忠言は耳に逆らう

黒い猫

第1話


「いい加減にして! 私は……兄さんじゃない!」

美冬みふゆ! 待ちなさい! 美冬っ!」


 母の大声を背に、『美冬みふゆ』と呼ばれた黒髪の少女は大きな音を立てて扉を閉めた。


「一体……どうしたんだ?」


 突然大きな音が聞こえたからなのか、その少女のお兄さんと思われる男性は、心配そうな表情で自分の部屋から姿を現した。


「美冬?」

「兄さんなんか……いなくなればいいんだ!」


 少女は、大声と共に部屋を出てきたばかりのお兄さんに向かってカバンから筆箱を取り出し……投げつけた。


「なっ!」


 あまりに突然の出来事ではあったが、兄さんは咄嗟とっさに腕でガードした。しかし、やはりその表情は『驚いて』……いや、その表情だけではなかった。


 そんな兄さんを置いて、バタバタと学校帰りの制服とカバンを持ったまま家を飛び出したのが……つい一時間前の話だ。


「…………」


 正直、兄さんの『驚いた表情』はよく見たことがあった……。しかし、『せつない』という表情を見たのは……初めてだった。


 ここ最近の兄さんは、仕事に大学に……と忙しかった。それに、私自身も兄さんを避けていた。その結果……今ではほとんど顔を合わせることもなくなっていた。


 でも、別に兄さんがいなくても私の生活が大きな影響もなく、ほとんど変わることはなかった……。


 だが、食事の際にいつも座っているはずの人がいない……というのは、その席が『空く』という事で……その空席が私には……寂しく映った。


◆  ◆  ◆


 いきなり家を飛び出したが、時間的には『深夜』という訳でもなかったから、お店の電気もまだチラホラと点いていた。


「……サイフ入れてなかった」


 いつもであれば学校帰りにコンビニとかに寄る。


「はぁ、なーんで忘れるかな」


 決して誰かが悪いわけではないが、家出をしている今日に限ってカバンの中に入れ忘れてしまっていたようだ。


 でもまぁ、お客がたくさん入っているような場所には極力行きたくない。


 それはもちろん『知り合いに偶然で会う』というリスクを避けて……という事もあるが、そもそもどこかのお店に入りたい気分でもない。


「……公園で時間つぶすか」


 ボソッと小さいつぶやきと共に、外灯がポツポツと点いているだけの誰一人いない公園へと……足を踏み入れた――――。


◆  ◆  ◆


 私の名前は金村かねむら 美冬みふゆだ。現在、県内の女子校に通う高校三年生の高校生である。


 しかし、私は決して美人ではない。それでいて漫画やドラマの様なキラキラ……もしくハラハラ……ないし、ドキドキ……といった学校生活を送っているわけでもない。


 それに、どの部活動にも入っていないので、心を熱くさせるような青春も……特にはない……が、ただ……ここ最近、私は一つだけ嫌なことがある。


 でも、そこまで深刻な話……ではなく、なんて事のない……ただ年が近い『兄さん』の存在だ。


 私の友人である『小春こはる』にもお兄さんがいるらしいが、なんだかんだ言い合いながらも、私から見ると……結局、仲がいい。


 しかし、小春からしてみると『嫌なこと』も『嫌なところ』もたくさんあるらしい。


「でもまぁ、同性の兄弟とか姉妹とかじゃなかっただけよかったよ」

「なんで?」


「いや、勉強はともかく……運動で比べられることはあんまりないじゃん。少しでも『比較される』って事が少ない方が私はいいから」


 小春はそう言って笑った。


 私が思うに『普通のご家庭』ではやはり男女の身体能力的な差を考慮してくれるのだろう。しかし、それはあくまで余所様のご家庭の話であり、自分の家の話ではない。


 そう……私の家では『そんな事』は関係がないのだ。


 ただまぁ、昔から『そうだった』という事もあり、周囲から「おかしい」と言われていても私は特に気にしていなかった。


 でも、色々と分かるようになった今となっては――やはり『不公平』だと思う。

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