第7話 条件と背景

 高木雅鳳のマジヤバプロレスへの正式な入門については、後日契約書類などを用意して日を改めて、ということになった。

 それに際してスザク社長は三つ条件を出した。


 まず『できるだけ速やかに二次性徴抑制療法から、ホルモン療法に切り替える』こと。

 これは二次性徴抑制療法では身長が伸び続けてしまうためだ。女性ホルモン療法に切り替えれば、女性の年齢通り成長期は終盤を迎え、じき背が伸びるのは止まる。


 女子レスラーは体格的に一般女性と比較して規格外の人物は少なくない。

 例えば身長170センチ以上の高身長の選手もいれば、150センチ台で体重85キロを越える選手も居る。

 だが、平均的な女性らしい身長に収まることを意識すると、やはり160センチ台の身長で留めて置いたほうが無難だろうと意見を出したのだ。

 そして既に雅鳳は160センチを越えている。となればできるだけ速やかに身長を止めたほうが日常生活オフで女性として埋没しやすい、という配慮からだ。

 これに高木親子はとくに不満もなく同意を示し、今日のうちに自由が丘のかかりつけのジェンダークリニックで面談をしてくると言った。


 もう一つは『レスラーとして練習生になるのと並行して、アルバイトをしてもらう』こと。


 そして3つ目は『その収入の都合で扶養控除外になることをきちんと想定しておく』こと。

 これは、18歳になったらすぐに海外で性別適合手術を受けることを想定しての話だ。


 現時点でのレートで、専門介添人アテンド業者込みで200万円から400万円近く掛かる。2年後の物価変動や円安傾向を想定すると、500万円は想定しておいてもよいとスザクは言い切った。


 それだけの額を新人レスラーで稼ぐことは難しく、また1年で200万円以上の収入を得ることを考えるといわゆる103万円の壁と呼ばれる扶養控除内ではとても足りない。

 税理士や国民健康保険加入手続き、安全かつ社会的にクリーンなバイト先の斡旋などはこちらで手配することも併せて話した。


 これに対し、母は性別移行に掛かる費用への備えについては、一度持ち帰りたいと応えた。

 元々大学か専門学校に進学した場合、その卒業までに性別変更を済ませておくための貯蓄をすでに家庭内で始めているというのだ。

 その蓄えの状況を確認し、また本人も希望する性別変更手術の内容について、きちんと考えをまとめておきたい、という話だった。


 それを聞いて、スザクは少し言いにくそうに頭を掻いた。


「……これは、かなりセンシティブな話なんで、ご家族も本人の希望するプランがあったら、無理にその理由をきかないであげてくれますか? ……まぁ、はっきり言うと、親に自分がどんなエッチをしたいかなんて話すのは、家族の誰にとっても気まずいだけでしょう? ……ただ、もちろんわかってると思いますけど、がぶちゃんは今、二次性徴を止めてる状態です。ホルモン打ってない俺がいえた義理じゃないけど、どんな人を好きになるか、自分の性的指向や恋愛感情の持ち方がわかるのは、ホルモン療法に切り替えた、更にその後くらいに思っておいてほしいんです。今出した3つ目の条件は、そのあたりについて、一番費用の掛かる方法を希望した場合を含めたものだと思ってください」


 その長説教を、二人は噛みしめるように聞いて帰っていった。


 ……高木雅鳳の入門に関し、スザクの残る懸念は、彼女を練習生として引き取ってどの寮にいれるか、という問題だった。

 現在、マジヤバプロレスには3種の寮がある。寮といっても実態としては同門選手同士の賃貸物件のシェアハウスである。

 男子寮、女子寮、そして外国人選手向けの道場の上階の居住スペースだ。元々、道場兼自宅を建てる時から男女別室の寮にする予定だった。だが、外国人選手を受け入れてくれる賃貸物件が近隣で確保できなかったことから、道場の寮を外国人選手用としたのだ。

 その上階は社長宅と団体の事務所になっている。男子寮と女子寮は、道場から自転車で5分ほどのところにある。


 おそらく雅鳳は女子寮でも大した問題はない、と思われる。

 理由は、LGBTQ+フレンドリーな団体だということを所属している選手全員が同意しているためだ。


 だが、まだ15歳の子供であることとホルモン療法の経過を見つつ慎重に対応していくことを考えると、親代わりの責任者として、出来るだけ目の届くところで面倒を見たかった。

 そう考えると、現在考えられる最適案は『社長宅で預かる』という形になる。

 幸い部屋は用意できる。コロナ期に在宅トレーニング用に使っていた5畳間がある。そこからトレーニング器具を一階の道場に下ろせば部屋が空く。


 問題は、その家族の理解と了承、である。

 15歳だからというだけで女子選手を、女子寮ではなく社長宅に置くことをなんと思うだろう。おそらく最も簡単な解決策は、高木雅鳳がトランスジェンダー女性だと明言してしまうことだ。それを一言言うだけで家族は納得するだろう。

