第2話
そのような状況にあってなお、私があえて初恋の思い出について振り返ろうと思ったのには理由がある。
私自身が歳を重ねて、恋愛をしては痛い思いをしたり、かけがえのない思い出を作ったりするようになって(――とは言え、痛い目に遭ってばかりではある)幾らかの時間が経つ。一時は私に強いトラウマを植え付けた相手が夢に出ることが多くあり、その相手の記憶を打ち消したいと強く願った結果、夢に初恋相手が出てくることが増えたことがあった。このような傾向は現在では消失しつつあるが、付き合う相手や友人関係になる異性が増えると、徐々にまた夢の中に過去の人物――今度はこの初恋相手が出てくるようになった。ところが人間の記憶とは儚いもので、最近は初恋相手が夢に出てきても、表出するのは相手の輪郭と、雰囲気と、ただそれが大事だったという過去の記憶のみで、私の記憶の中にある彼女は歳を取らないまま、徐々に存在を薄めつつあるのが現状だった。
つまり、今の私にとって初恋の思い出を語るというのは、経過する時間と人間の記憶の曖昧さという、人間に課せられたある種の宿命に対する反抗なのであった。もしこのまま私が時に身を任せていけば、彼女の存在は私の中から消え去って、きっと現在の(或いは未来の)相手の記憶だけが残っていくことになるのだと思う。私は自分の記憶というものを――それが例え、自分自身が酷く傷ついてきたことの履歴であったとしても――愛しているし、現在しか存在しない人間は醜いとすら思う。であるから、私は敢えて、俗人の如く、自分自身の……痛々しい初恋の話を、断崖を跳躍するかの如く、執筆してみたいと思う。それに加えて、嘘を書くつもりは無論全くないが、削ることによって記憶の美しさを担保したいと私は思っている。この作品以上に、私の中にある彼女の記憶と、その時に感じた切実な思いへ応えるための、致し方ない一つの処置として。……
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