第2話 釣りとは心身ともに鍛えるスポーツなり 前編
本日、四月二日土曜の天気は快晴。気温も程よく、風も殆ど吹かない春の暖かさを感じられる良き日である。恐らく、新入生たちは新しく出来た友人たちとさまざまな青春を繰り広げているのだろうなぁ、とそんなことを思いながら俺は昼過ぎに自分のベットで目が覚めた。
昨日、意図せぬ形で登頂を成功させた事により、全身に筋肉痛が回った影響での昼過ぎの目覚めである。良いね、不健康。これこそ青春ってもんだよ、と節々の痛みに顔を歪ませながら一階のリビングに向かう。既に両親は仕事に行ったので家には俺一人しかいない。
時計がカチカチと秒針を刻む音と、小学生が賑やかに遊ぶ環境音だけが聞こえる空間である。
冷蔵庫の中から牛乳を取り出しながら、手際よくインスタントコーヒーを準備する。本音を言えば寝覚めの一杯は麦茶が好きなのだが、これも大人の第一歩である。苦いからだとか嫌いだとか、賞味期限が近いからとかの理由を何やかんやこねくり回して大人の階段を登っていくのだ。適当な理由を重ねて牛乳入りコーヒーを一口。うん。苦い。色合いだけ見れば美味しそうなんだけどね。
溜め息を溢しながらソファーに腰を落とし、テレビをつける。昼過ぎにやる番組は殆ど食べ物系なのでとてもお腹が減るが、コーヒーのおかずとしては良い具合だろう。寝起きは何も食べない派閥に所属しているので朝食兼、昼飯はこれ一杯だけである。何か大人っぽいね、と不適な笑みを浮かべる。
テーブルの上に置かれた一枚の紙に目が行き、手に取る。そこには学校から電話が来たのか、昨日の一件についてと、諸々の伝言が書かれていた。
「はぁ、新入生達の立食会ってのがあるのか」
学校主催のイベントが今日行われるらしい事が書かれていた。
少し考え、手に持ったコーヒーを飲み干す。マグカップをテーブルに置き、文言が書かれた用紙を丸めてポイ。百発百中の命中を誇るゴミ箱シュートは今日も外さなかった。
正直言ってしまえば、学校主催のイベントなのでお金が掛からない昼飯を食べれるって点だけ見れば行かないのはそれだけで損だと言えるだろう。ただより高いものはないが、タダ飯は腹が膨れるって利点がある。だが、本日は誰にも咎められない休日なのだ。既にやりたいことは決まっている。ふと思い出し、ポケットに入っていた携帯を取り出す。そこには昨日連絡先を交換した千花ねぇからの『今日、学校主催の立食会ってのがあるみたいで、意を決して行ってみる! 気が向いたらまた一緒に登山しようね!』とのメッセージが送られていた。
「ほぉーん?」
これまた何の巡り合わせか、千花ねぇも立食会ですか、と運命的なものを感じるが、同じ学校に行っている訳ではないので、ただの気のせいだろう。適当に『行ってらっしゃい。後で感想聞かせてね。登山はもう少しお手柔らか所を所望します』とでも送っておく。何人たりとも俺の予定は崩せないのだ。
よっこらしょ、と声を出しながらソファーから立ち上がり、マグカップを洗う。洗面台で顔と歯を磨き、自室に戻り長袖長ズボン、そして釣竿が入ったリュックを背負い、家を出る。
本日のやりたいこと、それは『釣り』である。
釣りってなんか良いよね。大人の趣味って感じがするし、自由人ってイメージが凄い。趣味って何ですかって聞かれた時に「釣りです」て返せる心意気があるのは素直に羨ましい。
本当なら釣り堀や船釣りに参加して、有識者の意見を聞きながらやりたかったが、学生かつバイトをしていない身分では中々出来ない。お小遣いだけでやりくりするのは厳しいでござんす。
と、そんな中でこの釣具である。釣具といっても、釣竿と釣り糸。よくわからんカッケェメタリックな釣り餌の三点セットなのだが。良い時代だね。こんな良いセットが百均で揃うんだもの。まぁ、それぞれ百円以上だし、ネット注文したので想像以上に出費が嵩んだのだが。
本当なら昨日の登山の帰りに買いに行こうと思ってたんだけど、そんな事出来る余裕は昨日の俺にはなかった。全身ボロボロ息も絶え絶えな満身創痍で百均ショップに出向ける程体力がある訳ではないのだ。
やってみたい、で低出費でやれるこの環境に感謝しつつ、それを買える出資をしてくれた両親に向け深い礼をする。この場に両親はいないが。
目的地には家近くの河川敷である。いつの日か、釣り人がそこで釣りしていたのを見た事があるので魚が居る事は恐らく確定である。その側に釣具店もあるから恐らくではなく確定だろう。ゲーセンに両替機があったり、パチ屋に換金所があったり、火のないところに煙は出なかったり。需要があるから近くに店があるのだ。
家の施錠をしっかりとし、愛用の自転車にまたがる。目的地は河川敷、到着予想時間は十分。準備は完了、問題無し。では、出発!!
