アイドルと恋愛しないと出られない楽屋

最宮みはや【11/20新刊発売】

楽屋から出られません

 アイドルのマネージャーというのも大変な仕事だ。ひとりの女の子を世に送り出して、大勢のファンを魅了し、人気アイドルへと育てる。


 私が担当しているアイドルグループは人気絶頂だった。

 しかし人気になればなるほど、仕事が増えれば増えるほど、気をつけなくてはいけない。


 アイドルというのは、人気商売。それもたいがいは一過性の流行。

 なにかを間違えれば、手にした人気は一瞬で消えてしまうということ。

 少しでも長く、より多くの人たちから愛されるように。アイドルのマネージャーは、彼女たちを無事卒業させるまで、ファンから愛され続けるアイドルたらしめんと日夜尽力しなくてはいけないのだ。


 ――とはいえ、疲れたな。


 楽屋の鏡に映った自分の顔を見ると、化粧で隠せないほどくっきりと目の下にクマができていた。

 この前の休みはいつだったろうか。今週はなし、先週もなし、先々週も。あれ、一ヶ月休みなし? いや、そういえば月頭に絶対行けと社長命令で健康診断に行ったから、あれが半休扱いだったような。


 こんな生活をして、大丈夫なのか?


 アイドルのことも心配だけれど、自分の健康状態が不安になってきた。

 健康診断の結果、見たくないな。


 どうして二十代前半の私がこんなことで悩むのか。

 それもこれも、


「今日の衣装、少し子供っぽくなかったですか? ……蓮家はすいえさんは、どう思います?」


 フリルの付いた衣装を着て、唇を尖らせている美少女――八百万数絵やおよろず かぞえが大人気過ぎるからだ。

 八百万数絵はグループの一番人気、不動のセンターアイドルだ。今やレギュラー番組、CM、スポンサー合わせて30越え。国民的人気がある。


 今日も彼女のソロでバラエティ番組の収録があった。

 清楚で人気な彼女であるが、中々に頭も口も上手く、そつなく収録をこなしてくれる。マネージャーとしては、手もかからず大変ありがたい。

 ただそれでもカレンダーに隙間なく詰め込まれた彼女の予定を一緒にこなして、合間にグループの他の子の仕事も見て……などとやっていると真っ黒な労働状況になってしまう。

 いい加減、あと一人二人はマネージャーを増やして数名体制にしてほしい。

 でも事務所で今手が空いているのは男性マネージャーだけで。


「蓮家さん?」


 八百万の可愛らしい大きな眼が、横に立っている私をじっと見ていた。

 やばい、何か聞かれていたっけ。えっと――。


「……可愛いと思うよ?」

「本当ですかー? なら、蓮家さんも着てみます?」

「あはは、着ないよ。そういうのは。最近はもう、スカートだって着ないし」

「えー、もったいないですー! 蓮家さんももっと可愛い服着てくださいよーっ、女の子なんだし、おしゃれしましょうって」


 あはは、と私は苦笑いで返す。

 なにかの間違え――その最たるものにあげられるのが、アイドルの恋愛。

 もし発覚してファンを裏切ることになれば、途端に人気はガタ落ちだ。


 うちの事務所は少しでもそのリスクを抑えようと、アイドルの担当マネージャーは同性にする方針だった。

 特に人気トップの八百万に関しては、メイクも衣装も全部女性スタッフに依頼する徹底ぶり。


 まあ、清楚で売れている彼女だから、男との変な噂が少しでも立てば大問題なのはわかる。


 だから彼女のマネージャーは私がやるしかない。

 正直体力的にはしんどいけれど、一生懸命なアイドル達をサポートするマネージャー業務には、やりがいを感じている。キラキラと輝く彼女たちをもっと輝かせ、もっと多くのファン達を楽しませたい。

