第12話 わたしの名前の花

脳内に眠る母の記憶。花畑で踊るその髪にはあるものが乗っかっていた。

 それは花冠。大輪の薔薇を結ってできた、花の王冠。

 檻の中の少年とまったく同じものを、今は亡き母は頭に乗せていた。

「なんで……!? なんであの子が……!!」

 混乱に陥った。見間違うわけがない。日々手芸に明け暮れるロザリーにはわかるのだ。薔薇の色合い、花びらの数、その結い方――。

「お母さんの花冠だ……!!」

 思わず手すりから身を乗り出した。眼下にはどこまで続くともわからない暗闇の縦穴が続いているが気にしない。少しでもその少年に近付こうとした。

 輪郭のくっきりとしたブロンド髪の少年だ。歳はロザリーと同じか、少し下くらいに見える。纏った白衣の足元には数枚の薔薇の花びらが落ちている。

 彼は両手で鉄格子を揺らしながらこちらになにかを訴え掛けている。が、声が聞こえない。口元を拘束具で覆われているようだ。

「出して欲しい……の……?」

 仕草だけならそう見える。鉄格子の隙間からこちらを指さしている。

 ロザリーは周囲に目を走らせたが、少年の檻に続く通路は無い。空でも飛べない限り、近付くことは出来なさそうだ。

「ど、どうしよう……そうだ、誰かを呼んで……」

 しかしその案は即却下された。当然だ。ここはメルボイルの中枢にして王族のお膝元ボイルタワー、その内部。少年を閉じ込めているのはその゙誰がに他ならないのだから。

「メイド隊の人たちがやってるってこと……?」

 もしかしたらこの少年が犯罪を犯した人間なのかもしれない。立場のわからない以上はなんとも言えないが、ロザリーは直感的に不気味さと猛烈な拒絶感に苛まれた。

 なにかを訴え続ける少年。息を飲むロザリー。二人の視線が交差する。

「あらら、誰かいらっしゃいますの?」

 奥の通路から声が鳴った。貴婦人を思わせるような優雅さのある女の声だ。

我に返ったロザリーは逃げ出すようにその場を後にした。


ローズドリスの予約してくれたホテルは、それは豪華なところだった。彼女の私室に勝るとも劣らない飾りや設備が整い、一人ではとても使えない部屋の数と、食べきれない量のお菓子が用意されていた。普段ならお目に掛かれない丸型のユニットバスやプールまで。

 しかしロザリーはそれらに一度も手を付けていなかった。初めて過ごす絢爛な部屋を見て回ることすらしない。心ここに在らずといった様子で窓から大都市の夜景を見下ろしていた。

「…………」

 意識はあの少年のことでいっぱいだった。ほんの小一時間前の出来事はなんだったのか。

 疑問が波のように押し寄せる。

 なぜ囚われていたのか。あの空間はなんなのか。もし犯罪者であるならなぜあのような鳥籠に収容する必要があったのか。そしてなぜ――

「お母さんと同じ花冠を乗せていたの……?」

 記憶の中に張り付いたものと瓜二つ。凛絶とした真っ赤な薔薇。

 ――私の名前のお花――

 その疑問は夜が明け、目が覚めて、家に帰っても晴れることはなかった。

 工房の隅で刺繍の手を止めて問いかけた。

「私の名前の由来になった薔薇の花なんだけどね」ネリおばさんに振り返る。「――もう絶滅しちゃったんだよね?」

 そう聞かされていた。他でもない、この叔母から。

 少し開けて返答がきた。

「ああ、そうさ。遠の昔にね。なんでだい?」

「……別になんでもない。ちょっと気になっただけ」

 止めた手を再び動かした。絶滅などしていない。していなかった。見たのだ。この目で。

 スチームパンクの街の、王とメイドが居座る中枢の城の、奥の奥底で。確かに見たのだ。

 あのブロンドの少年と共に。

「君は――だれなの――?」

 薔薇の花びらを縫う手先が狂い、針は指に刺さった。そこから一筋の真っ赤な血が流れ、未完成の花びらの上にぽたりと落ちた。

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