第2話

 

 昔に、Kという友達がいて、自殺した。「こころ」という小説みたいやが、実話です。


 その友は、若いころから、一風変わっていて、ヨガや宗教に凝っていました。

 阿含宗という、仏教の一流派?の新興宗教の熱心な信者らしく、よく入信を慫慂されたりした。その宗教を、特に自分が信じている所以についてもよく話していた。


 「虹の階梯」という宗教学者の本を座右に置いて、「修行」を、毎日孤独に実践しているらしかった。


 「今の自分が嫌」なので、なんとか殻を破って、飛躍的に進歩をしたい、生まれ変わったように新しい自分になりたい、つまりそういう目標で、日々に精進努力していた…この人ももう40年くらい前やが、ヨガ、をしてました。


 「潜在能力開発」というと、今でもヨガ、呼吸法、音楽、瞑想…そういうのが定番のメソドロジーらしいが、Kは、逸早く、こういう流行を先取りしている感じにのめりこんでいました。


 まあ、親しかったので、こまごましたエピソードは多いが、で、修行を続けていたご利益というか、努力の甲斐あってか、同じ信者仲間のフィアンセができて、結婚したらしい。そのころにはボクはUターンしていたので、詳細は不明です。


 で、「自殺」ということに勘づいたのは、ちょっとオカルトぽくなるが、ボクのヘンな幻聴、正体不明の妙な「声」の、ざわめきのなかに、ある時にKの声で「ステーキください」というのがはっきり聞こえた。


 で、たぶん、「最後の食事の贅沢」なのだ、そうほのめかしているのだ、ということがボクにもはっきり感知された。


 懸命に脱皮しようとして精神世界やスピリチュアルについて勉強して、自己研鑽が実って、どうにか幸福をつかんだKくん。卒業論文に「マズローの自己実現論」を論じていた彼は、自己実現を果たせた…果たしていたことはあったと言えるかもしれない。そうあってほしい。衷心からそう願う。


 だが、どこかなんだか周囲となじみにくくて?居心地が悪そうで、変人扱いされていた彼は、結局、完全には「蛹からの羽化」、なんかスピリチュアル関係でそういうレトリックを見た気がするが?それを果たしきれなかったのだろうか?


 ボクの親しい友が、自殺してしまう、わりにそういう悲しいことがよくある。非常にやりきれなくて不本意なんですが、どうしようもない。


 家族もみな、miserableで、悲しい死に方をした。ボクも、凄く毎日辛い。


 なぜ、この世というのはこういうことになっているのか?


 ”人生不可解。生きてかいなし。” 率直に言うと、自分も華厳の滝に彫られたそういう遺書の心境に近い…だいぶ前からそれはまったくそうだ。


 が、生来の楽観癖で、まだどこかに突破口があるに違いない…そう、能天気に信じて、なんとなく露命をつなぎ、老醜と生き恥を晒し続けている。


 出口はあるのだろうか?

 

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