File.18「教室・第一歩」

 「翡翠……蘭……」


 彼女の品格に顔負けしない、雅やかな名前だ。そして彼女の一挙手一投足に、周りの新入生は釘付けになっている。無論、俺もだ。生徒会長ということは、3年生――いや、リボンが青色ということは2年生か。ヒュドールの生徒であることは確信していたが、本当に年上だったんだな……


 こうしてハッキリと顔立ちを見るのは初めてだが、学内一の美少女であることは疑う余地がないだろう。今までの人生で出会ってきた女子と比較しても、その差は歴然だ。


 「――今年度は、ヒュドール学園創立40周年を迎えます。創立祭や体育祭、修学旅行……他にも、この学園ならではのイベントが目白押しです♪どうぞ充実した学園生活を送ってくださいね♪」


 彼女が深々と礼をした瞬間、新入生の大きな拍手が体育館中に響き渡った。中にはヒューヒューと指笛を鳴らしている者もいる。学園長の時とは雲泥の差だ。当の本人は唇を噛み締め、この現状に落ち込んでいるようにも見える。


 「生徒会長、ありがとうございました。続いて、新入生代表挨拶」


 そういえば、新入生側にも挨拶があるんだったな。確か筆記試験で1位だったやつが代表挨拶を任されるって話だったが……


 「――新入生代表、先進技術学科1年、樹雅也です」


 いや、お前かーいっ!!――と、つい心の声が漏れてしまうところだった。というか、何で俺に言ってくれなかったんだよ……


 マサのやつ、この難関校の入試でもトップの成績とは、親友として誇りが高いぜ。ははっ。


 マサの新入生挨拶は淀みなく進み、その後の祝辞やら何やらが終わると、ヒュドール学園の入学式は定刻通りに幕を閉じた。


 命の恩人が生徒会長だったり、親友が首席入学を果たしていたりと、初日から驚かされてばかりだ。



————————————————————◇◆



 ヒュドール学園本館5階に1年生の教室は存在し、先進技術学科が6クラス、ヒューマンサポート学科が3クラス、戦闘護衛部隊が1クラスといった内訳になっている。ちなみに2年生は4階、3年生は3階に教室が割り振られており、1階と2階は図書室や実験室など共用の教室が存在している。一方、中等部は西館に教室が割り振られているそうだ。


 「何か、落ち着かないな……」


 入学式の直後、俺たちは各教室の指定された席に座り、担任が来るまで待機をすることになっていた。


 戦闘護衛部隊の入学者は42名。長方形の教室に横6列×縦7列で等間隔に並べられた机。俺の出席番号は36番、つまり最前列の一番廊下側だ。よく漫画やアニメで見る窓際最後尾の主人公席とは真逆の位置なわけだが、その主人公席には出席番号7番、黒華苧環の姿があった。両手を後頭部で組み、入試の時に行動していた取り巻きの二人と談笑しているようだ。あいつらも合格していやがったのか……


 一方の白百合結衣は、出席番号11番らしい。左後ろから耳障りな談笑が聞こえてくるせいなのか、先程から目を閉じて俯いたままだ。助け舟を出したいのは山々だが、入学初日に悪目立ちするような行為はできるだけ避けたいというのが本音だ。白百合には後で声を掛けてあげた方が良さそうだな。


