 待て、とりあえず待て!! ……わかった、わかったから!!」
慌ててダニが制止する。イスンサレーカは愉快そうな得意顔をしている。
ちらりとライラを見やると目が合い、その目を細めて無邪気に
「……ダニ、あっという間にイスンサレーカと仲良くなったね」
ダニはどっと疲労を感じた。
「話は
誰のせいだよ、と言い返す力がもう残っていない。テーブルに上半身を投げ出し突っ伏して倒れこむ。
振り回されるのは慣れているし楽しみな部分もあるが、それは相手がライラだからこそだ。イスンサレーカの相手はちょっとやそっとのことではない。これからの日々、先が思いやられる。
ダニが大きなため息をついたのを見かねたように、そっとシズカが体を寄せてきた。
異世界ってどんなとこ?魔王様は待っている! 有座ハマル @ari_1-12
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