File.22「躊躇い・取り巻き」
「さあっ!御角くんっ!ラスト1セット!頑張るんだーーっ!!」
「ぐっ、うおおおおおおおおああああああああっっっっ!!!!!」
「ナイスバルクだ!御角くんっ!筋肉は、裏切らないっ!!」
「はぁ……はぁ……この調子でやってたら死んじまうぞ……」
訓練4日目の金曜日、俺は早くも徳川先輩のお気に入りになってしまい、もはや彼は俺の専属トレーナーだ。
「こらこら、この程度で弱気になってしまってはいかんぞ?平日はしっかり追い込んで、休日にきっちり身体を休める!それが、一流のボディを手に入れるためのメソッドだっ!!フンッ!!」
「わっ……わかりました……頑張りますっ……!」
「さあ、今日の訓練も終了だ。後輩諸君、お疲れ様だっ!!帰っていいぞー」
時刻は午後6時、徳川先輩の合図により俺たち男子生徒はヘトヘトになりながら帰路についた。黄昏時、一日の終わりを告げるかのように学園敷地内の街灯が徐々に灯り始めている。
「痛ってて……全身筋肉痛だなぁ……んっ?」
肩を落としながら正門前を通過しようとしたその時、中央広場の噴水横に置かれたベンチに腰掛けながら歓談をする二人の女子生徒の姿を見かけた。
普段なら気にも留めないのだが、今回ばかりはそういうわけにもいかないのであった。
「翡翠……先輩……」
俺は偶然にも命の恩人――翡翠蘭と目が合ってしまった。突然の出来事に俺の鼓動はたちまち高鳴る。吸い込まれそうなほどつぶらで大きな瞳は、見た者全てを虜にする。無論、俺もそのうちの一人だ。
翡翠先輩は俺に向かって胸元あたりで小さく手を振り、そして微笑む。この暗がりでもハッキリ判るほど眩しい笑顔――まさに彼女は太陽を司る女神、
――いやいや待て待て、ホントに俺に向けてか??俺が一方的に知ってるだけで向こうは何も……落ち着け、落ち着け俺っ……!
俺は気付かれるか気づかれないか程度に小さくお辞儀をし、照れ隠しのためにそっぽを向いた。あんな美しい御尊顔をまじまじと見つめてたらバチが当たりそうだ。というかその前に俺の理性が崩壊する。
「――かど、さん……?」
「……んっ?うわっ!……何だ、白百合さんか……」
マヌケ顔で惚けていた俺の背後から囁くように声を掛けてきたのは、俺と同じく訓練帰りの白百合だった。想像以上の距離の近さに思わず声が漏れてしまった。
「あっ、いっ、す、すみませんですっ!!と思います……いきなり声なんて掛けちゃって……」
「いやいや!白百合さんは悪くないって!ボーッとしてた俺のせいだし……」
俺は慌てふためく白百合を落ち着かせるため、顔の前で両手を激しく横に振る。
「……それよりも、女子は何の特訓してたんだ?」
「あっ、えっと……今日は、水泳でした。水泳部の顧問の先生が丁寧に教えてくれたんですっ」
「顧問の先生か……指揮官が教えてるんじゃなかったのか?」
男子は徳川先輩を中心として指導を仰いでいたが、てっきり女子は牡丹田が指導にあたっているものだと思っていた。
「指揮官はクロッカスの業務が忙しいらしくて、女子組もほとんど先輩から教わっています……」
「そっか、あの人一応クロッカスのトップだもんな」
担任教師としての顔しかほとんど見たことがない俺たちにとっては、あまり実感ができない事実だ。
それよりも――
「そうだ!あの時のお礼、言わねぇ……と……」
俺は再び噴水側に視線を向けたが、翡翠先輩の姿は既に無く、俺は次第に声量と肩を同時に落としてしまった。
「……御角さん?お礼って、その……」
「あっ、いやっ、こっちの話だ!気にしないでくれ。さっ、もう暗いしそろそろ帰ろうぜ!」
「……?」
俺の不可解な発言に戸惑う白百合に対し、つい反射的に誤魔化してしまったわけだが、まさか翡翠先輩の存在が今の俺に繋がっているとは思いもしないだろうな。
こんなの別に隠す必要なんか無いわけだが、どうしても俺の余計な
もしかしたら、白百合にもそういった部分があるのかもしれないが。
彼女に打ち明けるのには、もう少し時間がかかりそうだ。
————————————————————◇◆
「……ぃに!にぃに!早く起きて!」
「……んぅ~~むにゃむにゃ……あと10分だけぇ……イデデデデデデ!!!!!痛いって!!」
身体を揺すられても一向に起きようとしない俺の耳たぶを思いっきり引っ張ってきたのは、制服姿のすずだった。
「いてて……何だよ朝から……」
「じ!か!ん!」
すずがスマホの画面を俺に見せつけ、表示されている時刻を指差す。
「んんっ……っておい、まだ10時前じゃねぇか!今日は休みだろ……まったく」
俺は寝起きのストレスで頭を掻きむしり、再びすずに背を向けて床に就いた。折角の休日に妹に叩き起こされるなんて、一体どんな罰だよ。
しかし、すずは慈悲もなく俺の耳たぶを無言で何度も引っ張る。
「イデデデデデデ!!!!!痛いって!!わかった、わかったから……一体何の用だよ」
俺は赤く腫れた耳たぶを摩りながらすずに鋭い視線を向ける。一方のすずは、そんな俺の様子を見て大袈裟に溜息をこぼした。
「はぁ……やっぱり聞いてなかったんじゃん。今日は駅近のショッピングモールに買い物に行くって、昨日言ったよね?日用品とか、食品とか」
