第3話 影に潜む闇の者(1/2)
おばばの手の治療を終え、ライラは部屋の窓を開けた。外は明るく、新鮮な空気が心地いい。
「いつか勇者様が殺しに来る、って……やべーな。ヴォルクスのでかい魔力を防御に全振りしたら助かったりしねーのかな」
ダニが戻ってきたライラにひそひそと小声で話しかけてきたのを、魔王が聞きとがめた。
「勇者を返り討ちにすればいいだけだろうが、小僧」
「え、そんなことしたら……天罰が下ったりしません?」
言われたダニは青冷めた。それくらいとんでもないことを魔王が言った。
考えもしなかった。そんなこと許されるはずがない。そもそも出来る訳がない。普通の人間にそんな力があるはずもない。だけど、もし万が一にもヴォルクスの命が助かる可能性があるのなら……
「……それは、断る。自分の命惜しさに勇者を殺すくらいなら、魔王と共に死ぬほうがましだ」
ヴォルクスの声だ。
ライラはのその冷たい響きにどきりとした。ヴォルクスはベッドからゆっくりと体を起こした。いつも通りの落ち着きをもっていて、魔王ヘルデナラークの言葉に驚いている様子はない。話をほとんど聞いていたのだろう。
ライラと目が合うとヴォルクスは静かに微笑んだ。
「勇者を殺すと言うことは、世界を絶望させることだ。私はそんなことはしない」
強い意志と覚悟を感じる。
「人はいつか死ぬ。その時がいつなのか誰も知らないだけだ。勇者が現れた時がその時だと知りながら生きることは、そう悪いことではないだろう」
「でも……」
それでも…… ヴォルクスが死んでしまうのは、嫌だ。
「私は、子供のころからよく悪夢を見ていた。大人になれば治ると言われたが、逆にどんどん酷くなった。眠ることが恐いほどに。だが、あれは魔王ヘルデナラークの夢だったと…… 今やっと分かり、安心した」
雷に倒れ眠っている時も、ヴォルクスはひどくうなされていた。そんなに酷い悪夢を子供のころから…… 魔王、絶対に許せない。
「おい、娘。怖い顔をするな。オレ様がわざとやったと思うのだろうが、不可抗力だ」
言われてライラは魔王を睨みつけていたことに気付き、慌ててそっぽを向く。
「悪夢が何の影響か分からなかったが、普通ではないということは分かっていた。魔王の言う通り私は魔力量が多い。王立大学で学び魔術師になり、そのまま研究者を目指していた。万が一にも、私が悪夢にうなされ魔力を暴走させるような事故を起こせば誰かが傷つくだろう。それを避けるため、私は都を離れた」
おまえの魔力が無駄にでかいのが悪いんだ、と魔王は責任逃れの言葉を小さく口にした。魔王のせいで、ヴォルクスは自分の生活を犠牲にしたのにとんだ言い草だ。
「だからこんな田舎にやって来たの……」
「しばらく希望の村で暮らして生きるすべを身に付けたら南へ…… 国境も越えてずっと南へ行くつもりだった」
希望の村は東の国境が近い。東の国境は山を越えればすぐ、向こうにはダーライカンとは友好国であるレシャコットがある。
南の国境までははるか遠い。そもそも国境がどこなのかも分からない。南に向かうと奥深い森が広がり道もまともにない。その先は険しい山々がそびえる。
地図上で南の国境とされる地域から先は未開地だ。標高の高さと低気温のため人は住めない。その高い山脈を越えたさらに南には何があるかは定かではない。
「……なんで、そんな危険な場所まで行こうとしたんだよ」
「人の行かない場所を、冒険したかった」
南の森が広がるあたりからは魔物が住むといわれている。南に行くことが何を意味するのか、はっとライラは気付いた。
「まさか、死のうとして……」
「もし自分から死にたいと思うようなやわな性分ならとっととオレ様が肉体ごといただいておるわ。逆だな。こいつにとって、魔物なんぞどうということはない。こいつは一人で生きようと考えた」
「火の起こし方も知らず、食べられるものの判別もろくに出来ず。それなのに、勇敢だろう」
ふっ、と自虐的にヴォルクスが笑った。
希望の村に来たばかりのヴォルクスはまき割りも出来なければ、動植物の知識も限られたものしかなかった。よくある野菜の判別でさえほとんど出来なかった。
あのまま一人で南下したら、魔物は倒せたとしても自然の力にあっさりと負けて生き延びられなかっただろう。そのくらいヴォルクスはワイルドとは真逆の青年だ。
「何はともあれ、ヴォルクス。かくなる上は魔王様に出て行ってもらう方法を探すしかあるまいのう…… 大学につてがあるなら、心当たりはないか?」
おばばの言葉にヴォルクスは少し考えて答えた。
「都にいるイスンサレーカという人は魔術に詳しい。あの方なら……」
ヴォルクスに誰か心当たりがあったことにライラはほっとした。