 休みはほしいけど。

 本当に。


 でも、大変なのは彼女――八百万数絵もである。

 まだ十九歳なのに、こんな毎日働き詰めだ。寝不足なんて肌にも悪いはずなのに。


「うっ……」

「どうしました蓮家さん!?」

「いや、八百万の肌を見ていたら、圧倒的な若さに心を持っていかれかけた……」


 寝不足なんて微塵も感じさせない、みずみずしく張りと弾力がある白くて透き通った肌。

 少なくとも、私が彼女の心配をする必要はなさそうだった。私の方がまずいよ、まだ二十代なのに。


「そんな、蓮家さんだって……蓮家さんはもう少しちゃんと眠った方がいいですよ? 睡眠時間足りてないんじゃないですか?」

「あはは、最近海外ドラマにはまっちゃって」

「もー、夜更かししちゃダメですよ」

「そうだね。うん、今日は早めに寝るよ」


 マネージャーがアイドルに心配をかけるなんて論外だ。私は残っている仕事を頭の片隅に追いやって、適当なことを言う。

 アイドルのマネージャーといっても、会社員だ。アイドルのマネジメント以外にも面倒な事務仕事は山ほどあって、日中がアイドルにかかりきりなるとどうしても夜遅くまでパソコンと向かい合う必要が出てくる。


「八百万はどうだ?」

「え、ドラマですか? 蓮家さんと一緒に深夜のドラマ鑑賞会のお誘いなら歓迎しますけど」

「違う違う。体調とか、平気かなって」

「体調ですか? いつもと変わらず元気ですよ」


 にこりと笑う八百万に、私は安心する。

 若者の体力なのか、彼女のアイドルとしての才能なのか。多分、両方か。彼女は人気アイドルとしての日々を楽しんでくれているようだった。


「そうかそうか。なら悩みとかもないかな。明日も午前中から仕事で――」

「悩みは、あります」

「雑誌の表紙用に撮影が……って、え? 悩み、あるの?」

「……あります」


 いつもにこにこと微笑んでいる八百万が、神妙な顔になっていた。

 そんな顔、この前のサスペンスドラマ撮影でもしていなかった。


「悩みってなんだ? 私にできることなら、力になるけど」

「本当ですか!?」

「ああ、うん。担当マネージャーなんだから、当然だよ」

「……わたし、実は」


 安請け合いするつもりはなかった。マネージャーとしての覚悟のつもりだったけれど、彼女の真剣な顔に嫌な予感がした。

 もしも、アイドルを辞めたい――そんなことを言われたら、私は力になれるだろうか。いや、辞めたいと思う理由を聞いて、説得して……。


「蓮家さんと恋愛がしたいです」

「恋愛がしたい!?」


 聞き間違えか、「蓮家さん、恋愛がしたいです」と言った気がする。清楚アイドルが、まさか恋愛をしたいなんてそんなバカなことを言い出すなんて。

 いや、バカなことなんてないか。彼女は年頃の女の子だ。

 恋愛なんて、普通にするものだ。それでも、アイドルは普通ではいけないときがある。まずは直ぐ否定せずに彼女の気持ちを聞いて、徐々に違う方向へそのモチベーションを持っていこう。

 今は恋愛じゃなくて、ファンを楽しませること。そう、それがアイドルだ。


「恋愛がしたいか。……そうだよね、気持ちはわかるけど、でも」

「気持ち、わかるんですか!?」

「え、まあ、その……一応私も女だし?」

「本当ですか!? わたしが蓮家さんと恋愛したいって気持ちがわかるってことは……蓮家さんもわたしと恋愛したいってことですか!?」

「ん?」


 何か少しだけ話がずれている気がした。


「えっと、八百万は『蓮家さん、恋愛がしたいです』って言ったんだよね?」

「私は『恋愛がしたいです』と言いましたよ?」

「んん? ……私と?」


 本当に聞き間違えだったのか。よかった、恋愛したがるアイドルなんてどこにも――。


「って、えええぇっ!?」


 思わず大きな声を出してしまった。こんな声、もう二十代になってからは出したことなかったのに。


「いやいや、なんだ、冗談か? どういうこと、私と恋愛したいって」

「一人じゃ食べきれないパンケーキを頼んであーんって食べさせあったり、手をつないで買い物にいったり、駅前のイルミネーションを見ながら人目も忘れてキスしたり……そういうことがしたいってことです!」

