ep.39 ニンジョウ

「オレは視えるんだね、ライム」

 ヨースケはそう言うと、攻撃を弾くようにナイフを振った。


 それからそのナイフを、腰が抜けて座り込んでいる俺に手渡すと、目の前にしゃがんだ。


「ちょっと失礼?」

 そう言って俺の頭に手を添えると、ヨースケは額にキスしてきた。


「これで視えるでしょ?」

 ヨースケはそう言いながら立ち上がった。音楽室の真ん中に、セーラー服の少女が居るのがはっきりと目に映った。

「……う、うん」


「じゃ、あとは頑張ってね」

 そう言ってからくるりと一回転すると、ヨースケは消えてしまった。



 俺は立ち上がり、ナイフを構えた。


 こちらの様子を伺っているのか、マリンさんは動かない。


 ……なんか、マリンさん、廊下で一度会った時と雰囲気が違うなぁ。

 メガネだし、髪ボサボサだし。

 トルビーとの戦闘で崩れたのかな。でもそれじゃメガネしてるのっておかしいか。


 って、流石に呑気に観察してる場合じゃないな。


 俺は1度深呼吸をしてナイフを握り込む。

「"リゴロス"!」


 俺が言った瞬間、マリンさんの胸に、ナイフが突き刺さった。



 と思いきや……

「うべっ!」

 勢い余って音楽室の壁に激突した。


 トルビーが言っていたように、透けたのだ。壁に当たる直前にスピードを緩めたが、それでも全身を強打した。


「いってて……」

 俺は落としたナイフを拾い、構えた。


 しかしマリンさんは俺に背を向けて動かない。

 と、トルビーが俺を呼ぶ声がして、さっき割れた窓ガラスの所から、音楽室に入ってきた。


 トルビーはマリンさんに近付いた。

 すると彼女はふらりと倒れ込んだ。


「ナイス、ライム!」

 トルビーはマリンさんの肩を抱いたまま、こちらに笑いかけてきた。



 と、音楽室の外からバタバタと足音がしたと思うと、勢いよく扉が開いた。

「何してるの!アンタたち!」

 そう言ったのは懐中電灯を手に持った女の先生。推測するに当直の先生だろう。



 先生はなんだか化け物を見るような目で俺を見て……



 ってそうか!