 大半のクラスメイトはどこか居心地悪そうな様子で、解散の刻を今か今かと待ち望んでいるようだった。


 「はーいっ!皆さん、注目ですぅ!ですですぅ~~~!!!」


 突如として教室中に響き渡った甲高く芯のある声。その声の主は、俺と同じ列の窓際でピンと腕を上げて注目を集めていた。これには黒華軍団も会話を止めざるを得ないだろう。


 教室が静寂に包まれたのを確認した声の主は、そそくさと教卓の目の前へ移動し、パンと両手を合わせた。


 「まだ先生が来るまで時間がありそうだし、今のうちに自己紹介しちゃうっていうのはどうかな?これから3年間、苦楽を共にするわけだからねっ!」


 急な出来事に大半のクラスメイトは困惑しつつ周囲の反応を覗っているが、特に反対する意見も無いだろう。それに応えるように、ある人物が口を開く。


 「ナイスアイディアだねぇ、元気っ子チャン☆」


 パチンと指を鳴らして声の主に目配せしたのは、両足を机の上に行儀悪くほっぽり出していた黒華だ。相も変わらず鼻につく口調である。


 「えへへ、ありがとですぅ〜!では早速……」


 声の主は胸元に左手を添えて深呼吸する。


 「出席番号1番、”明智 柚葉あけち ゆずは”っていいますっ!明智のことは、気軽に明智って呼んで欲しいですぅ〜!よろしくお願いしますですぅ~~!!」


 明智と名乗った少女は頭を大袈裟に下げて礼をした。淡い桃色の髪をツインテールで纏め、太陽のように眩しい笑顔が印象的だ。入学初日に率先して行動できるほど社交的な性格だ。今後クラスのムードメーカーになることは間違いないだろう。


 最初はぎこちなかったクラスの雰囲気も、明智の自己紹介を皮切りに和らいでいった。


 「ボクはクロッカス”首席入学”の黒華苧環さ☆休日にボクとデートしてくれる女の子、絶賛募集中ダヨッ!」


 黒華の気色悪い自己紹介はさておき、その後順番は白百合に回ってきた。少し嫌な予感がする。


 「じゃあ次は……後ろの女の子、よろしくですぅ~!」


 「……えっ、あっ!!うぅ……」


 明智に指名された白百合は、丸めていた姿勢をピンと正すと、慌てふためきながら周囲をキョロキョロと見渡す。クラスメイトの視線が一気に集まると、白百合は今にも沸騰しそうなほど赤面し、勢いよく立ち上がった。


 「えっ、えっと……ゆ……っ……」


 俺の席まではほとんど聞こえない声量ではあるが、唇を震わせ、どもりながらも言葉を紡ごうと胸元辺りを固く握りしめている。


 「……」


 時間にして十数秒、教室内は静寂に包まれ、和らいでいた雰囲気も徐々にリセットされていく。


 これ以上、白百合に負担をかけるべきでは無いと判断した俺は、白百合に助け舟を出そうと席を立ち上がるが――


 「ごっ、ごっ、ごめんなさい!と思います……!」


 次の瞬間、白百合は目元を袖で隠し、声を上擦らせながら教室の外へと姿を消してしまった。


「あっ、白百合さ――」


 俺の声が届かないほど猛スピードで駆け出していった白百合の背中を、俺はただ目線で追いかけることしかできなかった。


 「あはは……余計なことしちゃいましたかもですね……」


 提案者の明智は申し訳なさそうにうなじ辺りをさすっている。俺の嫌な予感は的中してしまったようだ。


 ダメだ、このままでは白百合がクラス内で浮いた存在になってしまう。クロッカスにおいて、チームワークの欠如は後に致命傷となる。それに、彼女だって本当はクラスメイトと打ち解けたいはずだ。


 俺は白百合に伸ばしかけた掌を力強く握りしめ、ため息混じりに深呼吸をする。


 この中で彼女を救えるのは、俺だけだ。


 「……すまん、腹痛ぇからトイレ行ってくるわ」


 「えっ、ちょっ――」


 明智の言葉を遮るように大きな足音を立てながら、俺は白百合の消えた方向へと駆け出した。



————————————————————◇◆



 「白百合さん……どこ行ったんだ……?」


 白百合は教室の前方――東側に駆け出していった。クロッカスの教室は本館5階の最東端、直ぐに階段へと突き当たる。4階から下は上級生の教室だ。彼女の性格上、あえて人目につくような場所に行こうとはしないはず。となると……


