第13話
「労働環境に不満があるならやめればいいっ、まるで奴隷労働させているような言われようは心外だッ」
「年齢や職能から、そう簡単に退職できない人間ばかりを雇っておきながら、よく言えたものですね。繰り返す、時間とは人生そのもの。作業着に着替える時間、始業時と午後の作業再開時、作業準備のため二十分早く入場、ひと月で約五時間、年間では六十時間、先ほどの最低時給で換算すれば五万円強。さきほどサービス残業はないとおっしゃられたが、これらは無償奉仕に該当しないのか」
荒井はうなった。これでも政治家にまでなった男、そこいらの人間よりは弁は立つ。
「た、たかが一生のうちの数分数十分、」
「たかがなどと、奪うことはできても与えることができない人間が
「だ、だからといって実習生制度の撤廃は……」
「そもそもが日本国民をないがしろにした愚かな制度。日本より物価の安い国から労働力を確保するやり方は低賃金雇用の継続をうながし、長時間労働の悪循環を生む」
自分より年下で、ましてや女。そうした思いが見え透いていた。つまり荒井議員は
「悪法は滅するべき」
「せ、正義の人にでもなったつもりか」
「正義とは個人の中にしか存在しない。一般社会でいう正義とは、法律と倫理。明文化されたそれらに背いたものが、悪」
そこでようやく
「立て板に水ですね抜刀議員。是非とも貴女の政治理念をお聞かせ願いたい」
「私が思う最も理想的な政治とは、能力の高い人間による独裁」
独裁という言葉にまたも場がどよめいた。
荒井はくにゃりと笑った。散々やり込められたが、大きな綻びを見つけた。
「あー、抜刀議員、これは忠告。あまり強い言葉を使うと逆に弱く見えるものだ、気を付けたほうがいい」
「強い言葉は強くあろうと願う私の心。だから私はあえて強い言葉をつかう」
槐は冷静に考えている。友和未来の
こうなれば多少の犠牲はやむを得ない。荒井和志という栄光党の身を切りつつ、この場を選り良く収める方法を見いだすのだ。さいわい司会の有川は無駄に出しゃばることはせず、静かに成り行きを見守っている。
抜刀葵は言葉を続けた。
「刑務所見学を修学旅行等に組み込みます。重大犯罪を犯した受刑者の服役している姿を見せる」
「受刑者を見せることになんの意味がある? 受刑者をさらしものなんかすれば、それはただの人権侵害だ」
「犯罪者に人権など不要。同じ重大犯罪者でも情状酌量の有無での区別は必要です。これは将来的に少年法を廃止するための前段階ととらえていただきたい」
「そんなことをしても犯罪者は減るまいよ。それどころか、見世物にされたことで受刑者の精神は余計にすさみ、刑務所の本来の目的である更生も果たせなくなる」
「そもそも犯罪はなくなりません」
「今度はリアリスト気取りか?」
「法律があるからです」
「また屁理屈か」
「武器を捨てよと余人は言う。百人がその言葉を聞き、そのうちの九十九人がその言葉に寄り添ったのだとして、その九十九人は、銃を手放すことを拒んだ一人に皆殺しにされる、かもしれない。どれほど崇高な理想を掲げても、百人が百人その理想に
「それでも理想を追うのが政治家だ。もういい、ああ、司会! 司会のナンタラさん、もう次にいってくれ!」
「日本軍再創設」
「ハア? なんという馬鹿なことをッ! 軍の創設など口にするだけ大罪即刻職を辞すべし!」
「守るために戦うを厭わず。そのための準備をする」
「守るだけなら自衛隊がいる!」
「戦艦の建造、核兵器の開発、兵器の国産化の推進」
「戦艦など時代錯誤も甚だしい。大体我が国には海上自衛隊のイージス艦がある!」
「残存性に重きを置いた艦種の復活を目指す。高性能装甲素材、損傷部位の自動修復機能を備えた艦。計画は既に出来ています」
抜刀葵は淡々とした様子で手元にあった資料を掲げて見せた。激昂する議員らに比べ、涼しい顔をして話を続ける様子は何処となく微笑んでいるようにも見え、それが時に不穏そして享楽的な印象を与える。
「原子力戦艦スサノオ」
抜刀葵が広げた図面には、現代の打撃巡洋艦や空母、或いは過去の大戦時の戦艦、そのどれとも趣きの異なる設計図が記載されていた。
「まあ確かにイージス感が時代遅れになりつつある事くらいは知っている。今後兵器は陸地から直接敵国を攻撃する、グローバルプロンプトストライクってのが主流になる」
抜刀葵は発言した議員をはすに見た。
「ああそうか横文字に弱いんでしたなあ。グローバルプロンプトストライクとは、国土と国土のミサイルの撃ち合い、それこそが戦争と呼ばれる時代が来るという意味だ。戦場という単語そのものがこの世から消滅するんだよ。必要なのは高性能ミサイルと高度な防衛システム。そんな世界に、言うに事欠いて戦艦だと?」
抜刀葵は人差し指を上に向け伸ばした。
「大気圏を越え上昇し、落下して着弾する所謂弾道ミサイルではなく、戦艦スサノオには世界初となる水平巡航ミサイルを搭載する」
「水平巡航……?」
「アメノハハヤ」
「は? ……正気か?」