 だがそれは『本人が認めていない開示アウティング』といって、性的マイノリティの周辺者の対応の禁忌の一つである。


 いかにそこを伏せて連れ合いと娘を口説き落とすか、それを考えて、深くため息をついた。


 ――朱雀翼、本名小田翼には、法律婚の家族がいる。

 これには現行法の都合でスザクが戸籍上の性別を変えられない原因にもかかってくる。

 スザクの性的指向は男なのだ。いわゆるトランス男性のゲイである。


 これは、EFPWで生まれて初めて男社会と接し、その友愛関係の居心地の良さが、学生時代に同性と疑似恋愛的に過ごしていた日々よりも、自分に合っているものとして感じてしまったことがきっかけだった。


 せめて同性婚が法的に認められれば、娘の成人を待ち次第、戸籍変更をするという選択も見えてくるだろう。だが、そのような法整備はほとんど進んでいない。

 性別適合手術については、トランス男性に関しては不要とするという裁判所の判断も出ており、それに準じた戸籍上の性別変更を受けている人々も現れている。

 スザクが絶望的に嫌っている月経も、男性ホルモンを継続的に打つようになれば、いずれ止まる。だが、それはレスラーとしては避けたい選択肢だった。


 女子プロレスのリングに立ちつつ、男性として生活し、法的にも夫婦・親子関係が認められた現状は、スザクにとってある程度希望に沿った形なのだ。それは戸籍上の自分の性別よりも、家族との関係や法律婚に伴うあらゆる社会的な利便性、そして今の仕事レスラーを続けたいという希望でもある。


 それらのためだけに、女性としての戸籍を維持している状態にある。


 ……家庭を持ったきっかけは20代前半、EFPW所属の水谷源三との間で妊娠したことだ。後から人生を振り返れば、あのとき堕ろしていれば、今とは違う人生も開けていたかもしれない。


 だが、スザクは結果として妊娠の公表と源三との結婚を選んだ。

 理由は、『これが自分が子供を得る最後の機会かもしれない』と思ったからだ。

 ……どこをとっても実に身勝手な理由だと、スザク自身も思っている。


 だが、それ相応の報いも受けたと感じている。

 なにより妊娠期間中の精神状態は、人生最大といっていいほどの荒廃を極めた。

 当然である。性自認が男である身で『ママ』として産婦人科や小児科に行くことがどれだけ苦痛に塗れたことか。まるでデスマッチで有刺鉄線の巻かれたテーブルに自らダイブするような日々だった。


 ――逆の立場と環境でたとえれば、一般シス女性が、女性として一切扱われずに、一人で男子校の寮に行って生活するようなものだと思ってほしい。むろん寮母さんのような特殊な立場ではなく、普通の一人の寮生としてである。


 髪を規定の短さに切り落とされ、決まった時間に同室の人間と一緒に大風呂に入らされる。

 しかもゆっくり浸かってなどはいられない、十分で頭から足の先まで一気に石鹸で洗って、お湯をかぶって、湯船に入って五分で出る。全員なんのてらいもなくフルチン、恥じている余裕すらない。そんな感じである。短髪だからドライヤーも使わないが、湯上がりに肌のケアなどしている時間もない。


 プライベートエリアはカーテンがついた二段ベッドの中だけ。部屋のどこかには同室の誰かが持ち込んだエロ本が隠されていて、それの回し読みに参加しなければ、あいつはゲイだなんだと妙な噂が立ち、ひどいときにはそれを口実にいじめられる。


 ――間違いなく『なぜそんな目に合わなければいけないのか』と心から思うはずだ。


 それに近い精神状態の環境に、十月十日と離乳するまでの生後2年、嫌というほど味わった。

 その間献身的に支えてくれたのが結婚相手の水谷源三だった。


 彼は妊娠期の精神的苦痛を少しでも減らすため、戸籍の姓を水谷ではなく、朱雀の本名である小田に変えてくれた。そしてありとあらゆる手続きを彼が一人で行ってくれた。


 ……一人きりで同棲していたアパートで彼の帰りを待っていた時、しばしば初めて自分がトランス男性だと源三に話したときのことを思い出した。


 彼はただ「よく打ち明けてくれた」と言って何度も背中を叩いてくれた。酒が入っていたせいで力の加減が効かず、こちらも酩酊していて痛みに鈍く、帰って風呂に入ったら一試合終えた後のように背中が真っ赤になっていて、風呂で一人で大笑いしながら泣いた。

 そんな自分を全面的に受け入れてくれたことが、涙が出るほど嬉しかった。

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