「それは恋人だっ!! ダメだよっ、特に最後! アイドルが人目を忘れて良いのは自宅の中だけで!」

「ふふふ、蓮家さんは恥ずかしやがりなので、イチャイチャするのは家の中だけってことですね、了解です」

「違うっ!!」


 おかしなことを言う八百万に、私の口調もつい荒くなってしまう。

 八百万はふざけているのか? もしかして、やっぱり忙しすぎておかしくなっているんじゃないのか。


「変なことを言って、マネージャーをからかうのはそろそろ止めてくれないかな。……だいたい、私は女だよ」

「はい、だから蓮家さんをわたしの女にしたいんです」

「なっ、どういう意味かわかっていっているのかそれ!?」

「安心してください。経験はありませんが、幸いわたしも女なので勝手はわかります。蓮家さんを幸せにして見せますよ。声は我慢しなくていいですからね」

「……いや、本当に意味がわからないから」


 目の前にいるのは、清楚アイドルとして国民的人気を持つ八百万数絵だ。

 十代から四十代までの男性から付き合いたい有名人でも圧倒的一位を獲得したことがある。

 そんな彼女が、私を好きで、私と恋愛がしたい?

 マネージャードッキリかなにかか? 私を通さないで、変な仕事を事務所が受けたのか? それとも八百万が個人的に騙そうとしているのか、もしくは本当に本気で――。

 ないな。

 万が一本当に本気だったとしても、マネージャーである私がするべき対応は変わらない。


「八百万、冗談はおしまいだ」

「冗談じゃなくてわたしは――」

「アイドルが恋愛なんてしていいわけないだろ」

「で、でもわたし……」

「八百万には、たくさんのファンがいる。もちろん、年頃でそういう気持ちが自然と出てくることもあるだろうけれど、今はぐっと抑えて、全力でアイドル活動をがんばろう。ファンに隠しごとして幸せになっても、後ろ暗いだけだぞ。今の自分がどれだけのファンに支えられてきたのか、わかるよね?」


 ていのいいことを口にして、私は八百万をなんとかなだめようとする。


「いやです。一度口にしてしまったから、この気持ちをもう抑えられません」

「おい……いつもはもっと聞き分けよくなかった?」

「それは愛する蓮家さんの言葉なので、普段はよろこんで従っていましたが……今回は別です。これも愛です」

「だから愛って」


 しつこいくらいに、八百万は私への好意を主張して曲げない。

 本当に、本気なのか?

 それにしても、いつも私の言うことを素直に聞いていた八百万が――え、あれってそういう性格じゃなくて私のことが好きだったからってこと?


「あー……うん、そうだね。八百万の気持ちが本当だとしよう。でもそれは、仕事で私と一緒にいることが多かったし、勘違いかなにかで」

「違います。ずっと前から好きで、もっと一緒にいたいから仕事をがんばったんです。毎日一緒にいたいから、毎日仕事いれているんです」

「え、私が休みないのって、八百万に好かれていたせいだったの?」

「わたしの愛は年中無休二十四時間です」


 ドヤっと八百万が胸を張る。

 さすがに、仕事は二十四時間体制ではないけれど。

 というか、え、この子がこれだけ人気アイドルになったのも、私が好きだからってこと?


「なので、改めて……蓮家さんが、好きです。付き合ってください」

「……えっと、私マネージャーだし、担当アイドルとそういう関係になるのは無理かな」

「そんな!! じゃあ、私が――」


 とりあえずの断り文句を言って、私はしまったと後悔する。アイドルだからと言って断れば、それこそさっき一番危惧していたこと言われかねない。


「あ、待って、八百万」

「わたしが、蓮家さんにかまってくもらえない悲しさから、撮影で知りあったそこらへんのイケメン俳優とデートとかして雑誌とかに写真撮られて炎上してもいいんですか!?」

「なんだ、そっちか」

「そっちってなんですか!? 芸人ですか、売れてない若手芸人がわたしにはお似合いってことですか!?」

「いや、そうじゃなくて……」


 アイドルを辞める――という最悪の想定をしていたせいで、つい肩の力が抜けてしまった。

 もちろん、イケメン俳優だろうと若手芸人だろうと熱愛発覚なんて記事が出てしまっては困る。


「蓮家さんは、わたしがよくわからない男と付き合ってもいいんですね……」

「さっきも言った通り、恋愛は困る」

「ですよね! 男はダメですよね! だから、蓮家さんしかいないんです!」

「それは意味がわからないけど……」


 同性相手なら良いというわけではなく、加えて私がマネージャーというのもさらにダメだと言いたいのだけれど伝わっていないらしい。


「じゃあ、なんですか、そっちって! 蓮家さんはわたしになにを待ってほしかったんですか? 言ってくださいよ、わたしも蓮家さんが待ってほしいなら、少しくらい待ちますよ」

