第2話
あれから二時間ほどが経過した。
スマホで時刻を確認すると、夜の七時をまわっていた。どうりで腹が空腹を訴えてくるわけだ。なんせ半日もまともに食事を取っていないからな。
花灯はさっきとは打って変わって、まるで別人のように真面目に課題に取り組んでいる。
なんというか、花灯も地頭はいいほうなのだ。要領がいいというか、物覚えが良くて器用というのか。
決してバカの子で勉強がまったく出来ないというわけではない。ただ致命的にやる気がないだけで……。やれば出来るはずなのにどうしてやらないのだろう?
そんなことを考えていると、ふと花灯と視線がぶつかった。
こちらをちらちらと見ながら落ち着かない様子。
さすがに集中力が切れてきたのかもしれない。課題もいいペースで進んでいるし、休憩を取ろうと声をかけた。
「おつかれ、花灯。きりも良いし少し休憩にしよう。なんか食べたいものあるか? コンビニで夕飯買ってくるけど」
花灯の顔がぱあっと輝く。
「ほんとっ!? じゃあサンドイッチと、チキンと、野菜スティックと、アイスと、あとは……」
うれしそうに指で数えながら、つらつらと食べたい物を挙げていく。この流れはまずい。
「言っとくけど奢りじゃないからな」
「えー!? ケチッ! こんなに頑張ってるんだから、少しくらいいいじゃん」
花灯がわざとらしく頬を膨らませる。
案の定、俺の奢りだと考えていたらしい。カップ麺もあんパンもそうだけど、こいつ強欲過ぎない?
「少しって……フルコースじゃねえか。ご丁寧に食後のデザートまでつけやがって。……はあ、もう適当に弁当でも買ってくるから、大人しく待ってろよ」
「へーい。いてら~」
スマホの画面を見ながら、ひらひらと手だけを振ってくる。
なぜかはわからないが少し罪悪感を覚えたので、しょうがない、アイスくらいなら奢ってやるかと心に決めて、俺は部屋を出て行った。
──
「さあ! ご飯も食べて元気も出たし、そろそろ一発かましちゃおっかな!」
夕食を食べ終えた後、花灯は唐突にそんなことを言い出した。
なんだろうと思い視線を向ける。スタンドに置いてあった一本のエレキギターを手にするところだった。
そういえば今日はまだ一度も弾いていなかったな。
俺が無言で花灯を見つめていると、それを非難と受け取ったのか、おずおずとこちらの様子を伺うように話しかけてくる。
「……あ、課題はちゃんとやるからさ……ちょっとだけ弾いてもいい? ダメかな?」
ギターを抱えながら、いじらしく俺を見つめてくる。
「ま、課題もなんとかなりそうだしな。少しならいいよ」
「ほんと?」
「だからいつも通り、思いっきり弾いてくれ」
俺の言葉に、花灯は花が咲いたように顔を綻ばせた。
うれしそうに鼻歌を口ずさみながらギターとアンプをケーブルでつなぐ。慣れた手つきでアンプのつまみをひと通りいじってから、ベッドに座ってギターのチューニングを始めた。
スマホと同期したスピーカーから曲を再生する。流れてきたのは力強いエイトビート。それなりに近所迷惑になりそうな騒音だが、となりは俺の家だ。誰かに文句を言われることもない。
コブラブルーのテレキャスターがきらりと輝き、花灯はにっと口角を持ち上げた。
ギターのボリュームノブを回していき、エレキギター特有のフィードバック音が部屋中に轟き……。
その瞬間、なにかのスイッチが入ったように花灯の雰囲気ががらりと変わった。
花灯が右手を振り下ろした、刹那──
「──ッ!」
部屋中を震わせるような空気の振動が、俺の骨にまで伝わってきた。大音量の音の洪水が俺の鼓膜に押し寄せる。感電するみたいに身体が震えた。一心不乱に髪を振り乱しながらギターを掻き鳴らす花灯に、ぞくぞくと背筋が痺れる。
「……かっこいい」
気づけば、そんな言葉がもれていた。
ギターを弾いてる時の花灯はとにかく圧倒的だ。圧倒的なまでにかっこいい。
きらきらと目を輝かせながら、心の底から楽しそうにギターを弾く花灯に目が釘付けになる。
音楽のことはよく知らないけれど、花灯の奏でるギターには、特別ななにかがあるように思う。
心の奥底まで響いてくるような、魂をぐっと掴んで離さないような、そんな不思議ななにか。
やがて曲も後半に差し掛かり、花灯の演奏もボルテージを増していく。
高速で繰り出されるメロディの応酬に、気づけば俺は身体をゆらゆらと揺らしていた。
そして、お互いのテンションが最高潮に達したとき。花灯はおもむろに立ち上がると、ギターを顔の前まで持ち上げた。
そして。
「え……」
おもいっきりギターに嚙みついた。
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