ざあざあと雨が降ってやがる
山野三条
本文
ざあざあと雨が降ってやがる。夕立の激しい雨が、目の前の視界を一気に曇らせた。足元の玉砂利に、水飛沫が上がる。
俺は苛立ちを落ち着かせるために、空を見上げる。ふうっと深く息を吐く。落ち着け。感情的になったところで、何も解決するわけではないんだ。
曇天の空は無表情のまま、生暖かい雨を際限なく叩きつけてくる。顔を伝うぬるい雨水も、次第に気にならなくなってきた。毎日、夕方になるとひどい雨に打たれる。毎日?いつからだ?
このところ連日、激しい夕立が続いているのは覚えている。雨が止むと、夜空にぼうっと星が瞬き始める。そして、空が白み始めると、湿気を帯びた風が吹く。再び、夏の朝が始まるのだ。
ぼんやりと昼寝をしていると、隣に妙に古臭い黒い着物を着た老人が座っていた。着物は虫食いの穴がいくつも開いている。黄色い帯だけがやけに綺麗すぎて、不釣り合いに見える。ニヤニヤとこちらを見ているのが、なんだか気に入らない。俺は怒鳴りつけるように話しかけた。
「おい、爺さん。あんた、何やってんだ?」
「何もやることなんか、ないさね。ただ、ただ待っとるだけや。お前さんと一緒だ」
俺と一緒?俺も、何かを待っているのか?
「何を待っているんだ?」
「だから、お前さんと一緒だって言っとるがや。大事な人に会いに来たんや」
「大事な人?」
「あんたもそうやろ?誰かに会いたくて、わざわざこんなとこに来とるんやろ?」
俺は誰を待っているのかと思い出そうとするが、靄のかかった記憶には何も映らない。老人は続けて話しかけてくる。
「兄さんは軍人さんかい?えらく物騒なもん持っとるのう。まだ戦争は終わっとらんのか?」
「……実はな、俺は記憶がないのだ。なぜ、この場所にいるのか、全くわからん。ここはどこなのだ」
すると、老人は突然、大きな声で腹を抱えながら、笑い出した。
「ヒー、お前さん、何も覚えとらんのか?そりゃ災難やなあ。そら面白い。間抜けやなあ。何があったかわかっとらんのに、ここにおるのか。ああ、滑稽じゃのお」
俺はカッと頭に血が上った。気がつけば、小銃を老人に向けていた。どうやら、銃の使い方は体が覚えているようだ。
爺さんは、さらに笑い転げた。ヒーヒーと息を吐きながら、呼吸を整えている。このまま息を詰まらせて、死にさらせば良いのに、そのようなことを俺は思った。
「あー、すまん、すまん。気ぃ悪くさせたら、すまんのう」
老人は、嬉しそうに笑い続けている。
「そんなもん、ワシに撃ったって当たりゃせん。ほれ、やってみい」
老人は両手を大きく広げ、小賢しい笑みを浮かべたまま、俺の方を見ている。引き金に指がかかる。が、こんなジジイを殺したところでて何にもならない。
「おい、爺さん。調子に乗るなよ。殺されたくなければ、ここがどこか説明しろ」
「何じゃ、その銃は飾りか、撃つ度胸もありゃせんのか。まあ、落ち着けや。あっち見てみい。あんな小さな子どもでも、お利口さんに母ちゃんを待っとるぞ」
銃を構えたまま、ゆっくりと老人が指差す方を振り返ると、小さな子どもが見えた。苔むした御影石に、ちょこんと座っている。青白く痩せており、くたびれたパジャマを着ている。俺は慌てて、銃を下ろした。
「おい、坊主。お前も誰かを待っているのか?」
子どもは、とてもつまらなそうな顔でこちらを見るが、返事もせずにぷいと横を向いた。ふん、愛想のないガキだ。
もう一度老人の方を向いたが、姿が見えない。仕方なく振り返ると、今度は子どもの姿も見えない。なんだ、どういうことだ?
再び夜が明け、真夏の太陽が南中に差し掛かろうとした時、漆のような黒い日傘をかけている女と真っ黒のスーツを着ている痩せた男が、こちらに向かって歩いてくる。砂利道を歩く足跡が響き渡る。その時は、蝉の鳴き声が聞こえなくなっていた。
俺は女の顔を見た瞬間、思い出した。
「母さん……母さんじゃねえか!」
しかし、母は何も答えてくれない。一緒にいる父が、母に向けて語りかける。
「なんだか、実感が湧かないもんだ。骨もないからな。本当はどこかで生きているんじゃないかと思ってしまうよ」
「ううん、私にはわかるの。きっとここに帰ってくるって」
そうか、ここは俺の墓だったのか。やっと帰ってこれたのか。
一陣の涼しげな風が吹き抜けた。
墓前に飾られた清々しい色をしたリンドウが、静かに揺らめいた。
ざあざあと雨が降ってやがる 山野三条 @ichi_ni_san
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