「少しって……まあ、アイドルを辞めるって言われるかと思って、それだけは本当に困るから」


 こんなことを言って、今度は「じゃあ付き合ってくれないならアイドル辞めます」などと言われかねないけれど、そんな気はないと信じたかった。


「それは……言いません。わたしは、蓮家さんを困らせたいわけじゃないですし……なにより、アイドルを辞めたら、もう蓮家さんと一緒にいられなくなります」

「それはまあ、そうだね」

「わたしがアイドルを辞めても、蓮家さんのところには新しい女がどんどん来るのに……」

「新しい担当アイドルね? その女って言うのやめようね、君は清楚アイドルで売っているし」


 本当に八百万は私を困らせたいわけじゃないのだろうか。さっきから既にだいぶ困っているけれど。


「だから、蓮家さんをわたしだけの女にできないなら、アイドルは辞めませんけど……ギリギリ首にならないけど事務所や周りに迷惑をかけるくらいのことはします。興味ないし、体とか指一本触らせるつもりはないですけど、そこらへんの男とデートみたいなことして、わざと写真も撮られますっ!」

「一番迷惑かかるのがマネージャーの私なんだよなぁ……」

「止めてほしいですよね!? でも、多分写真だけなら、人気は落ちても首にならないですよね!? 変に知名度はあるから、大きい仕事は減っても逆に地方とかで移動時間とかだけ無駄にかかって実入りの少ない仕事が増えて二人の時間は変わりませんよね!?」

「いやぁ……そんな都合良くいかないと思うけど……」


 とはいえ、実際にデート写真くらいなら、彼女のアイドル生命自体が終わるということはないだろう。

 仕事は減っても、首にはならない。それで、まあ、知名度があるからそれを活かして地方での仕事が増えるという可能性もたしかにある。

 私、免許あるけど、長時間運転とかあんまりしたくないんだけどなぁ。


「ふふふ、ドライブデート楽しみですね」

「いやいや、話進めないで……本気なの? 男とデートって……炎上してもつらいことだけだよ? 思っている数十倍はファンからもそれ以外の人からもキツいこと言われるよ?」

「それは……その……男の人と一緒に歩くって考えただけでも気分はかなり悪いですけど……」

「……だいぶ手前で無理でているし。考え直そ?」

「うっ、わたし、なんで蓮家さん以外の人と親しげにしなきゃいけないんですか……嫌ですっ! 助けてくださいっ! 担当アイドルが苦しんでいるのに、マネージャーは放って置いていいんですか!?」

「マッチポンプだよね? そのバカな考えをまず捨てようか」


 勝手に変なこと言って、勝手に苦しみだして、なにがしたいのか。

 いや、なにがしたいのかというと、私と付き合いたいということらしいけれど。


「やっぱり相手は女優さんにしようかな……でも同性だと中々スクープにならなそうですよね……多分同性同士の恋愛はバレても炎上しない――はっ! つまり、わたしと蓮家さんが恋愛してもセーフなのでは!?」

「いやいやいや、勝手に閃かないで」

「大丈夫ですよ。アイドルとマネージャーが二人きりでいるのは今までだってそうなんですから。一緒におしゃれなカフェに入っても、自宅を出入りし合っても、大人なホテルに入っても、世間は許してくれます!」

「ダメだから、アイドルがホテルとか」

「女子会で使うこともあるって聞きましたよ!?」

「じゃあ女子会で使って」

「使って良いんですか!?」

「ごめん、女子会でも一応使わないで」


 仲のいいグループのメンバー数人がホテルで女子会――なんてのは、多分大きく炎上する可能性は低くても、変な誤解を生んで厄介なことになりかねない。

 やはりアイドルとホテルというのは距離を離しておくべきである。


「……だいたい、八百万は女の子が好きなわけ?」


 聞いていいのかわからないが、例えば今後メンバー同士でそういうことが起こらないのか、とふと疑問に思った。つまり、変な誤解というのが私にも生まれかねないわけだ。


「え、別に女の子が好きというわけじゃ……はっ!? もしかして、蓮家さん、嫉妬してますか!? わたしが他の子とホテルに行こうとして、嫉妬を!? だから使わないでって!?」