 トルビーはマリンさんにやられた切り傷だらけ。そして俺の手には血塗られたナイフ。


 これはイジメっ子……いやもはや傷害事件の犯人と思われているな。


 と、トルビーは先生には視えていないであろうマリンさんをそっと寝かせると、先生の方へ駆け出した。


 そしてバッと抱きつくと、声を上げて泣き始めた。

「先生っ、あの子に殺されかけましたっ、イジメられましたぁ〜っ!」

 先生はトルビーの背中を擦りながら俺のことを睨んでいる。


「なんでこんなことしたのっ?!取りあえずそのナイフを、こっちに……わたしなさ……」

 先生は後半につれ、呂律が回らなくなっていき、そしてふらりと倒れ込んだ。


 トルビーは慣れた手つきで先生を受け止め、寝かせると、こちらに歩いてきた。



「テケンめ。先生たちくらい追い出しといてくれよ」

 そう悪態をついたトルビーの後ろに、テケン先生がいることに、俺は気付いていた。


「いだっ……って、いたの?!」

 先生から脳天に拳を落とされ、トルビーは驚いた顔をした。

「今来た。あと、フリール先生がいたのは誤算だ、誤算。……これ、寝かせただけか?」

「うん、今見た事を夢ってことにしといた」

「そうか。……ご苦労さまだったな」

 そう言いながら、テケン先生はマリンさんの肩に触れた。


 と、マリンさんは起き上がった。

「ん……うぅ」

「おはよう」

 先生はマリンさんに笑いかけた。

 マリンさんは、おはようございます、と返すと、立ち上がり、トルビーの方へずんずんと近づいて行った。


「えっと……?」

 困惑するトルビーに、マリンさんは口を開いた。

「ありがとうございます……とでも言うと思いましたか?!何ですかさっきの演奏は?!音色おんしょくはいいのにセンスが皆無ですねアナタ!下手っぴです!」

 気まずそうな顔をして頭をかいているトルビーだが、マリンさんの勢いは止まらない。


「アナタが不甲斐ない演奏するから、出てきちゃったじゃないですかっ!」

 その言葉に、トルビーはニヤッと笑った。

「あなたならそう言うと思いました。だからあんな演奏したんだよ」

「はい?」

 半分透けているマリンさんは首を傾げた。


「マリンさん、あなた、自分の異変に気付いていましたね?だから生徒と距離を置いていた」

 トルビーの言葉に、マリンさんは下を向いた。「異変」とは魔族の霊に憑かれていることだ。


 トルビーは続ける。

「あまりにも「惜しい」演奏をすれば、口を出さずにはいられなくなるんじゃないかと思いましてね」


 それを聞き終えると、マリンさんは顔を上げ、トルビーに鋭い視線を向けた。

「あ〜、そうですか。なら本気でやってみなさいよ」

「分かりましたよ」

 そう言いながらトルビーが手を前に出すと、フルートが現れた。

 

 そしてそれを構えると、トルビーは不敵に笑った。


「……な、なんですか?やってみなさいよ、早く」

「いや、その前に一言だけ……」

 そう言ってトルビーは真顔を作った。


「……音すら出ないくせに」

 そう言ったトルビーはニヤリと笑って走り出した。

「だぁ〜っ!それは言わないお約束だぁっ!」

 マリンさんはそう言って、トルビーを追いかけ出す。

 音楽室で追いかけっこが始まった。



「……何してるんですか?あの二人」

「まぁ、吹奏楽部らしい喧嘩かな」

 テケン先生はそう言って笑った。




「また来てくださいね〜」

 そう言って手を振るマリンさんに見送られ、音楽室を後にした。


「窓ガラスは何とかする。お疲れ様だったな」

 フリール先生をおぶっているテケン先生が言う。


 と、トルビーが悔しそうに言った。

「魔法透けちゃったよ。あの程度の量の血じゃ足りなかった」

「そりゃな〜」


 そのとき、俺のお腹が夕飯の時間を告げた。

「ごめん、お腹空いちゃった」

 俺が照れていると、2人は笑っていた。



「遅くなっちまってごめんな。気をつけて帰れよ」

 保健室の前でテケン先生たちと別れ、寮へ向かった。


 トルビーが部屋の鍵を開けようとした時、"念話"がかかってきた。


「もしもし……うん、ごめん。そういえば、仲直りできたよ。……え?夕飯2人で?いいの?ならお邪魔しようかな。んじゃ向かうね」


 トルビーに、誰から?と聞かれ、答える。

「リンから。3日間泊めてもらってた。夕飯作っちゃったから食べにおいでってさ」

「ふ〜ん?リンねぇ……」

 鍵を抜き、歩き出したトルビーはなんだかニヤニヤしている。


「なんだよ」

「リンさんと、どういう関係なのさ」

「どうもこうも……友達だけど……」

「リンさんはそう思ってないかもね」

「は?」


 トルビーは、なんでもない〜と言って、小走りで階段を降りていった。

「ちょっと待ってよ〜」



 ○●○


 キラキラとした音が、真っ暗な音楽室に響いている。

 割れた窓ガラスからは夜風が入り込み、カーテンをはためかせてていた。


「珍しいね、メガネなんかかけちゃって」

「ん?あぁ、ヨースケさん」

 グロッケン……いわゆる鉄琴を叩いていたマリンは手を止め、顔を上げた。


 そしてメガネをとるとポイッと投げ捨てた。投げ捨てられたメガネは空中でパッと消えた。

「ほら、私かわいいじゃないですか。メガネしてないと、惚れさせちゃって戦意喪失させちゃうので」

 得意げに言ったマリンに、ヨースケは呆れたようにため息をついた。

 マリンは意に介さず、わざとボサボサにしてあった髪をくしでとかし始めた。


「惚れたのはキミの方でしょ」

 ヨースケがイタズラに笑いながら言うと、マリンが手を止めた。


 そしてみるみるうちに赤くなっていくマリンの頬。


 ついに耳まで真っ赤にしたマリンは、ヨースケに近付くと、どこからかマレットを取り出してヨースケをポカポカと叩き出した。

「なんであの子、あんなにワタシのこと知ってるんですか〜?!」


 されるがままのヨースケの頭には、「マリンに取り憑いた魔族の霊を祓うため」という言葉が浮かんでいたが、言うのは野暮だと口を噤んだ。

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