「あぁ……言ってましたっけ……?」
俺は気まずさを紛らわせるように不機嫌なすずから視線を逸らす。昨晩、確かにそんなことを言っていたような気もするが、訓練の疲れもあって聞く耳を全く持たなかった。
「……それで、何時に出るんだ?」
「今。すぐに。早くして」
「あっ、はい」
親父を彷彿とさせるような殺気を放ったすずは、まるで背後に負のオーラが纏わり付いているようだった。俺は慌てて寝巻を脱ぎ捨て、そそくさと制服に着替える。ヒュドール学園の校則は厳しく、外出時は原則として制服の着用が義務付けられている。
二人暮らしになってから主導権をすずに完全に握られている気がするのは俺の思い違いだろうか……
末恐ろしい妹様だぜ、まったく……
————————————————————◇◆
「……なあすず、あと何件回るんだ……?」
「うーん、あと……家電量販店と、アパレルショップと、それから……」
「なあなあ、もう帰っていいんじゃねーのか?お兄ちゃん、もう両手が塞がって歩くのも一苦労だぜ……」
駅前の大型ショッピングモールに到着した俺は、すずの先導により生活必需品の買い物に付き合わされていた。休日ということもあり、施設内は学生で溢れかえっていた。
「ダーメ!にぃにも私も、これから忙しくなるんだから。やれることは早めにやんないと、でしょ?」
「お、仰る通りでございます……」
――だからといって俺を奴隷のように
疲れ果てた俺の表情をじっと上目遣いで見つめるすずは、俺との間合いを唐突に詰め、顔の前で自身の両手を握りしめる。
「だからね、にぃに……お・ね・が・い♡」
「なあ、すずさんよ……いったい何処でそんなあざといテクを身につけやがった」
「何処って、私はもうそんな子供じゃないんだよっ」
意味深な発言を残したすずは顔をぷいっと背け、再び歩み始めた。俺は気づかぬうちに大きくなってしまったすずの背中を遠目で眺める。
「女子中学生、扱いムジィ……」
「――きゃっ!!」
ドテッ!
曲がり角に差しかかった瞬間、すずが男子生徒と衝突してしまい、反動で尻餅をついた。
相手側の男子生徒はすずを鋭い目つきで睨みつけ、軽く舌打ちをする。
「ちっ、んだよ痛ってぇな……なんだ、中等部のガキか」
「あっ、ご、ごめんなさい……」
男子生徒の高圧的な態度に怖気づくすずは、今にも泣き出しそうな表情をしている。妹の小刻みに震える肩を横目で見た俺は、怒りのあまり男子生徒の目の前まで身を乗り出す。
「おいっ、
その男子生徒はどこかで見覚えのある顔をしていた。直接関わったことは無いが互いに認知している程度の存在だ。向こうも俺が顔見知りだということに気がついたらしい。
「あんっ?……なんだ、誰かと思えば筋肉バカ先輩の手下か」
「黒華の取り巻き……名前は確か……」
「宇紺だ。
いや、それを取り巻きって言うんだけどな。
それに俺はいつから徳川先輩の手下になったんだよ……
「えっーと、それで……うんこくんだっけ?」
「う!こ!ん!だっ!!次その呼び方をしたら容赦なく殺す」
うんこ――ではなく宇紺は俺の胸ぐらを激しく掴み、今にも殴りかかってきそうだ。次どころか今ここで殺されるんじゃないのか……?
己の窮地に固唾を呑んでいると、背後からもう一人の男子生徒が現れた。背丈は宇紺や俺と同じぐらいだが、高校生離れしたガタイであることは制服越しでも明らかだ。
「なーんだ慎弥くん、こんなところにいたんスか……って、喧嘩はダメっスよ!?しかも……徳川先輩のお弟子さんじゃないスか!押忍!」
見た目の割に温厚な性格――この男にも見覚えがあった。もう一人の黒華の取り巻きだ。
あと俺は徳川先輩の手下でも弟子でもないからな。
「橋本、これは喧嘩じゃない。俺は彼とじゃれ合ってただけだ」
……いやどう見ても違ぇだろ!
「あー!そうだったんスね!」
そしてなぜ納得できるんだよ……
「そーいえば、あんたらの頭首様は一緒じゃないのか?」
「ん、苧環さんか?お前に答える義理は――」
「苧環くんは休日忙しいっス!なんせクロッカスの――」
「おいバカ!赤の他人のコイツにわざわざ言わなくていいだろ」
「あっ、そうっスよね……」
宇紺が橋本を慌てて口止めしたのには何か黙っておきたい事情があるのだろうが、正直そこまで興味は無い。というより興味を抱いてしまったら負けな気がする。
「いいかシスコン」
「……御角だ、御角陽彩」
「いいか御角、これだけは覚えとけ」
宇紺は俺に対してガンを飛ばすと、後ろを振り返りその場に静止する。
「苧環さんを見
それだけを言い残し、宇紺は橋本を連れて立ち去ってしまった。
「痛い目……か……」
そもそもアイツの実力は最終試験で散々見せつけられたしな。見縊るなんて以ての外だ。
人間性は終わっているが。
「にぃに……あの人たちもクロッカスなんだよね……」
「あぁ……先が思いやられるぜ……」
すずにご愁傷様と言わんばかりの同情の眼差しを向けられ、俺は苦笑するしかなかった。
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