「消失」する、魔石。

 カイルの淡白な態度に、エルウィザードは破顔すると、この半年間のあらましをやや前のめりになりながら語り始めた。


「ここ数か月の間、様々な領地で結界装置の不具合が頻発ひんぱつしての。てんやわんやの有様じゃった。急ぎ調査に向かわせたところ、魔石に重大な欠陥が見つかった」

「魔力消失か」


「そうじゃ。取り替えたばかりの魔石が、ことごとく魔力を失い、結界装置が不安定になったり、機能を停止する事態が相次いだ。中には魔道具ごと壊れてしまったものもある。分解して調べさせたところ、回路に不具合を及ぼすような深刻な異常が確認された」


 ヴァドラドのように複数の魔力装置を保持できる都市ならまだしも、人口の少ない農村部では、たった一基の結界装置が住民の命綱となっている場所も多い。


 魔石が原因だと気づいたのは装置を分解したすぐ後のことで、このことが判明するや否や、国内に点在する一万を超える装置の緊急調査が開始されたのだ――と、エルウィザードは静かに告げた。


「一万箇所以上……」


 膨大な数に、フェンネルはゾッとしたように表情を強張こわばらせる。そんな彼を横目に、アルマーは何かを思いついたのか、部屋の隅に静かに移動した。


「異常な個体だけを検出する方法がないからな。手間はかかるが、人員を割いて確実な手段で調べた方が間違いは少ない。だが、さすがに神殿の関係者だけでは時間がかかりすぎてしまう。そこで、陛下の差配さはいによって内々に各領主を通さず、調査の者が派遣されたらしいが――お主のところへは?」


 怪しい人物を見抜くのが得意だろう、と言外に告げられたカイルは、しばらく黙って考え込む。


 国王が内々に調査を指示したということは、それなりに権威や影響力を持つ人物が、この騒動に関わっている可能性が高い。それはつまり貴族であり、カイルたちも余分に漏れず調査の対象になっていたことを示す。


「いや。


 その言葉に、エルウィザードは「やはりなルビ」と首肯しゅこうし、少し考えるように口を開いた。


「とにかく――あれこれしておるうちに、思った以上に時間がかかってしまってな。最後に訪れたのがライグリッサというわけじゃ」


 エルウィザードは淡々と語り続ける。


「魔獣の多い土地ゆえ、どんなに小さな村でも複数の防御結界を備え、領民それぞれが武器を持ち、自衛できる特殊な場所だからの。結界装置が不具合を起こしたとしても、相応の対処はできるであろう。それに――領主は何があっても。だからこそ、最後に参ることにしたのじゃ。問題なかったであろう?」


 カイルはその説明を聞きながら、机の上に散らばった資料に視線を落とす。


 手元の資料は、エルウィザードに命じられて部屋を退出する前、聖女見習いの娘からアルマーへ手渡された調査報告書だった。


 内容に目を通すと、「新調したばかりの魔石の不具合」と、それに伴う「結界装置の破損」に関する記述が目を引いた。


 いくつもの情報が脳内で組み合わさり、思考が巡る中、カイルを横目にエルウィザードはもう一つ焼き菓子を頬張った。


「エルウィザード様、これを」


 棚から何かを取り出したアルマーが静かに歩み寄り、箱を一つ差し出した。


「ん? これは?」


 エルウィザードは箱を受け取りながら、そっと蓋を開けた。


 中には、透明感のある青い球体の魔石が一つ、収められていた。


「ヴァドラドの防御結界装置に嵌め込まれていた魔石でございます」

「今日は時間がなく、視察できなかったからな。さすがだの、アルマー。礼を言う」

「恐悦至極に存じます」


 エルウィザードはその魔石に視線を落としながら、しばし黙考もっこうした。


 部屋の光を受け、美しく艶やかに煌めく魔石。


 その輝きは不気味なほどに静かなものだった。


 やがてエルウィザードは口元を緩め、ふっと笑みを浮かべると、意地悪げに言葉を紡ぐ。


「お主は腕っぷしこそ確かじゃが、からのう。これがいかなるものか、判別できぬであろう?」


 ニヤリと白い歯を見せて笑う彼女に、カイルの眉が僅かに動いた。


殿、魔力を通せば一目瞭然であろうに」


 さらりとからかうように言われた途端、カイルはあからさまに不機嫌な顔をした。


「……あの娘は何なんだ?」


 苛立ちを帯びた唐突な問いかけに、エルウィザードは指先で魔石を転がしながら、少し目を細める。


 そして、その「あの娘」が誰を指しているのかに気づくと、軽く肩をすくめた。


「アステリーゼのことか? ――あれは、聖女見習いじゃ」


 カイルがさらに問い詰めようとする前に、彼女は続ける。


「母親からの推挙すいきょでな。保有魔力の規定値にも満たない娘に『聖女候補』という箔をつけるため、多額の寄付をしたと聞いておる。神殿は慈善事業ではない。多くの人員を抱えている以上、どうしても先立つものが必要なのは理解できるが、最近はやけに独断専行が目立つ。妾のあずかり知らぬところでな。……押し付けられるこっちの身にもなってほしいものじゃ」


