第一章 砦墜とし編・2
「大丈夫、大丈夫だから。わたくしは貴女の味方です。もちろん創造神が貴女を罰してはいないことから、貴女が潔白であるのは自明です……落ち着いて、何があったのかわたくしと神に告解なさい」
曲がりなりにも第一聖堂内で起きた事変だ。創造神への直接的な邂逅ではなかったが、その威光を地肌に感じるほどの大儀式であったのだから、神がその場で罪人を裁くことはできたであろうと巫女長はそう判断した。
ただし、通常ならばそうだっただろう。事これに関しては複雑な背景があり、全てを知るのは彼の王と創造神のみだ。
冷静になり神託を授かるよう祈れば、神は応えただろう。巫女長がそれをしなかったのは、儀式後の異常事態に気が動転していたからに他ならない。直感も心理状態によっては働きずらくなることもある。
しばらく巫女長はアコニタムの背中を擦りながら、手を握ってやっていた。
随分と身体が冷えていたので子どもたちにしてやるように身を寄せていると、アコニタムが燻し銀の髪を揺らして巫女長と視線を合わせた。
その青色に輝く灰銀色の虹彩は、磨かれた鋼鉄に似た強さを感じさせた。
依然青白い顔色で、今にも気絶していしまいそうなほど具合が悪そうだが、これならば冷静に話しをしてくれそうだと巫女長は思った。
さて、どういった経緯で高位の呪いを帯びることになるのか、その答えが少女の口から告げられる。
「あの、私……儀式の時に見たのです。巫女長、信じてください。私ははっきりと見たのです」
巫女長は優しく見えるよう鷹揚に頷く。まだあどけない、線の細い巫女が今にも泣き崩れそうな表情で、言葉を紡ぐ。
「あれが……いつの間にか真っ白な世界にいたのです。夕闇と黄昏れを背負った、水晶の角を生やした怪物が!」
巫女長はそれを聞いて無意識に立ち上がっていた。
少女の細い首を凝視し、怖気によって歯の音が合わずカチカチと言う音が部屋を満たす。
乱れた呼気が耳障りに聞こえ、それを止めようと首を振ったが、それよりも自分の心臓の音が頭に響いて、咄嗟に頭を押さえた。
「巫女長……あれはなんなのですか。私はどうしてあれに呼ばれたのですか。創造神への祈りが足りなかったのですか……巫女長、教えてください」
巫女長もアコニタムも冷静ではなかった。錯乱していたと言っても過言ではない。
彼の王の姿を神託で知っていた巫女長は、自身の中で組んだ言い訳を否定し続けていた。
少女は儀式で大量の霊気を浴びたから、かつての自分と同じ神託を見たのだ、とか。
彼女は実は魔物との混血で、霊気でそれが表出したのだ、とか。
他にも荒唐無稽な仮説と空想の入り混じったものが組み建てられるが、その度に少女の首の呪印を見て現実を突きつけられた。
余りにも複雑な呪印である。こんなもの並の怪異には付与できるはずがない――儀式はごく短時間だったのだから。
そもそも結界の最奥で起こる事件ではない。だが、現実だ。こんな現実はどうかしている。
しかし、勇者召喚を成功させた今、微かだが希望はあった。
それを思い出した巫女長は冷静さを取り戻した。それと同時に、新たな謎が浮かび上がった。
なぜ末席の巫女だけが彼の王と接触したのか。
巫女長は己の立場と、この謎を解かねばならないという使命感に突き動かされた。
「貴女、ええと……アコニタム、でしたね」
「は、はい、巫女長。皆からはアコと呼ばれております……それで巫女長、私が遭ったあの怪物は、一体?」
一呼吸置く。言うべきか言わざるべきか。
しかし、彼の王が彼女にだけ姿を見せた理由を推理するには情報が少なすぎた。
巫女長は葛藤の末、あれが魔王であることをこのか弱き少女に告げる決心をした。
まだ自分の仲間と、王族しか知らない災禍の王を知る少女。
そして、その邪悪の化身から呪いを受けるほどの奇特な運命を持った人間を知るために。
「アコ、アコニタム、冷静に、落ちついて聴きなさい。アナタが儀式の最中に出遭ったのは、宵の明星と、神が告げた魔物です。わたくしたちはそれをこう呼んでいます……災禍の王、または魔王と」
数秒の沈黙。そして巫女長の言葉が浸透したアコニタムは、白目を剥いて発狂した。
巫女長は瞬時に聖句を紡いで鎮静化の奇跡を行使する。
咽が潰れんばかりに絶叫するアコニタムは、己の頭を部屋に備え付けてあった大理石でできた机の角に全力で叩きつけようとしたところで止まった。
もしこの場に巫女長が居なければ、アコニタムは正気を失ったままその命を絶ったであろう。
アコニタムは一命を取り留めた。
だが、同時に彼女は彼の王が告げた呪いの意味を思い出した。
【輪廻転生の呪印】。もはや死は救いではないのだ。
もう彼女は逃げられないのである。
眼を閉じて一心不乱に祈るアコニタム。その口から救いを求めるように矢継ぎ早に事のあらましが語られた。
「ああ、なんと痛ましい事でしょう……輪廻転生の呪印。現世に縛り続けられる因果の呪い……永遠に魔王の標的にされるだなんて、あまりにも惨い」
「私はあんなに恐ろしいものをもう二度と見たくないのに。どうして私なんですか、覚醒者とはなんなのですか。もう、何も分からない。何もかも真っ黒なんです、巫女長」
全てを語り終わり、アコニタムはさめざめと泣いた。巫女長の肩に頭を寄りかからせ、今だけは母に甘える幼児のようにすすり泣いた。
巫女長は時折アコニタムの涙を拭ってやりながら考える。
魔王の目的。
アコニタムが目覚めたという力。
儀式場での遣り取りとその後について。本人から聞かされた断片的な情報を時系列順に並べ替え、魔王の言葉などからどのような精神構造かを導き出す。
完全に理解できたとは言わないが、第一印象としては暴君であり残虐非道、また精神性が幼いといった感想も浮かんだ。行動原理としては快楽主義と言うべきか、どうも衝動的に行動しているようだなといった印象を持った。
それが罷り通る程の莫大な力を持ち、理不尽にして獰猛なところは正しく魔物のままである。
残念ながら、交渉の余地は無い。
言葉が通じない。
しかし相手は自分の意見を絶対であると決めつけている。
そんなもの、癇癪を起こした悪童よりもたちが悪い。
けれども、欲求を叶える為にある程度の自制は働くという事もわかった。
もちろん全く信用できないが。
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