 「屋上……か」


 5階から屋上へと続く階段。白百合はこの先にいるに違いない。担任が来る前に白百合を教室に呼び戻さなくては。


 俺は足音を殺しながら、ゆっくりと階段を上っていく。踊り場に差し掛かった所でひっそりと顔を覗かせると、屋上へと繋がる扉にもたれ掛かりながらうずくまる少女の姿があった。時折鼻を啜っては、目元から零れ落ちる涙を袖口で拭っている。


 俺は彼女を脅かさぬよう、細心の注意を払いながら徐々に距離を詰めていく。


 「……あー、白百合さ――」


 「ヒッ……!!」


 「あーすまんすまん!別に驚かせたかったわけじゃないんだ。白百合さんが心配になってつい……」


 俺は怖がる白百合を落ちつかせようと小声で弁明する。誤解が解けたのか、白百合は少しずつ平常心を取り戻していった。


 「ゆっ、結衣……また失敗しちゃいました……グスン」


 白百合は声を震わせながらも、スカートの裾をグッと握りしめ、心情を伝えようとしている。対する俺は、ただ静かに白百合の言葉に耳を傾ける。


 「……結衣、クロッカスに入ったら、この人見知りな性格を直して……クラスのみんなと仲良く――友達になれたらって思っていたんですけど……やっぱり結衣には無理だっ――」


 「友達なら、もういるだろ」


 「……えっ?」


 「ここに」


 俺は自分の胸元に親指を向ける。


 「入試で協力し合った仲じゃねぇか。もう十分、友達ってことにならないか?」


 「……」


 「……あー、もし白百合さんにその気が無いんだったら申し訳ない。結局、最終試験で逸(はぐ)れちまって迷惑もかけたし、こんなの烏滸(おこ)がまし――」


 「そっ、そん!!」


 「そん?」


 白百合は食い気味に立ち上がり、俺の顔を泣きっ面で見つめると、ハッと声を漏らして直ぐに視線を逸らした。


 「そっ、そんなこと無いです!と思います……」


 白百合は視線こそ足元を向いているが、口元は僅かに緩んでいるように見えた。流していた涙も漸く収まったようだ。


 「嬉しいですっ……結衣、この性格になってから友達とかまともに出来たことなくて……中学の頃は他人ひとと接するのも極力避けてきたんです」


 「そうか……」


 「で、でもっ、御角さんが入試の時に助けてくれたお陰で、結衣はクロッカスに入ることが出来ました。本当に、ありがとうございます……!と思います……」


 今にも消えそうな声量ではあるが、白百合は俺に感謝の気持ちを告げてくれた。


 「いやいや、俺は別に大したことしてないさ。ただ、自分を信じて行動しただけだ。白百合さんを助けるべきだって、合格させるべきだって、心の中が叫んでる気がしたんだ」


 「御角さん……」


 「それに、白百合さんの性格も、今すぐに直す必要は無いと思うぜ。クロッカスで過ごす日々の中で少しずつ、一歩ずつ進んでいけばいいんだよ。クラスのみんなもきっと理解してくれるはずだ」


 現に俺も、補欠で入学したようなもんだ。精神的にも、技術的にもまだまだ未熟。理由は異なるが、クロッカスで自分を変えたいという想いは俺も同じだ。


 互いの足りない部分を補い合う――それは日常生活においても、今後の戦闘においても必要不可欠だ。


 「自己紹介、良ければ俺に任せてくれないか?」

 

 「えっ、でもっ……」


 「言っただろ?今はいいんだ。迷惑だなんて1ミリも思ってねぇさ。むしろ白百合さんがクラスに馴染めずにいる方が、俺は辛いよ。だから……な?ほら、同じ補欠組のよしみとして」


 「補欠……組……それって――」


 「あーいや、今はそんなこと関係なかっ――何か言おうとしてたか?」


 「いっ、いいえ!何でもないです!と思います……」


 白百合は何か言いかけていたが、担任が教室に来るまで残り2,3分といったところだろう。ここは早めに戻った方が良さそうだ。


 「さあ、戻ろうぜ」

 