イスンサレーカなる人物がその方法を知ってさえいれば、ヴォルクスはすぐに自由になれる。大学の偉い先生だろうか? ライラは大学で学ぶために都まで行くつもりだから、その先生がヴォルクスを助ける姿を見届けることもできる。
よかった。思っていたより簡単に……
ライラの心とは反対に、おばばは心配そうに言った。
「ヴォルクス、里はどこじゃ? ルタウセンに向かう前でも後でも良いが、おまえさん、家族には会っておきなさい。魔王様と共にあればこの先、長い旅になるかもしれん」
「ありがとう、おばば。だが私には帰る家も家族も無い……」
寂し気にヴォルクスが答えた。
ライラはてっきりヴォルクスの家族がルタウセンにいるものと思いこんでいた。そう聞き、
「おい、娘、お門違いだ。睨みつけるな」
魔王にじろりと見返されて、ライラは慌てて目を逸らした。
「話を戻そう。魔王、お前の望みは何だ? 私の体を離れて、次はどうする。その返答次第でどうするかを決めよう」
「……ここで、世界征服が望みだ、などと言えば、さっさと勇者を見つけ出してオレ様を討たせるとでも?」
魔王は鋭い目つきだがその赤い瞳の奥は面白がっているようだ。
「そうなる」
「十中八九、お前も死ぬぞ」
「……覚悟している」
魔王は長く深いため息をついた。
「……オレ様はなぜ長い間亡霊になって彷徨っていると思う? ヴォルクス」
「恨み、復讐、怒り……そういったものを、晴らすためだろう」
そうだ、と魔王は言う。
「では、どうすればそれが晴れる?」
「それは……」
伝説では魔王ヘルデナラークは怨念から亡霊となり彷徨い、これまで人間の姿で二度復活をしたとされる。人間が知っていることはそれ以上でも、それ以下でもない。
「オレ様は千年前の戦争で勇者の聖剣によって右目を貫かれた。五百年前の北の海の船上では勇者の聖剣によって首を刎ねられた。あの刃のもたらす焼け付く痛みの感触を覚えているぞ。 恨みのためにオレ様が亡霊であり続ける……か。恨みは、少しも消えん。勇者を倒し、オレ様に歯向かう人間どもを消し去る」
その通りだ、と魔王は続けた。
「だが考えてみろ。千年前に戦った勇者クラロスはその場に
ライラたちは重い空気に押し黙ったまま、魔王がさらに続ける。
「それでもオレ様はここにいる。なぜだ? 封印を解かれ未だに記憶をもったままだ。どうすればオレ様の恨みが晴れる? 一つ分かっていることはこの先、必ず現れる勇者にオレ様はまた会うということだけだ。あと何度勇者を返り討ちにし、勇者に細切れにされれば、オレ様の番になる? オレ様の人生にはいつ終わりが来る?」
魔王の言葉を聞いていると、殺されても死なずにこの世に存在し続ける魔王が、ライラにはだんだん不憫に思えてきた。
ライラは死ぬことが怖いと思っていた。人は死ぬ。だから、人間は一生懸命に人生を幸せに生きるべきだと思っていた。
人それぞれ死ぬまでにやるべき事をやり遂げることで、幸せに人生を終えられるのだと思っていた。
魔王にはやるべき事があるのだろうか。それが何かわからないままでも、知りつつ果たせない後悔を持ったままでも、人間なら必ず死ぬ。魔王が死なずに何千年も彷徨い続けるのはなぜなのだろう。
「人はいつか死ぬ、お前はそう言ったな。オレ様はどうだ? 人間ではない、というか? 遥か昔にはオレ様も人間だったことがあったがな……」
辛い、と思った。魔王はきっと辛いだろうという同情だけではなく、その辛さをこうして聞かされても何も出来ない自分の無力さがライラは辛いと思った。
「望みは何か、という話だったな。オレ様にも分からん。ただ、お前が想像するような、この世の人間どもを絶望の底に陥れてオレ様が支配するというような簡単なことではない」
ライラは胸が痛んだ。魔王の言葉がずしんと
あの悪ガキさながらの傲慢な魔王に、こんな心があったなんて。魔王も人間だった者だと思えば苦しみを想像できる気がした。
沈黙が部屋を包み込んでいた。しーん、と音がしそうだ。息をするのも慎重になるほど、誰も何も言わなかった。
ライラはすっかり魔王に対する見方が変わってしまっていた。
「オレ様はお前がしたいようにするので構わん。見ての通り他には選びようがない。そこで終わるもよし、だ。終わらなければ、オレ様はまた彷徨うだけだ」
魔王の声には諦めたような響きがあり、ヴォルクスが観念したように答えた。
「勇者に見つかるか、魔王を追い出す方法が見つかるまで、私も付き合ってやる」
話は終わったようだ。
魔王とヴォルクスはそれで良いだろう。
だが、ライラはヴォルクスが死ぬのはどうしても嫌だった。
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