第31話

「フィーナ...」


 反応の途絶えた耳飾りを握りしめ、リゼが呟く。視点をまっすぐ下へ落としながら思考をフル回転させ、今からどう行動すべきかを必死に考えていた。

 今すぐにフィーナを助けに行くべきだろうが...それは本当に安全だろうか?しかし、今から応援を呼んで間に合うか?最後の声からして相当追い詰められていたはず...。それに、彼女を置いていくことなんて自分にはできない。

 ならばどうするべきか、という答えを得る前に、リゼは走り出していた。可能な限り魔力探知の範囲を広げ、彼女の魔力の反応を必死になって探し始める。

 彼女の森の中での移動速度と、最初に通信した時の魔力強度から、最後の通信場所はある程度絞れる。問題は、そこからどれほど移動しているかだ。

 もし遠くへと移動していた場合、見つけることは困難だろう。逆に、最後の反応場所からそれほど離れていなかったら、最悪の場合、既に掴まっている可能性がある。

 こういう時に悪い想像ばかりしてしまうのは自分のよくない癖だ。前々から自覚してはいたが、なぜか最近は特にそれを強く実感する。

 原因はおそらく...彼だろう。

 彼がいた時は、そんな不安など感じることはなかった。いや、多少感じてはいたが、最終的にはどうにかなるという考えのほうが強かった。...今思えば、彼のそばにいた時は、常に安心を感じていたのだろう。彼はいつも、その先で起きることを予言しているかのように、まるですべてを理解しているかのように行動し、自分たちの想像のつかないような動きで対処する。それに振り回されることもあったものの、どこか説得力があるように感じていたのだ。

 もし彼がこの場に居たら、私はもっと冷静でいられたのだろうか。

 そう考えながら、リゼは森の中を進んでいく。理性に流されるよりは、感情に流されるほうが利口だと信じて。

 しばらく捜索を続けていると、フィーナの魔力波動に似た反応を見つけることができた。その近くには非常によわよわしい反応と、反対に非常に強力な反応の二つがあった。どういう状況かは分からなかったが、リゼは迷わず進行方向を変え、彼女の元へと急いで走り出していった。


 気が付くと、暗い部屋の中にいた。頭痛を感じて頭を押さえようとするが、うまく手が動かず、拘束されて身動きが取れなくなっていることに気付く。

 そういえば、単独で偵察している途中で何者かに襲われ、気を失っていたのだ。周囲を見渡すと、泥を固めて作られた簡素な建物の中、木の棒と草で作られた扉と腕一つがぎりぎり通る程度の小さな窓が目に入る。

 建物の基礎自体は、低知能のゴブリンらしいものだったが、それらの装飾、および構造は明らかに人間の文化的なものだった。それに自分が縛り付けられているこの木製の椅子も、街で使われている一般的なものと一致する。

 必死に体を揺さぶって拘束を解こうとするが、意外と複雑に縛られているらしく、うまく解けない。

 身をよじり続けていると、外から土を踏みしめる足音が聞こえてきた。はだしで生活するゴブリンたちからは出ることのないはずの音。その音は少しずつこちらへと近づき、扉の前で立ち止まる。

 急に差し込む強い光に、目を細める。開かれた扉から一人分の人影がゆっくりと入り、再び視界が暗くなる。

 背格好からして、成人した男の様だった。年は30代くらいだろうか。深緑色のローブを被り、不健康そうな肌色と頬骨の浮いた顔で、やけにギラついた目をしていた。

 男はフィーナを品定めするように見つめると、舌打ちをして怒鳴り始めた。


「チッ、ガキじゃねぇか!おいっ、ポー!テメェ、捕まえたのは人間の女って言ったよな?」


 男が扉の外へ向かって叫ぶと、外から一匹のゴブリンが入ってきた。これが先ほどポーと呼ばれていたゴブリンなのだろう。

 ゴブリンに向かって話しかけるなんて...と思っていたのもつかの間、そのゴブリンは男に申し訳なさそうにしながら、


「申し訳ありませんご主人様。我々にはどうも人の年齢が見た目では判断しがたく...私にわかるのは雌雄のみでした」


 驚いたことに、そのゴブリンは人間の言葉を使って男に向かって話しかけたのだった。


「そんな言い訳はいい!こんな年齢では実験材料にもならないどころか、私の慰めにすら使えないではないか!」


 男はそう言うと、頭を垂れ続けるゴブリンを蹴り飛ばした。そして、おもむろにフィーナの首を掴むと、その顔をじっくりと見つめ始める。


「...いや、暗闇で分からなかったが、よく見れば綺麗な顔立ちをしているじゃないか、発育も悪くない...これなら多少"使える"か」


 男はそう言うと、ゴブリンに顎で指示し、建物の外へと移動させた。


「最低っ...たった16の子供に手を出す気っすか?きも...」


「フンッ、この状況で最初に出る言葉がそれか?ずいぶんと余裕をもっているようだ。自分の生死が目の前の相手にかかっているというのになぁ...違うか?」


 男はそう言うと腰にあるナイフを抜き、フィーナの首元に突きつける。


「それに、ギルドに所属した時点でまともな死に方はできない事を承知の上だろう?ほとんどの冒険者が、寿命で死ぬことなどできないのだ。モンスターに惨めに殺され、時には毒に侵され、またある時には餌として食われる。それに比べれば、これくらいなんてことないだろう?なに、お前はただ抵抗さえしなければいい」


