第70話 公務員、ロズベルの町につく

 馬に乗って移動を始めると、最初こそ不安定に感じたものの、しばらく揺れに慣れてくると、それなりには安定してきた。ヴァルトの背中越しに見える景色は、森の中を抜けるにつれ、少しずつ開けたものに変わっていく。


「ロズベルの町までどれくらいだ?」


「あと少しだな。日が暮れる前には着ける」


「なるほど……」


 俺は頷きながら、ちらりと周囲を見渡した。深い森を抜けた先には、広い草原が広がっている。遠くに小さな丘が見え、その向こう側に町があるらしい。


「ところでカズト。ロズベルに少し滞在することになるが、人間だとすぐに目立つ」


 ヴァルトが淡々とそう言いながら、馬を止めて、腰のポーチから何かを取り出した。


「今のうちに、これを巻いておけ」


「……包帯?」


「ああ。負傷者のフリをして、頭を覆えばツノがないことも誤魔化せる。ここで人間だとバレると、厄介なことになるからな」


「なるほど」


 俺は少し考えてから、ヴァルトに手伝ってもらいながら包帯を巻いた。額の辺りをグルグルと巻いて、まるで頭を怪我したような状態になる。


「どうだ?」


「まあ……悪くないな。少なくとも、一目見て人間だと分かることはない。ここで人間とバレると厄介だ、捕虜として手縄で拘束とかしないといけなくなるからな」


 俺は頷き、頭に巻いた包帯がきちんと固定されているかを手で確認した。



 引き続き馬を進めるとすぐに町の輪郭が見えてきた。大きな城壁が周囲を囲い、門の手前には数人の兵士が警備をしている。


「着いたな。あれがロズベルだ」


 ヴァルトの言葉に、俺は目を凝らして町を見つめた。

 きちんと壁で囲まれている都市だ。町の中からは煙が立ち昇り、どこかで火の使う仕事が行われているのが分かる。道沿いには商人たちが荷馬車を停めており、見た目には人間の町とほとんど変わらないように見える。


「……行くぞ」


 ヴァルトの言葉に、俺は無言で頷いた。

 こうして、俺は魔族の町ロズベルに足を踏み入れたのだった。



 町に入り、ヴァルトの指示に従いながら、俺たちは町の中心部にある兵の詰め所 へ向かった。

 魔族の国、というからには、もっと人間とは違う文化や習慣があるのかと思ったが、実際には俺が知っている町と大きな違いはない。

 道端では果物を売る商人が客と話しており、子供たちが走り回っている。何かを建設しているのか若い魔族が汗を流しながらハンマーを振るっている。酒場から屋外にとびだしたテーブルで酒を飲みながら笑う声も聞こえてくる。

 違いと言えば、よく見るとそこにいるのはみんなツノを持った魔族たちだった。


「……思ったより、普通の町だな」


「どういう意味だ?」


「いや、もっと異質な感じかと思ってたんだが、普通に市場があって、店があって、人々が歩いていて……生活してるんだな」


「当たり前だろう。俺たちも生きているんだから」


 ヴァルトは当然のように言い放ったが、俺にとっては衝撃だった。


「……普通に平和な町じゃないか」


「お前ら人間の国が戦争を仕掛けてこなければな」


 ヴァルトの言葉に、俺は言葉を詰まらせた。

 俺が知る人間の国では、魔族は『恐ろしい異種族』として語られていた。だが、今目の前にあるのは、ごく普通の町の光景だ。

 どこにでもいる親子、商売をする者、職人たち――彼らが本当に『敵』なのか?



