第22話 手を動かしながら、深い話も
「……だいたいそんな感じかなぁ」
「いつから食べてないんですか?」
「中学3年の時、3人で料理当番ができるようになってから食べないって宣言して食べなくなった。他の肉や魚や卵と同時に」
「栄養とか偏らなかったんですか?」
「そのへんがハルの怖いとこでさ……事前に自分で2週間分の献立きっちり作って、タンパク質何グラム炭水化物何グラム脂質何グラムとか計算して、俺らと一品だけ別の料理で成立する料理計画を自分で始めたのよ。ヴィーガン向けサプリもそれ始めたのと全く同時に家に届いて……もう完全な知能犯。こいつ殺人とかしたらアリバイも完璧で絶対証拠残さないタイプだなと思ったもん。あのときほど老後が怖いと思ったことないよ。……ほら、今の若い子はジジイババアを恨んでるっていうだろ。介護拒否されて殺されちゃったらどうしようって」
それをきいてあははと声をたてて笑う雅鳳。
「あのひとに限ってそれはないですよ。だって、プラントベース始めたのも、自分が長生きした未来のためでしょ? それを棚に上げて親を早死させようなんて、矛盾してます」
「それもそうか……うまくいくと思うか?」
「なにがです?」
「いや、遠いか近いかわからんけど、温室効果ガスの削減の目標達成とやらだよ。アメリカの大統領選、またあいつが出馬してるだろ」
「ああ、あの人が当選したらやばいかもですね。っていうか、あの人はもう自分が生きてる間だけ自分の国が幸せだったらそれでいいと思ってるんだと思うんですよ」
「わかる。誰とは言わないがこの国にもそういう連中は少なくない。例えば俺らの世代より少し下でもまるで数量限定の期間限定商品みたいな感覚でウナギを食ってるヤツとか相当数いる。『絶滅の危機』ってそういう自分勝手なことじゃねえからな、ってハルを見てると心から思うよ」
「……なんか、源三さんが菜食のお店始めた理由がわかった気がしました」
「ん?」
「えーと、おとなになっても反抗期の人っているんだな、って」
それを聞いて水谷副社長はマスク越しに大声で笑った。
「反抗期じゃない、俺みたいなのは反骨精神っていうんだよ。まあそうでもなきゃあいつと付き合うなんて根性なかっただろうしなぁ」
「そうなんですか?」
「うん、そもそも同じ団体のレスラーだよ? 世間的にいったら同じ事務所の芸能人同士が交際するようなもんだよ。しかも当時の朱雀翼って、団体最年少で女子のタッグ王者取るような、会社的にはこれから売れていくのが目に見えてるアイドルみたいな人だったし。若いって怖いよねー……それに男子のレスラーって、ここだけのはなし、男もイケる人ってそこそこ居るんだよ」
「はあ」
「まあ、俺の場合は、パンセクシャルっていうのか、惚れた人が好きな人っていう」
そこまで聞いて、雅鳳はああと納得した声をだした。
これはカミングアウトだ。
「そうなんですね。セクマイサークルにもいました。おんなじ事言ってました」
「そうか。……俺がプロレスにハマったのもそういう感覚で中学のときにメジャー団体の一回り上くらいの外国人レスラーに片想いしたからだったんだ。まさかはじめてのガチ恋が男のレスラーとは思わなかったけどさ。で、中3の時と高3の時に、その人が所属してる団体の入団テスト受けたんだけど、どっちも落ちてさ……仕方なく大学行って、学生プロレスサークル入って、EFPWの当時の社長がたまたま俺の通ってた大学のOBで、学園祭でプロの選手呼んで試合させてもらったのを見てスカウトされて……入団してから、翼と知り合ってさ……あいつ遠征とかで外で飯食うと、とにかく男のレスラーと一緒に行きたがってさ。最初男漁りかと思ったんだけど、そういう感じじゃなくて、純粋に男と喋ってるほうが気楽だっていうんだよな。……まあ、そういうやつもいるのかーと思って、弟みたいな感覚で一緒に遊ぶようになって……うん、これ以上はやめよう」
「えー、いい話じゃないですか」
「いや、これ以上はちょっと……恥ずかしくなってきたんだよ。勘弁して」
「えー、出来ちゃった婚だからですか?」
その一言に、銀縁眼鏡の奥の目がぎょっと見開かれる。