と、意気揚々と出発し、到着したのは良いが。
「あぁー? 河川釣り? 特にルールというモノはねぇけど、一般常識的なモラルがあれば大丈夫だな。必要なものといえば……あー、ライフジャケットとかか?」
「ライフジャケットって必要なん?」
ちょっと話をしてみようと、釣具店のおっさん。四十五歳、バツイチ、趣味はザリガニ釣りな
そんな疑問が顔に出てたのか、佐野昌、愛称まっさんはしょうがねぇ、といった表情でレジのカウンターから腰を上げた。ついてこい、と向かった先はライフジャケットコーナーである。
「絶対に必要か、と問われれば微妙だが、じゃあ何の為にライフジャケットがあるのかって話になるよな」
「おぉーん」
「……久しぶりに顔出したと思ったら、その相槌の代わりに変な声出すのは変わってねぇのな」
「まぁ、そこはほら。愛嬌ってことで」
「で、だな」
いや、俺も返事に困る返しをしたって思うけど、無視は酷くない? 純粋無垢な少年だったら泣いてたよ。俺も若干泣きそうだし。
まっさんは一つのライフジャケットを手に取る。
「これは一つの救命道具なんだ。これを着ていたらどんなに泳げねぇカナズチだって溺れて死ぬことはねぇ。まぁ、それも百パーってはいかねぇけどよ」
「って事は身を守るため?」
「それもあるが、第一は『人に迷惑をかけない為』だな。これがあるのと無いのとでは、助けに向かう人の苦労が違う。溺れている人間を救いにいくのと、ライフジャケットでふわふわ流されている中を助けにいくの、どっちが楽だと思う?」
「後者、っすね」
「だな。だからライフジャケットは自分の為であり、他者の為って面がある。お前が勝手に溺れて死のうが俺はどうだって構わないが、助けに向かう人はそういう訳にはいかない。まぁ、何となくわかったか?」
「うん。じゃあ買おっかな……ぎょ!?」
適当に手に取ったライフジャケット(ベルト型)の値段を見て、思わず魚になってしまう。
「二万弱……すぎょいね」
「あまりに反応が魚すぎねぇか? まぁ、大体のライフジャケットはそんな値段だな。見た目も良いし、携帯しやすい。値段だけでみるなら、ほら。これとかどうだ」
そう言ってまっさんから真っ赤っかのライフジャケットを受け取る。値段は……四千円強。うん。まぁ、高いがギリ許容範囲だ。
「じゃあそれ一つと……ちなみに河川釣りってこれでも釣れる?」
俺は背負ったリュックを下ろし、百均セットをまっさんに見せる。
「おぉー、これってあれだろ? 百均のやつだろ? うーん、良いんじゃねぇの」
まっさんは釣竿を軽く振ったり、リールを回したりして軽く試した後に返す。
「釣り入門にはうってつけだと思うが、強いて上げるなら釣り餌は別のでも良いかなって感じだな」
「へぇ。意外とこれでも釣れそうな感じするけどなぁ」
「釣れない事はないが、河川釣りには向いてねぇなぁ。もっと大きい魚向きだから、河川敷にいる小魚はちょっと無理かもしれねぇ。ま、ライフジャケットと比べたら幾分か安いから買ってみても良いかもしれないな」
「そっか。じゃあ釣り餌も買ってみる」
「おう、それが良いな。流石にメタルバイブでこの時期はなぁ……と、ととも釣りに目覚めたなら今度一緒に行かねぇか? 最近良いスポットを見つけてよぉ」
「やだよ。まっさんの良いスポットって基本的にドブ川でしょ? ザリガニ釣りも好きだけど、今は魚釣りに興味があんの」
「げぇ。まぁ、良いさ。大人になったらザリガニ釣りの良さが分かるってもんよ。釣り餌コーナーは壁際奥だからな。ポップで釣れる魚種書いてあっから適当に選べよー?」
と、まっさんのザリガニ誘いアームから抜け出し、釣り餌コーナーに移動する。移動といってもレジから見える距離なんだけども。
ここまで、ライフジャケットの有意義性については知見を得たが、釣り餌の良し悪しについては未だ理解していない。買ったこのかっこいいメタル魚が大型魚向けってのも初めて知った。最後に経験した魚釣りは釣り針に磁石がついたおもちゃのやつだし。
そこまで考え、触りだけ体験すれば今日はいっか。と考える。むーんむーん、と考えていると足元、しゃがんで吟味している少女に気がついた。年齢は俺と同じくらい、もしくは少し下か。長い黒髪を後ろに纏めた活発そうな少女である。最近美少女によく会うなぁ、と思いながら適当に『河川釣りおすすめ』のポップで紹介された変な虫を選ぶ。どんだけ迷っても結局糸を垂らせば大体同じである。
まっさんに聞きにいくのもいいが、次は本格的にザリガニ釣りを勧められそうな気がするのでパパッと終わらせる。
少し移動し、河川敷。小学生たちがわぁわぁとサッカーを楽しんでいる場所から少し離れ、人気のない場所。傾斜のアスファルトに腰を落ち着かせ、準備する。準備といってもぐわぁーとやってそい! で終わりだが。釣り針に虫を突き刺すのだけは苦労したが、侮るなかれ。現代っ子に分類されるとは言え、幼少期は昆虫博士を自称していた俺である。体に針を通すことなどおちゃのこさいさいだ。