「違うよ?」

「……そうですか。まあ、わたしもその、女の子が好きかと言われると……好きなったのも蓮家さんが初めてですし」

「そ、そうなんだ」


 八百万が顔を赤らめるので、私も変なことを聞いてしまったなと反省した。


「あの……蓮家さんは、どうなんですか? わたしみたいに、可愛い女の子は対象じゃないですか? すごい人気ですよ? 事務所の稼ぎ頭ですよね!? ダメですか? もしかして、他に好きな担当アイドルの女の子がいるんですか!?」

「やめて。勝手に私の恋愛対象を担当アイドルにしないで」


 とはいえ、私も恋愛経験というものが皆無なので、なんとも応えにくかった。

 ただはっきり言えるのは、担当アイドルに恋愛感情を持ったことはない。


「じゃあなんですか!? 蓮家さんは、五十代無職のおじさんと人気アイドルのわたし、どっちと付き合いたいんですか!?」

「……どっちとも付き合わないけど」

「どっちかと付き合わないと眉毛永久脱毛しますよ!?」

「毎日描くのは嫌だなぁ」


 なんて恣意的な選択肢なんだ、と思いながらも私ははっきり答えることにした。


「悪いけど、八百万。私は担当アイドルに手を出すつもりはないよ。どっちかとどうしても付き合うなら、おじさんと付き合わせてもらう」

「いやですっ! なんでおじさんと付き合うんですか!? それならまだわたし以外でも他の可愛い女の子と付き合ってくださいよっ!」

「八百万が用意した選択肢でしょ」

「わたしより可愛い女の子なんていない、そう言いたいんですか!?」

「話、聞いている? 聞いてないね? ……いつまでの楽屋に残っていたら迷惑だし、早く着替えて撤収しようか」


 これ以上遅くなると、明日の仕事にも支障が出かねない。

 私はこれから一度事務所に戻っていろいろやることがあるのだ。


「聞いてます」

「よかった、じゃあ着替えて……」


 急に八百万が、衣装の前ボタンを上からいくつか外した。

 一人用の楽屋といっても、人の出入りがある。カーテンでしっかりと仕切れる更衣室が後ろの用意されていた。一人で着替えられるような衣装であれば、八百万もいつもそちらを使うはずだった。


「八百万? 二人きりだけど、着替えるならちゃんと更衣室で……」

「聞いてました。――手を出すつもりはないって。だから、わたしが手を出します。蓮家さん、好きです」

「は? え? なにを考えて……」

「蓮家さんこそ、聞いていましたか? わたし、言いましたよ。蓮家さんのこと、わたしの女にするって言いましたよね」


 胸元をさらけ出した清楚アイドルが、妖艶な表情で私を見ている。

 これは、誰か人を呼んだ方がいいのか? いやいや、そんなことをしたら、担当アイドルに変な噂がついてしまう。


「大丈夫です。蓮家さんは星の数でも数えていてくれれば……直ぐに終わります」

「いや、どういうこと?」

「そうですよね。蓮家さんには、わたしという一番星以外必要ありませんね」

「じゃなくてえっと……わかった」


 私は、押し倒してこようとする八百万の肩を押し返す。そのまま肩をつかんで、彼女の目を見つめた。

 説得は難しい。もう時間もない。


「よし、決めた。私は君だけの女になってやろう。だから今日は、変な気はこれ以上起こさないでほしい」

「ほ、本当ですか、蓮家さん!? いえ、可乃かのさんっ!」

「うん、本当だけど急に下の名前で呼ばないでね? びっくりしちゃうから」

「で、でも……名前で呼んじゃだめですか?」

「あーうん、二人きりのときだけなら、まあ」


 私がそう言うと、やっと八百万は納得してくれた。

 おとなしく更衣室へ行き、「別に、わたしは可乃さんになら見られながら着替えても大丈夫なんですけど」とほざいていたが、私服に着替えてようやく楽屋をあとにした。




 翌日、仕事現場でまた八百万と顔を合わせる。

 一晩たって、私もだいぶ冷静になったけれど、こんなに可愛い子が本当に私のことを好きとは信じられない。

 しかし、今も視線が合っただけで顔を赤らめて嬉しそうに笑っている。


「可乃さんっ、おはようございます」

「おはよう。他に人がいるときは、今まで通り呼んでね」

「はいっ、可乃さんも、わたしのことも数絵かぞえって呼んでください。わたしは、いつでもOKですよ! マネージャーさんが担当アイドルを自分の女のように呼ぶことは普通ですからっ!」

