第3話



「あがッ!?」


 花灯が小さく悲鳴を上げると同時。持っていたギターが足元に落ちる。

 ドンと大きな音がした後、花灯は口と足の指を押さえてうずくまった。

 俺は慌てて花灯の様子を見にいく。


「い、いひゃい……」


 花灯は目に少し涙をためながら、俺を見上げてきた。

 どうやら、ギターに嚙みついた際、口の中を切ったらしい。落ちたギターが足の指に直撃したのだろう、右の小指が多少赤くなっていた。


「なにしてんの、お前……」


 俺はあきれながら、花灯を見下ろす。


「だってぇ……はぎひゃあ、やいたくて」

「なんだって?」


 花灯は机に置かれたスマホの画面を指さす。

 そこには一人の外国人のおっさんが映っている。額にバンダナを巻いて、万華鏡の中身みたいな派手な服を着ながら、ギターを頭の上まで持ち上げて、それに噛みついて演奏している。

 

 どうやら花灯はこのパフォーマンスをやろうとしていたらしい。

 たしか、歯ギターとかいったやつだ。歯でギターの弦に噛みついて演奏するとか。

 うん、なんていうかイカレてるようにしか見えない。

 

 その後、花灯は「うぅ」と、か細い声をもらしながら涙目で俺を見上げてきた。


「ひた、かんあ」

「舌、嚙んだのか」

「うん……」

 

 力なく言って、しょぼんとうなだれる。


「……ったく」


 俺は後頭部をかいてから、かるくひざを屈めた。


「ほら、見せてみ、舌」

「あー……」


 んべっと舌を出す花灯。

 少し口を開いて舌を出すその姿が妙に色っぽい。


「……どーお?」

「あ、ああ……ちょっと先のほうが切れてるかもな」

「んー」


 若干怯えが混じったような、うるんだ瞳。

 なんていうかふつうにエロい。いけないことをしているみたいで、変な気分になってきた……。

 

 俺はそれを誤魔化すように、


「ちょ、ちょっと待ってろ。今塗り薬持ってくるから」


 邪念を振り払うように頭を振ってから、足早に部屋を出た。

 たしか俺の家に口内炎ができたときの塗り薬があったはずだ。それを使おう。


──


「おい。塗り薬持ってきたから、とりあえずこれ塗っとけ」


 自宅から戻った俺は、薬の入った箱を花灯に渡そうとする。

 

「……」


 が、花灯は箱をじっと見つめたまま。一向に受け取ろうとしない。


「なんだよ。嫌なのか?」

「ううん。ぬっへぇほひぃ」

「はあ!? なんで俺が!?」


 こいつ塗ってほしいって言ったか、今。


「ひふんひゃ、こはい」


 自分でやるのは怖いって……。

 そうだった、と俺は思い出す。そういえばこいつ、自分の身体の傷口とか怖くて見れないんだった。むかしから花灯がけがをする度に、なぜか毎回俺が呼び出されて、絆創膏を貼ったり、傷口を消毒をしたり、包帯を巻いたりしていたんだった。

 

 ただ今回にいたっては、自分の舌だぞ?

 さすがにこれは……。


「いやいや、お前の口のなかに指突っ込むとか、ふつうに嫌なんだが!?」


 しぶる俺に、花灯は両手を合わせて懇願してくる。

 まじかよ……。


「あー、もうわかったよ。やればいいんだろ、やれば」


 投げやりに言うと、花灯はこくこくと頷いた。もう一度舌先を見せてくる。

 俺は傷口を確認するため、花灯に自分の顔を近づけた。出された舌に、かるく指をはわせていく。


「……ん……あっ……」


 瞬間、花灯の肩がぴくっと跳ね上がった。


「あ、ごめん。痛かったか?」


 うっかり傷口に触れてしまっただろうか、花灯に聞いてみる。

 花灯は首を横に振った。どうやら大丈夫らしい。


「……よし、ここが傷だな。ちょっとしみるけど我慢しろよ」


 チューブから薬を出して指につける。なるべく優しい手つきで患部に塗り込んでいく。


「ん……うぅ……」


 くぐもった声を上げる花灯。

 眉間にしわがより、青のメッシュがさらりと流れる。花灯は痛みをこらえるように、俺のシャツの裾をきゅっと握ってきた。うるんだ瞳が俺を捉える。これまで何度となく見てきた花灯の顔が、今はなんだか別人のように感じた。

 

 ぬるっとした口の粘膜が指先に絡みつく。そこだけが燃えるように熱い。身体中の体温が指先に集中しているみたいに。


「……」


 やばい。

 なんだこれは。

 こんなの、もはやそういうプレイにしか見えないんだが!?

 いや、でも花灯はなんの意識もしていないんだろうし。

 そう、これはただの医療行為だ。落ち着け……。俺がこいつに絆創膏を貼ってやるのと何も大差ないはず。

 

 俺は心のなかで、ひたすら自分にそう言い聞かせた。

 さっきから頭が沸騰しそうなくらい熱い。心臓と背中がくっつきそうだ。

 ああ。早く終わってくれ……。

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