ふっ、と息を吐き、流れる小川に釣竿を振って糸を垂らす。
少しの間、ドキドキしながら沈んだ水面を見ていたのだが、一切の音沙汰がないので視線を上げる。
流れる雲。聞こえる子供の騒ぎ声。背後を通る車の音や、油を刺していないギコギコとした自転車の漕ぐ音。
昨日までは大自然の中、木々と鳥、足を動かす二人の息遣いしか聞こえていなかった環境と変わって、全くの別世界である。自然と、人の暮らしが融合した、合わさっているようで、反発しているような。そんな奇妙で、かつノスタルジーさを感じてしまう。
大自然の中で見上げた鳥が飛ぶ姿と、電柱を掻い潜るようにして飛ぶ鳥の姿。どっちが幸せなんだろうなぁ、とか考えながらぼー、としていると少し離れた場所にさっきの釣具店で見かけた少女がいる事に気付いた。
名前は知らないが魚の絵が描かれた帽子にサングラス。手にとって諦めたクソ高いライフジャケットを腰に回し、短パンにタイツ。運動靴に長袖といった誰しもがイメージする釣り人スタイルで釣竿を振るう彼女がいた。足元には人の胴体が丸ごと入りそうな程でかいクーラーボックスが置かれており、この時間で成果を上げる気満々な雰囲気を感じさせる。
見た目の年齢にそぐわない、歴戦の釣り人感を醸し出している彼女に見惚れ、自分が持っていた釣竿が震えるのを感じた。
「え、お、釣れた!?」
そう、慌ててリールを巻き、巻き、巻き、巻けず、ゆっくりと下に降りる。クソほど絡まった釣り針から藻を剥ぎ落とす。魚ではなかったが、藻は釣れたので成果はあったという事になる。釣りっておもろいな!!
そんな事をしている中でも遠くに見える彼女は少しずつ魚を釣りあげ、成果を上げていた。彼女と何が違うのか……? 服か!
こんなギンギラギンな真っ赤なライフジャケットが水面から見えて入れば魚たちも警戒して食いつかないだろう。そう判断して、魚たちから見えないようにうつ伏せになったり仰向けになったり、少し頑張って狙撃手みたいな体勢になってみたり。そんな四苦八苦、悪戦苦闘が見るに耐えなかったのか、遠くに見えていた彼女がすぐ側。見上げれば太陽を隠すようにして、呆れた表情を見せていた。
「あの……釣り、してるっすよね」
「……ゴホン」
体についた砂埃を手で払い落としながら立ち上がる。
「えぇ。釣りというものは奥深いものですね」
「はぁ。その、河川釣りって初めてっすかね。迷惑じゃなかったらアタシが教えましょうか……?」
言いづらそうに、申し訳なさそうに言う彼女。何をそう言い淀むことがあるんだ……? と、少し悩みさっきまでの行動を見返す。うん。変人だな。
善意で声かけたとしても善意を向ける相手が変人だったらそりゃ言い淀むってもんだ。と言うか、そんな相手に声をかけてくれるってどれだけお人好しなんだ……。
改めて彼女を見れば、どこか人懐っこいような印象を受ける美少女。背丈は俺より頭一つ分程小さく、どことなく小動物感を感じてしまう。
そんな美少女からの声かけに頷かない理由はない。と言うか戦果がないのは流石に初めてだからってちょっと辛いものがある。
「お嬢さんがよろしければ、俺に教えて頂けないでしょうか」
と、冗談めかして言う。彼女はふふっ、と可愛らしく笑う。まぁ、サングラスつけたままなので笑ったのか、鼻で笑ったのかは真偽が必要なのだが。
じゃあそれでは、と一歩近づく彼女。だがその足元にはさっき根掛かりして剥ぎ取った藻の山が!!
「あっ」
ズリっと、と足裏が滑り、体制を崩す。彼女。そんな彼女の腕を掴み、引き寄せようと力を入れれば、彼女と同じように足元にこんもりと盛られた藻の山。
「そい、やぁああっぁあ!!!!」
体制を崩しながらであるが、彼女の代わりに前に出る事によってずり落ちる被害者を減らす事に成功する。降る視界。驚きつつも必死に手を伸ばそうとする彼女。あぁ、これで俺は終わるのかぁ、と妙にスローモーションに映る視界の中で、でも男らしさは見せたな、と満足はする。来世では釣りの時に足元に藻の山を作らないと心に決めーーー
ーーーまっさんの手によって引き上げられた。
落ちた先は藻の群生地。頭から落ちたとは言え、着地地点のクッション性が抜群で特に異常はなし。長袖長ズボンな事も相まって外傷も無し。問題を挙げるとするならば全身がびしょ濡れって事だけである。何故まっさんがこの場にいたのかは謎であるが、俺の人生はまだエンドしていなかった様である。
そんな訳で現在、まっさんの釣具屋の二階。その一室、佐野昌の娘である
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