 詰め所は大きな石造りの建物で、正面には魔族の紋章が刻まれた旗が掲げられている。入口には警備の兵士が立っており、ヴァルトを見るなり敬礼した。


「ヴァルト団長、帰還されましたか」


「ああ、討伐隊の被害は最小限だったが、負傷者も出た。念のため、もう一度診てもらいたい」


「承知しました。皆、中へ」


 兵士たちが詰め所へと足を踏み入れると、すぐに治療用の簡易ベッドに案内された。戦闘で傷ついた者たちは、すでにポーションで応急処置を済ませているが、深手を負った者もいるため、改めて治療師が診る必要があるらしい。


「くそっ、ミノタウロスめ。あんな化け物が森の浅い場所で暴れるなんて……」


「だが、助かった。ヴァルト隊長がいなければ、危なかった」


「いや、それよりも――」


 そのとき、隊の誰かが俺の方をチラリと見た。


「この人間が、助けてくれたんだ」


 途端に、詰め所の空気が一瞬静まった。

 俺は内心身構えたが、意外にも敵意は少ない。むしろ、ヴァルトたちと共に帰還したからか、警戒しつつも状況を見守っているような雰囲気だ。


「こいつは俺の客人だ。無闇に騒ぐな」


 ヴァルトがそう言うと、詰め所の魔族たちは納得したように軽く頷いた。


「人間に助けられたってのは本当なんですね」


「……ああ、俺たちの戦いに加わり、傷ついた者たちを癒してくれた。少なくとも、敵意はないことも診るとすぐにわかる」


「ふむ……」


 彼らは納得した様子で俺を見た。

 こうして、俺はとりあえず詰め所での受け入れをクリアしたようだった。


「――騒がしいな」


 その時、詰め所の奥から一人の女性が現れた。

 白銀の髪を後ろで一つに束ね、魔族の象徴である小さなツノを持つ彼女は、戦闘用の軽装鎧に身を包んでいた。

 何より印象的なのは、彼女の瞳だった。

 それは 燃えるようなルビー色の瞳で、まるで本質を見抜くかのような鋭さを持っていた。


「レミリス副団長!ただいま戻りました」


 兵の一人が身を正して敬礼する。


「ヴァルト、人間と共に帰還したのは聞いたが……その隣のか?」


 レミリスの視線が、俺へと向けられた。

 その視線は鋭いが、敵意というよりも観察しているようなものだ。


「説明は後だ。敵意はなく、魔物討伐に多大な恩を受けている。まずは、怪我人の様子を確認してやってくれ。あのミノタウロス、相当だったからな」


「……分かった」


 レミリスはため息をつきながら、負傷した兵たちの診察を始めた。



 診察が一息つくまでの間、ヴァルトに部屋で待っていろと言われた。


「もし、酷い怪我があれば言えよ。ポーションはまだ少し残ってる」


「ああ、ありがとう」


 ヴァルトは軽く頷きながら、慌ただしく部屋をでた。

 そこは簡素な作戦会議室のような空間だった。大きな机が一つ、壁には地図や戦況報告のようなものが並んでいる。

 ここは作戦を練るための部屋なのか。

 椅子に腰を下ろし、しばらく待っているとノックもなしに、ヴァルトともう一人の人物が入ってきた。

 白銀の髪、鋭いルビー色の瞳、そして魔族の象徴である小さなツノ 。


「……なぜここに人間がいる?」


 彼女――レミリス副団長と呼ばれた人物の視線が、俺に向けられる。

 その瞳には驚きと警戒が入り混じっていた。


「ヴァルト、どういうつもりだ?」


「落ち着け、レミリス。まずは話を聞け」


 ヴァルトが軽く手を上げ、俺の方を指し示す。


「こいつはカズト。人間の迷宮からこの森の奥の迷宮に飛ばされ、俺たちの討伐隊と遭遇した人間だ」


「迷宮から? ……まさか」


 レミリスの表情が疑いで険しくなる。


「そんな話、聞いたことがないな。迷宮を経由して森の中の迷宮に飛ばされた? ……人間達の何かの策略ではないのか?」


 彼女の視線が鋭さを増す。

 俺はその圧を受けながらも、静かに答えた。


「疑われるのも当然です。俺自身もよく分かっていません。だから、話をさせてください」


 ヴァルトが腕を組みながら、レミリスに向き直った。


「レミリス、さっき話した通りになってしまうが、カズトは俺たちの部隊をミノタウロスから助けてくれた。戦闘能力を持ってはいるが、魔族に対する敵意はない」


 レミリスは俺を見つめながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「ちょっと、自分でも診させろ」


 そう言って、俺の目をじっと覗き込んできた。

 鋭く、赤い瞳。まるで、俺の心の奥を見透かそうとしているような視線だった。

 彼女の顔立ちは整っていて、白銀の髪が繊細な光を反射するように揺れる。魔族らしい小さなツノは、耳の上あたりに親指ほどの長さで生えており、それを隠すことなく堂々と見せている。