冗談に聞こえますかと柔らかい声で抜刀葵は尋ね返した。
「訊いているのはこっちだっ」
抜刀葵は髪を耳に掛け、首を傾げた。
「じょうだんにきこえますか?」
幼児を
寧寧が立ち上がった。彼女のルーツは中国大陸にある、抜刀葵の不穏当な発言にさすがに黙っていられなくなったのだろう。
「核廃絶こそ世界的潮流、今まで非核三原則を貫いてきた日本が、今更どうして世界の流れに逆行するような真似をしなくてはならないのですか!」
「核兵器に限らず原子力は長期的巨視的観点から考えてもなくしたほうがいい。しかし、核兵器を一度でも使用してしまった以上、それをなくすには、核保有している世界各国の足並みがすべて揃わなくてはならない。つまり現段階での廃絶は実質不可能でしょう。原子力もエネルギー生産の手段として考えれば、それが国力に直結するものである以上、完全に代替できるものが見つかるまでは、無暗に廃止するのは却って危険。緩やかに減少させていくが好ましいとの考え方でいるべきだ」
「ば、馬鹿も休み休み言いなさい!」
「馬鹿が休むと碌なことがない」
「戦艦の建造などいったいどれだけ費用が掛かると思ってるんですか! 何十年と不況に喘いでいるこの国でそんなことが許されるものですか!」
「何十年も問題を解決できない人間を一般社会では無能と呼びます」
「日本を百年前の貧農国に戻すつもり?」
「その為の兵器の国産化。日本産の武器が世界で売れないわけがない」
「思い上がりだ。日本の製造業が世界で好評を得ていた過去は、過酷な労働環境と滅私奉公を下支えとした、安価で高品質な商品の提供あったればこそ。妄りに素人考えを披露するものではない」
比較的穏やかであるはずの平和党登野ですら声を荒げている。
「先程私は申し上げた。低賃金労働者を擦り切れるまで使い、安価な商品を大量に売ることで利益を得る。半世紀以上に渡って続く悪習は根絶しなくてはならない」
またぞろ立ち上がっていた荒井議員が、眩暈でも起こしたように椅子に埋もれた。
「違う、違うぞ君。核の保有など許されるものか、そんな暴挙世界が許しはしない」
「世界のすべてが日本の核保有に反対するとは思えない」
「あっあっあっアメリカだ、アメリカが黙ってない! アメリカを敵に回す気か?」
「日本とアメリカは本当の意味での友邦にはなれない。日本には広島長崎、アメリカには真珠湾という許し難い記憶、強烈なアレルゲンがある」
「それでもいままで築き上げた信頼関係を壊すようなことをしていいわけがない」
「核兵器保有は防衛の為、本来的に他国に文句を言われる筋合いのものではない。加えて、核弾頭を持った国に対し今の日本に有効な対抗策はない」
「だからこそ外交が肝要なのだ!」
「最悪の事態になった場合は泣き寝入りすると、そう解釈して構わないですか」
「問題はそこじゃない。日本の武装化に懸念を示す国は多いんだ、隣国との関係をこれ以上悪化させてどうする」
「それは日本に責任があることなのですか?」
「なんだとっ!」
登野がはっきりとした怒声を発した。彼は親中派議員としても有名だ。
「今おっしゃられた隣国が具体的にどの国を差しているのかはわかりかねますが」
「ちゅ、」
「ああ。中国は敵でしょう」
「はあッ?」
「今後友邦は明確にします。私は近々に台湾を訪れる」
「台湾ン?」
「日本を思う国がある、それに応えるのは当然のこと」
「日本は核兵器を持たないことで評価されてきたんだ!」
「その方が都合が良かっただけのこと。表面的な評価を実益として捉えるのは愚かしい」
「また他国を侵略するのか!」
「その指摘は間違いではない。武器を持つこと即ちそれが出来るということです。ただ、侵略戦争など百害あって一利なし」
「だから、防衛だけなら自衛隊で構わないはずだ」
「自衛のみでは健全な国家運営は望めない。不法に占拠されたものは返してもらう。国土は明確にすべき」
「軍の創設など、そんな法案通るわけがない! いや、通させはしない!」
「それでいい。投票で決を採る、それでこそ民主主義」
民主主義。その言葉に槐は反応せざるを得ない。何故なら栄光党とは結党以来民主主義の四文字を党の根本理念として運営されてきたからだ。
少々泳がせ過ぎたか。
「あれこれ屁理屈を捏ねているが、軍の兵器のと、抜刀さん、自分の選挙区に製鉄業を抱えてるからじゃないのか? そうじゃないならあんたはただの戦争賛美者だ!」
抜刀葵は鼻から息を抜いた。その表情にほぼ変化はないものの、発言者をあざけっている。
槐は防衛費削減を目指している。当然抜刀葵のごとき意見には与しない。それでも一定層が、彼女の過激な意見に引き摺られてしまうのもよくわかる。
「軍には強い拒否反応があるくせに、小学校などでは未だ多く軍隊式の整列や行進を取り入れている。理念や信念よりも利便性を重視した結果なのでしょうが、大いに矛盾を感じる」
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