 カイルは眉をひそめた。


「ルゼンティアは経済的に困窮しているはずだが?」

「それぞれの家の内情など、知るものか。……じゃが、母親が何者かの支援を受け、娘を特例的に神殿へ押し込んだのは事実じゃな」


 エルウィザードの手のひらで、魔石が鈍く明滅する。


「……なんと」


 驚愕の声が漏れた。


 魔石が急速にその色を失い始めたのだ。


 一瞬前まで鮮やかな青をたたえていたそれは、見る間にくすみ、まるで消し炭のように崩れ落ちていく。


「……!」


 エルウィザードの目が大きく見開かれる。


 魔石は手のひらの上で、黒紫の塵となり、跡形も残らず完全にその形を失った。


 文字通り「消失した」のだ。


 まさかの現象に、カイル、フェンネル、アルマーも息を呑んだ。


 だが、誰よりも驚愕きょうがくしていたのは、エルウィザード自身だった――。




 *****



 これ以上出口のない会話をしても徒労とろうに終わるだけだ――。


 そう切り出したカイルの言に一理あると判断したエルウィザードは、皿の上の全ての焼き菓子を頬張り終えると、カイルの執務室を意気揚々と出たところだった。足取り軽く、アルマーによって開けられた扉から部屋から出ると、突然鋭い鳴き声が耳に届いた。


「ん?」

「いたぁあああああああいいいいいいいい!!!」


 目を凝らせば廊下の向こうから、赤毛とオレンジ髪の使用人に連れられ、アンテリーゼがいい年をしてまるで子供のように「ぴえーん」と泣いている姿が目に入った。


 それをエルウィザードと同じように目に止めて、カイルは思わず眉を顰めた。


 「お嫁にいけなぃいいいいい」と泣き叫びながら、途切れ途切れに「お母さまに言い付けてやるんだからぁ」と声を荒げている。


「あれはどうしたのじゃ?」


 呆れ果てて言葉もない様子のカイルの代わりにエルウィザードが尋ねると、同じようにわけがわからないとフェンネルは困ったように首をかしげた。 すっかり暗くなった屋敷のおぼろげな灯りの中、フェンネルたちの視線の先で二人と一人がもつれるようにしている。


 カイルの横からアルマーがゆっくりと足を進め、その場に到着すると、何事か尋ねている姿が見えた。


 ギャーギャーとひと際言い争う声が響いたかと思えば、オレンジ髪のキャリーンが床に引き倒されたアンテリーゼの背中にしかかって、髪を引っ張った後、拳を振り上げようとしているのが見えた。


 それを後ろからミレッタが羽交い絞めにして止めているという、珍しい図である。


 ほどなくしてアルマーが戻り、こっそりとカイルに耳打ちした。


「ルゼンティア伯爵令嬢が……。イェニーを怒らせた、と聞きました」


 珍しいことにアルマーの頬がにわかに痙攣している。


 隣でその言葉を聞いたフェンネルは、顔を盛大に引きつらせ、言葉を詰まらせた。思い当たる節があるのか、腰の下、臀部のあたりを微かにさする。


「う……わぁ……」

「一大事だな」


 ふむ、と顎に手を当てて考え込むカイルに対し、エルウィザードだけはその状況がつかめず、戸惑った顔で「どういうことだ?」と問う。


 どのような言葉でエルウィザードに伝えるべきか。


 アルマーとフェンネルが顔を見合わせたその瞬間、


 突如として、耳をつんざくような悲鳴が空間を切り裂いた。


「な!?」

「誰の声じゃ?」

「……」


 カイルは眉間に深く皺を寄せ、凶眼を鋭くいだ。


 耳を澄ませ、意識を集中させる。


 再び、同じ方向から、今度は別の人物の声が悲鳴に重なる。


 耳によく馴染むその声を、カイルが間違えるはずがない。


「コーデリア!」

「カイル様!!」


 フェンネルの制止を振り切り、カイルは声の方向へ向けて走り出した。



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