「誰に聞いたの?」
「スザク社長から」
「あいつ!……うん、そういう仲になって、そういうことして、ハルを授かってしまいました」
「しまいましたって」
「うん、だから『老後がこわい』って言ったろ?」
「確かにちょっと怖いですね」
「こら、よせよ」
「えー、言ったの自分じゃないですかー」
「そうだけど……まあ、妊娠したって聞いた時は揉めたよ。君、何月生まれだっけ」
「12月です」
「じゃあ、君が産まれた時はもう法律通ってたのか……ハルは5月生まれでさ、ハルが生まれる前は、今と違って性別変えるためには、子供が居ないことが条件だったんだよ。だから『産んだら最後、翼が一生女のまま生きることになる』って俺、めちゃくちゃ慌ててさ」
「ええと、子なし要件ってやつですか。戸籍上の性別変更の」
「そうそう。……それが、ハルが産まれて1ヶ月くらいした頃かな、法律が変わって、子供が成人してたらオーケーってことになった」
「けど、まだ残ってますよね」
「うん、あと2年掛かる」
「社長、その時おいくつくらいですか?」
「産んだ時? 2年後?」
「今から2年後です」
「うーん、43かなあ。俺と4つ違いだし」
「たしか、AFABの性別変更要件で、生殖腺摘出がなくなるって話がありますよね」
「ああ、AFABだけじゃなくて、AMABでもそういう裁判が通ったね、そういえば」
「あー、ネットの新聞記事で見ました。まあ、私の場合は、取りたいんで取りますけど」
「ふむ、たしか東洋クインダムさんからの条件もそれだったよね……考えてみたら変な話だよな。人の体のことを勝手に決めるなっつうの」
「いやまあ、波風立たずに埋没できるならそれに越したことはないと私は思ってます」
「うーん、それはそうかもだが、昔々らい予防法という特定の感染症にかかった人が結婚をしようとしたら強制的に去勢するという恐ろしい法律があってな」
その言葉に、雅鳳は「ああ」と理解した声を漏らした。
「そう考えちゃうと、きつく見えますよねぇ……ぶっちゃけた話、女子レスラーになるって決めた現状で言うと、ついてると男性ホルモン分泌されちゃうじゃないですか、それで変な目で見られるのが怖いんですよ、要するに天然ドーピングなわけじゃないですか、女子的に見たら」
「うん」
「今まで新体操やりながら思春期ブロッカー打ってたのは、確かに現状の私がとんでもなく嫌だっていうのもあるけど、これから女子レスラーになるにあたって性ホルモンに切り替えを急いだのは、そこでいちゃもんつけられたくない、っていうのもありますから」
「なるほど」
「私、自分が男で生きるの無理だって気付いたの、13歳のときなんですよね……その時は『ああこのまま生きられないから死のう』って思って、きれいに苦しまずに死ぬ方法をこれでもかってほど調べたけど出てこないんですよね。もうみんななんとかして生かそうとしてくる。まとめサイトなんか、『死ぬ気で生きてみろ』とか平気で綺麗事書いてくる。くたばれと思いましたよ」
「うんうん」
「それで観念して、そういう相談ダイヤルかけたけど全然繋がらなくて……後で調べたらつながっても10秒20円とかするらしいんで、繋がらなくてよかったのかもなんですけど……仕方なくて地元のNPOがやってる方の番号にかけてみたらつながったんですよね。そこですごい長電話で色々話して、ようやくこれは性自認の問題なんだって考えがまとまって、情報集めるようになって……まあ、死にたくなる気分を思い出すようなもんもクソほど目にしたんですけど」
「……あいつも、そういう思いしてると思うか?」
「スザク社長ですか? してると思いますよ。生理くるの嫌だけど男性ホルモン打って女子プロレスやめるのも嫌だって、板挟みになってるみたいですから」
「うん、それは知ってる。この20年近く、毎月その度に、いろんな方法であいつを励まし続けてきたから」
「ですよね」
「ただ、死にたいって言ったことは一度もないんだよ、あいつの場合。ケガした時『早くリングに戻りたい』っていうことはあっても『死にたい』までは聞いたことないんだ」
(それは、気を使っているからでは?)