「ははっ、嫌に決まってるっすよ。もし、あんたが私に手を出せば、そのモノを食いちぎってやるっす」


「なら、先にその歯を全て抜いてやろうか?どうせ、お前には必要ないものだ」


 そう言うと、男はフィーナの顔に近づき、その口に手を当てる。フィーナはその一瞬をついて男に頭突きを食わせると、男に向かってつばを吐いた。


「はっ、理想を持つ男にしてはずいぶんと小さい器っすね。どうせ、その理想すらも取るに足らないちんけなものなんじゃないっすか?」


 そうフィーナが煽ると、男はあからさまに機嫌が悪くなった様子で怒鳴り始めた。


「ガキが、何も分からぬくせに好き勝手...!この研究は!我らが"モルスセルヴィ"において、いずれ必要不可欠となる技術の開発という!崇高な目的があっての物なのだ!それが....それがお前みたいなガキにわかるかっ!」


 男の両手がフィーナの首へと伸び、そのまま首を絞めていく。怒りに任せた...それにしては少し弱いものの、フィーナの呼吸を止めるには十分なほどの握力で彼女の首を握りしめ、確実に追い詰めていく。

 その手から逃れようと身をよじるが、逆に首を絞める力が強くなるばかりで、あまりの苦しさにいつの間にか目からは涙が溢れ、空気を求めるたびに嗚咽が漏れる。

 もうダメかと思ったその時、建物の外で水がはじけるような音が聞こえ、フィーナの首にかかる力が少し弱まった。


「ゲホッ、ゲホッ」


 喉に残る圧迫感をかき消すように咳をして、逸る心臓を落ち着けるように深呼吸をする。

 フィーナから手を離した男は、後ろを振り向き、音の原因を探ろうと耳を欹てててた。その音の主と思わしき人物は、ガシャ、ガシャと金属音を立てながら近づき、草木で作られた扉に手を掛けて中へと入ってきた。


「あ、あ、あなたは!」


 外からの光と、目に浮かぶ涙のせいで姿は捉えられなかったが、男が丁寧な言葉遣いに変わったことからして、彼の上司か何かなのだろう。


「ななな、なぜこのようなところに!?い、いえ、文句があるというわけではございません!寧ろ、この研究に目を掛けてくださった事を光栄に思います!あ、こちらの娘は、つい先ほど捕えまして...これから実験の材料にしようと思っていたところでございます。も、もし宜しければ、その前に...その、一度お楽しみいたしますか?」


 そう話す男に、その人物はたった一言、「解け」とだけ言った。

 

「承知しました。それでは、私はすぐに退室させていただきます」


 男はそう言うと、フィーナを拘束する縄に手をかけ、足、腰、腕の順番で縄を解いていく。腕の縄が解かれ、フィーナが抵抗しようと立ち上がろうとした時だった。

 男の胸から剣が飛び出してきたかと思うと、その刃はフィーナの首を掠めて後ろの壁へと突き刺さった。心臓を貫かれた男の血がフィーナへと降り注ぎ、あまりに突然の出来事に体が硬直する。

 状況が飲み込めずに固まっていると、壁に突き刺さった剣がゆっくりと引き抜かれ、振り払うと同時に男の死体が剣から引き抜かれ、壁へと打ち付けられる。

 やっと光に慣れ、涙が乾ききった彼女の目に映ったのは、白い鎧を着た大男であった。その鎧の形状は、いつか馬車の中から見た"モルスセルヴィ"のギルドマスター、イクリスの物と全く同じである。

 そのことを理解した瞬間、心臓が激しく跳ね、無意識に体が震え始めた。少しでも距離を取ろうと後ろに下がるが、うまく動かず椅子から転げ落ちるような格好になる。地面に這いつくばりながらも後ろに下がり続け、壁に張り付く。

 イクリスはゆっくりとフィーナに近づくと、剣の切っ先をフィーナの眼前へ突きつけた。


「ひっ...あ、あ...」


 もはや足元の温もりが血液なのかどうかも分からないくらいに緊張し、悲鳴にも満たないような、ひどく情けない声が漏れる。

 なぜ奴がここにいて、なぜ自分の部下を刺し殺したのか。理解の及ばない行動の連続に、目の前の相手が得体のしれない化け物のように見えた。いや、実際に化け物なのだ。でなければ、あんな殺人鬼集団のリーダーなんて務まるはずがない。

 言葉一つで他人の生死を左右するような人間に、いまさら常識など残っているはずがないのだ。たとえ元が正常な人間だったとしても、その"環境"と"記憶"が、人の人格を醜く捻じ曲げ、拘束してしまう。

 そんな壊れた機械のような男が、目の前にいるのだ。いっそのこと自分も狂ってしまえれば、この恐怖も多少はマシになるのだろうか。

 そんな考えが泡のように浮かび、弾けようとした時、急に建物の壁が轟音を立てながら崩壊した。その直後、丸太のような物体が自分の頭に向けて薙ぎ払われた。

 咄嗟に目を瞑ると、風を切るような音が頭上から聞こえた。ゆっくりと目を開けると、自分の眼前にあったはずの剣が上へと振り上げられていた。

 何が起こったのか分からず固まっていると、イクリスは剣を下ろし、フィーナの頭へとゆっくりと手を伸ばしてきた。近づいてくる手に、呼吸が浅くなり、心臓が破裂しそうなほど鼓動したかと思うと、突如視界が暗転し、そのまま意識を失った。


 イクリスはフィーナの首根っこを掴み上げて抱えると、目の前に佇む巨大なゴブリンを見上げる。そのゴブリンは部屋の中を見渡した後、床に落ちている男の死体を見つけた途端、雄叫びをあげて叫び始めた。


「ア...ア...ゴ主人サマ...ウガアァァァァ!!!」


 暴れ始めたゴブリンの攻撃を避けながら、イクリスは右手の剣を構え直す。そして彼の握る剣が巨大な大剣へと変形すると同時に、ゴブリンへと飛び掛かっていった。

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