魔素研究室の恋愛計画
樋上佳作
第一章 魔素研究室の恋愛緒論
1-1
残念ながらトルイ・アルカの恋愛に関して、有益な経験値は皆無に等しい。幼馴染はぽっと出の転校生に奪われ、席が隣だった女の子にはことごとく振られ、訓練生時代は男ばかりでむさくるしかった。一応、魔法使いの女子が少しおり、アルカはその一人に片思いを寄せ、なかなか熱いアプローチを仕掛けたものだったが、歴戦の闘牛士のように上手くあしらわれてしまった。今思えば人生で最も充実した時間だっただろう。一つ上の彼女と会えなくなりハンター職を断念した後は、半年くらい実家でごろごろし、親のコネで(実家は小さな化粧品会社で、下級であったが爵位を持っていた)オルソ大学へ進学した。惰眠を貪り、しかし日課の筋トレは欠かさず、偶に釣りをし(オルソ大学は港町にある)、アニメに耽り、バイトは断固せず、金は親に無心し、とりあえず二年間分の単位を取った。
取ったけども。
アルカは元々勉強という性質ではなかった。探求したいことが特に何かある訳でもなかった。大学は世間体のため入ったに過ぎない。アルカは体質を活かしてハンターになることが天職だと信じていたので、それ以外の人生を考えたことがなかったのだ。
アルカの持つ特別な能力。
墨のような黒髪が証左である、魔素不感症。
言い換えれば、魔法が効かない特殊体質。
剣技さえ鍛えれば魔獣と渡り合える天稟の才能である。怪物たちと命をやり取りするハンターは世間から見れば畏怖の対象であり、収入や苛烈な生き方から羨望の的でもあった。アルカとしては危険より魅力の方が大きかった。幼い頃から自分はハンターで身を立てるものだと思い込んでいた。
だから訓練校を卒業して半年も経たずにハンター業を廃するとなった時、アルカの失望は大きかった。端的に言えば死にたくなった。まあこうして生きているけども。
死んだように生きていたが。
最近ようやく肉体に乗っているというか、生の手ごたえを感じ始めたのだ。錆びついた機関部に油を差したように。分かりやすいターニングポイントがあった訳ではない。仏が枕元に降り立ったとか、十年前に離れ離れになった幼馴染から手紙が届いたということもない。
時間が解決したというやつだろうとアルカは納得している。原因はともかく鬱の寛解はいいことに違いなかった。
で、恋愛である。
誰もが認める人生の一大イベントである。
漫画にアニメに小説にドラマに映画にゲームに歌に絵画に、神話に至るまで、古今東西あらゆるコンテンツを支える人類の最も重要な関心事だ。今日び、恋愛に興味がないホモ・サピエンスなど、一部のライトノベルに生息する無気力鈍感やれやれ系主人公しかあり得ない。「……ったく、俺は静かに高校生活を送りたいだけなのに……」ってな具合である。殴り殺すぞクソガキ。
その点アルカは全く異なり、実に恋多き男であり、また失恋多き男でもあった。前述した通りの連戦連敗。顔は中、いや上の下くらいあるし、性格に目立った欠陥もないはずだから不思議な話である。
本当に不思議なのだが。
鬱の回復に伴い、アルカはそんな昔の熱い思いを取り戻したのである。
恋愛、つまりは恋人との逢瀬。
彼女とラブラブな痴話喧嘩がしてえ、というのが現時点での率直な感想であった。もっと言うならば痴話喧嘩してから、ふとした切っ掛けで出会った初々しい頃を思い出し、そんなこともあったよねえと笑い合い、肩とか小突き合って、最終的には仲直りに乳繰り合いたいのだ。別に「乳繰り合う」にいやらしい意味はない。恋人だからいやらしいことをしてもいいが。二人でアイスを食べて、飼い猫の尻を分担して撫でて、観葉植物の虫を取ってやり、眠って、翌朝は頬を突かれて起きるのだ。そういう妄想ばかりを最近している。夢に見るくらい。夢から覚めると、現実と見比べてアルカはちょっと憂鬱になる。部屋に猫はいないし、虫だらけのパキラが一鉢あるだけだ。
まず出会いがなかった。大学生なのにサークルに入っていないし、半端に太い実家をあてにしてバイトもしていない。大学に同性の知り合いすら作っていない。講義に出て、レポートを出し、それだけである。グループワークを穏便に流すくらいの社交性はある。必要に駆られなかったから、出会いの場を構築しようとしなかったのだ。
アルカはそんな自分を罵る。
過去の自分、馬鹿か。
アルカは大学生になったら、朝、頬を突いて起こしてくれる可愛い彼女が自然にできると信じていた。熱心な信徒が処女懐胎を信じるように。しかし現実はそうはいかず……。
つか何もせずできる訳ないじゃん。
彼女は自然発生しないのだ。
微生物は無から発生しないという一見当たり前の説が立証されたのは、ほんの数世紀前のことらしい。この前、講義で聴いた。人間の分解能に満たない微生物でさえ、生肉でも野菜でも用意しなければ殖えないのだ。いわんや彼女をや、である。
よってアルカはここのところ、後悔しては悶絶を繰り返していた。
欲しい、彼女が。
切実に。
なぜこの貴重な二年間を溝川に全力シュートしたのか。
アルカ、なぜだ。
なぜ……。
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