雅鳳は喉まで出かけて、すんででこらえた。
おそらく今の『そういう思いしてると思うか?』はそういう意味なのだろう。家族である自分に気を使って、そういう本音を打ち明けていないのではないか、と。
雅鳳は奥歯を一度固く噛んでから、笑顔を作って明るい声をだした。
「だーいじょうぶですよ。っていうか、社長幸せだと思いますよ」
「なんで?」
「いや、これだけ思ってもらえて、大事にしてもらえてるって実感をもちながら、今生きてるんですから。今日だって元気に試合だし」
「そうか?」
「そうです。ただ……源三さんは早死はできなくなった、と思ってほしいです」
「……そうだな」
「これ……死亡フラグですかね」
それをきいて、眼鏡を手袋のかかっていない手首のあたりでずりあげながら、はははと乾いた笑いを返してくれた。
「たしかに、縁起でもないね」
「こっち、これでいいですか?」
そういって、レモン汁とオリーブ油のコールスローの混ざり具合を見せる。
副社長は、マスクをずりさげて小さなスプーンで一口食べて、頷く。
「うん、塩もうちょっと足して。そこのスプーンで半分くらい」
「はい、わかりました」
笑顔で頷いて、塩壺に手をかけた。
「そういえば、子供とかはどう考えてる?」
「あ……男の人が好きになった時が面倒だなーと思ってます。私が産めたらそれが一番なんですけどね。医学が進んでも、卵巣と子宮までは期待できそうにないんで。……女の人を好きなった場合は、一応精子の冷凍保存してあるんで、それを使えれば」
「なるほど、考えてはいるわけだ」
「はい。私、思春期ってやつを薬で中止したんで、恋愛対象とかまだわかんないんですよ。……思春期ブロッカー使う前は、体動かしてる時以外は『自分の事が嫌い』っていうのと、『生まれつき女の子の
「ああ、そういう可能性もあるのか」
「まあ、誰かに惚れてみるまでわかんないですよ。実際誰かに惚れても、源三さんみたいにその人だったから惚れただけってパターンもありえますし」
「それもそうだな……そういう意味では楽しみだな」
「んふふ、はい。まあ、せいぜい女を磨きますよ。相手が男でも女でもどっちでもなくても、その時向こうから素敵だって思ってもらえないと、恋愛には繋がらないことくらいはわかってるんで」
「おう、がんばれ」
「はい」
そう言い合っている間に、二人のスマホがほぼ同時に通知音を鳴らした。
調理用の手袋を外して、それぞれスマホの画面を撫でる。
『お客様完全退場確認、撤収開始』
マジヤバプロレスの全体グループチャットへの通知だった。
「よし、こっちはできた」
「コールスロー、タッパーに移しました」
「じゃあ、あとはオーブンのサーモンと、ネット出前だけだな。とりあえずここはもういいや、タッパーふたして置いといて。料理はうちのゴツいのが運ぶから。それと、そこの棚にあるカゴを下の階にもっていって。中に箸とかカップとか椀とか、食器類全部入ってるから」
「はい」
と応じながら雅鳳は手袋とエプロンを外し、指示された蓋付きのカゴの中身を確かめて、それを携えて玄関を出た。
外は既に真っ暗だ。それにも関わらず、まだ夜気は乾いて暑かった。
マスクをずらすと夏の匂いがした。
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