 俺は白百合に視線を合わせ、そっと手を差し伸べる。白百合は恥ずかしそうに頬を赤らめながらも、俺の差し伸べた手をクッと優しく握る。そんな仕草をされると俺まで緊張してくるな――って、いかんいかん。俺には翡翠先輩がいるじゃないか。早く直接会って、あの時の感謝を伝えないとな。



————————————————————◇◆



 「白百合さん、準備はいいか……?」


 俺の制服の袖口をギュッと握りしめる白百合に対して、俺は小声で確認を取る。


 「はっ、はい……と思います……」

 

 相変わらず白百合は怯えた様子ではあるが、これも彼女の成長のためだ。それに、もう後戻りはできない。


 俺は教室内をそっと覗き込み、少しずつ上半身を扉の先へと乗り入れる。


 「……遅くなってごめん、もう自己紹介終わっちまったか……?」


 「えーっと、君と、さっきの女の子以外は、さっき終わらせちゃいましたのですぅ~」


 ややテンションの下がった明智が申し訳なさそうに答える。


 「いや、気にしないでくれ。もし良ければ、”俺たち”も自己紹介させてもらってもいいか?」


 「ん?たち……?あっ!」


 白百合は俺の背後から僅かに顔を覗かせ、それに気がついた明智が目を輝かせている。


 「さっ、白百合さん」


 俺は白百合に小声で合図を送り、俺の斜め前へ立つように誘導する。白百合は少し俯いているものの、俺の袖口を掴んでいた右手を離し、今度は自身の胸元で握りしめる。


 ここからは俺の役目だ。


 「この子は白百合結衣さん、俺とは入学試験で何度か協力し合った仲なんだ。人見知りで大人しい性格だけど、思いやりのある心優しい子なんだ。どうか、仲良くしてあげてほしい!」


 「んっ……!」


 白百合は深々と頭を下げ、息を止めるかのように瞼を閉じ、唇を小刻みに震わせる。


 「……白百合さん、顔上げなよ」


 「えっ……?」


 白百合は恐る恐る視線をクラスメイトに向ける。彼らの表情を見渡した白百合は、強ばっていた口元が徐々に緩んでいき、俺に安堵の表情を見せた。


 クラスメイトの誰一人として白百合を拒む者はおらず、彼らは歓迎の眼差しを白百合に向けていたのだ。


 「白百合結衣ちゃんですね!よろしくですぅ~!ですですぅ~!!」


 明智は満面の笑みで白百合に急接近し、激しく抱擁する。


 「ぅぅぅ……!」


 予想外の出来事に白百合は顔を真っ赤にし、目を回している。というか苦しそうだ……


 明智に続いて、黒華も席を立ち上がる。


 「いいねぇ、可愛い女の子は大歓迎だよ、子リスチャン☆」


 「あー確かに!リスさんみたいにまん丸お目々で可愛いのですぅ~!ですですぅ~!!」


 「ぅぅぅぅぅぅ……!!」


 今度は白百合の頬をプニプニしたり、頭を撫でたりと、まさに動物を愛でるように好き勝手触りまくる明智に対し、白百合はほぼ気絶してしまっている。今にも身体から湯気が出てきそうだ。


 「……まぁ、とりあえず一件落着ってことで……いいよな?」


 予想していた展開とは違うが、これで白百合がクラスに馴染んでくれたらいいな。これが彼女にとっての第一歩になることを祈ろう。


 「――おい、そこで何をしている。席に着きたまえ」


 「んおっ!」


 突如、俺の真後ろから落ち着いた雰囲気のある女性の声が飛んできた。俺たちはすぐさま自分の席へと戻り、姿勢を正す。教室内は瞬時に静まり返り、その女性は教卓の前に姿を現した。


 「改めて、本校への入学おめでとう。これから3年間、君たちの担任を務める牡丹田朱里だ。君たちに会うのは入学試験以来だな」


 どこかで聞き覚えのある声だとは思ったが、俺たちの担任は牡丹田だったらしい。


 ――ちょっと待て。自己紹介してないの、俺だけじゃね?

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