「普通じゃないよね? まあ、下の名前で呼ぶくらいなら、たしかにいいか……数絵」

「はいっ!」


 私が名前を呼ぶだけで、今まで見たことがない満面の笑みを浮かべる。

 次の写真集でもそれくらい笑ってほしい。そしたら売上ももっとあがるだろう。


「えっと、それでその……可乃さんとわたしは、付き合って恋人同士というわけですけれど、初デートの予定と合い鍵の交換ですが……」

「何の話?」

「え、なんのってその、付き合ったのだから当然するものでは」


 前者はともかく後者を当然と言う常識は私にはないけれど。


「付き合ってはいないよね」

「え? 可乃さん? そんな、昨日……まさか、嘘を……いえっ、可乃さんがわたしに嘘をつくはずありませんっ! 恋愛関係で一番大事なのはお互いの信頼だっていつも言っていましたもんっ」

「言った覚えがあるのは、『アイドルとマネージャーの関係で』だよ? まあ、嘘はよくないよね」

「だったら!」


 待て待て、と私は八百万――数絵を止める。


「私が言ったのは、君だけの女になる、だったよね?」

「それは……そうですけど、でもそれはっ」

「事務所に希望を出してきた。人員に余裕ができ次第、グループの担当マネージャーでじゃなくて、八百万数絵の専属マネージャーにさせてほしいって」

「え、それって……でも」

「言葉通り君だけの女になるつもりだったんだけど、嫌だったかな?」

「そんなっ嫌では! 嫌ではありませんっ、嬉しいですっ! でもその……え、それじゃあわたしと可乃さんは……」

「これからもマネージャーとアイドルとしてよろしく」


 私も、数絵とは比べようもないが、にっこりと笑ってみた。

 一方で数絵は、さっきまでの喜びようから一変して、アイドルが見せちゃいけないほど暗く落ち込んでしまう。


「あー……ごめん。でもその、数絵のことを一番に見たいって気持ちではあるんだよ。だから専属マネージャーも希望したわけで……」

「それはつまり、見込みあり、可能性あり、ゴールイン秒読み目前ってことですか!?」

「二億秒前くらいかな」

「長過ぎですっ!! ……え、でも六年……六年たったら、本当に?」

「まあ、そのアイドルを卒業したあとまで絶対ないとは、言わないけど……」


 計算早いな、と驚きつつ、私は一晩考えていたことを思い返す。

 恥ずかしながら恋愛経験皆無の私は、突然担当アイドルに告白されても、自分の気持ちはよくわからなかった。

 それでも、真っ直ぐ向けられた気持ちには、やっぱり思うところがあった。

 だから、これから先のことはわからない。少なくとも、八百万数絵が可愛いと担当マネージャーの私は胸を張って言えるわけで、そんな可愛い子からの好意は同性でも気持ちが浮ついてしまう。

 いや、六年後のことはわからないけれど。数絵の方だって気変わりするかも知れないし。


「一億九千九百九十九万九千九百九十九、一億九千九百九十九万九千九百九十八……」

「おい、秒読みしないで。六年数えるつもり?」

「だっ、だって楽しみで待てないんですよっ!」

「……はぁ、そんなに私のことが」

「はいっ、大好きですっ!」


 改めて、はっきり言い切られる。

 自分の頬が少しだけ熱くなるのを感じた。あと六年。アイドルとマネージャーの関係を守れるだろうか。


「あと、希望は出したけど、手の空きがないからしばらくはこのままグループの担当マネージャーだからね」

「そんなぁっ!! いつわたしだけの女になるんですか!?」

「一億秒後くらい?」




 ―――――――――――――――

 最後まで読んでいただきありがとうございます。一度完結させていますが、9月か10月くらいに続きを更新する予定です。フォローしておいてもらえると嬉しいです!

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