 その姿勢からは、上品な気品と戦士としての実力を兼ね備えていることが伝わってくる。

 俺はじっと見つめられながら、緊張しつつも目を逸らさなかった。


「……お前、本当に戦意も恐怖心もないのか?それどころか……」


 レミリスが小さく呟いた。

 俺は静かに息を吐く。


「正直、ここがどこなのかも分からないし、何が起きてるのかも十分に把握できていません。ただ、少なくとも俺は、戦うためにここに来たわけではないです」


 レミリスは一瞬、眉を寄せたが、やがて一歩引いた。


「……ヴァルト、説明を続けろ」


「ああ。怪我人の治療も手伝ってくれたし、戦闘中も的確な判断を下していた。少なくとも、ただの迷子ではないが、軍事関連者とも思えない」


 レミリスは俺をじっと見つめたまま、何かを考えているようだった。


「……なるほど。だが、ヴァルト、お前が個人的に庇うだけでは済まないぞ?人間を客人扱いするなんて、聞いたことがない」


「分かっているさ。だからこそ、保護の判断を正式に下すために、お前にも話をしておこうと思ったんだ」


 ヴァルトは椅子に腰を下ろし、指を組んで話し始めた。


「まず、彼女はレミリス・ナクタリア。ナクタリア王家の姫君にして、第六騎士団の団長だ。とはいえ、第六騎士団は名誉騎士団という扱いでな、実質的には戦力としては機能していない」


「姫様?なんで、姫様が魔物討伐に?」


 俺は軽く眉を上げた。


「ちょっと複雑なのだが、レミリスは第六騎士団の団長でありながら戦にでるときは、この第三騎士団の副団長であることがほとんどだ。第六騎士団は、残念ながら王家や貴族のための飾りのような扱いだ。兵力を持たず、 レミリス一人が団長として名を連ねているだけってわけだ」


 俺は思わずレミリスを見た。


「王族なのに、前線に出ているのですか?」


「当然だろう」


 レミリスは肩をすくめながら言った。


「私は戦場に出ることを選んだ。名誉騎士団長なんて肩書は何の役にも立たない。だったら、実際に戦える部隊の一員として戦う方がいいと思ったのだ」


 ヴァルトが苦笑する。


「なので、レミリスは団長であるが実質的には俺の団の副団長でいることが多い。指揮系統の関係上、副団長扱いをすることもあるが、基本的には団長どうしで対等な感じで接している。隊のみんなもそれを理解している」


 なるほど、確かに複雑だが事情はわかった。この際、もう少し聞いておこう。


「第三騎士団というのは?」


「俺が率いる遊撃部隊だ。基本的には 偵察・魔物討伐・奇襲・救援など、フットワークの軽い作戦を任される部隊でな。いくつかの部隊がまとまって団として機能している。なので、古い仲間は俺のことを隊長と呼んでくれたりもするな」


 レミリスは改めて俺を見た。


「……私はまだ、お前が本当に信用に足る人間かどうかを判断できていない」


「それはそうでしょうね」


 俺は苦笑する。彼女は姫様。

 王族――つまり、魔族の国の支配者層にいる。

 そして、王族でありながらも彼女は騎士として戦争の最前線に立っているとのことだ。

 人間が一方的に攻めているのなら、彼女は当然、人間に対して複雑な感情を抱いているはずだ。

 憎しみ、怒り、あるいは諦観か――。

 それでも、彼女は俺を即座に斬ろうとはせず、こうして話をしようとしている。

 それだけでも、まだ話し合いの余地はある……そう思いたかった。


 ヴァルトがそんな彼女の様子を見ながら、軽く肩をすくめる。


「まあ、お互いのことは少しはわかったことだし続きは後だ。カズト、お前も戦闘で疲れてるだろ? ひとまず今日は休め。部屋に案内する」


「……ありがとう、ヴァルト。そうさせてもらおう」

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