第19話 春風(しゅんぷう)

しばらくすると恭吾のアパートに着いた。



「助かりました。ありがとうございます。」


「よかった。おやすみなさい。」


「おやすみなさい。……あ、さっき雨強くて言いそびれたんですが、大丈夫って聞かれたら大丈夫じゃなくても、大丈夫って答えるしかないですよね。すみません。」


「だから、もし大丈夫じゃなかった時は言ってくださいね!!僕が笑わせますから。」



元気づけようと歯を見せてにこりと笑う。恭吾は笑うと長いまつ毛と左頬のえくぼが強調される。



そんなことを思った瞬間、恭吾の姿がぼやけてよく見えなくなった。恭吾だけではない。景色も、色彩も、全てが歪んでまばらだ。




(……!!!!)







「……七海さん???」


恭吾に呼ばれて自分が泣いていることを知った。目にゴミが入ったとかのレベルではない。無表情でボタボタと号泣している。




「ごめんね、本当ごめんね。もう……大丈夫」


必死に指で涙を拭った。恭吾の顔を見ようとしたが再び涙が溢れ出し言葉にならなかった。




「……全然大丈夫に見えませんよ。」


「ごめんね、大丈夫。」


「いや、でも……」


「ごめんね。大丈夫じゃなかったら笑わせるって言ってくれて、そんなこと言われたことなかったから嬉しい……嬉しいのかな?なんかね、温かい気持ちになったの。そうしたら涙が止まらなくなっちゃって……。ありがとう。でも、もう大丈夫だから」



明らかに様子が変わったが大丈夫と言い張る七海を見て、恭吾はため息をついた。



その瞬間、春樹と重なって見えて身震いをした。ため息をつかれるのが怖かった。

しかし、恭吾から掛けられた言葉は予想に反し温かいものだった。



「……七海さん普段から無理して大丈夫って言ってませんか?理由は分からないけど、頑張りすぎなくても大丈夫です。きっと七海さん、十分やっていると思います。」



やっとの想いでひっこめた涙が、涙腺がもろくなっていてまた泣けてくる。しかし、先ほどとは違い少し温かさも含む涙だった。




「ありがとう。……でも、今、優しい言葉かけられるとまた泣けてくるからダメ……」



再び指で涙を拭っているとふわっとした冬の夜らしからぬ柔らかな温かい風を感じた。それは季節外れの春風ではなく、恭吾が一歩近づいたために起きたものだった。七海の頬に指を添え涙を拭う。



「七海さんが泣いてると、なんだか僕まで切なくなってきます。悲しくなります。だから……泣かないでください。」



春樹に言われる泣くなとは違う、切望するような悲しい瞳と声で泣かないでと言う恭吾。自分の指でも、子どものか細い指でもない、骨太の角ばった普段触れることのない大人の男の指に、七海はそっと自分の手を添えた。



「七海さん、頬も指も冷たくなってる。」



涙の露がつき、拭ってくれる恭吾の指先も冷たくなっている。かじかんだ指を温めるように恭吾の指を両手で包み込み、人差し指の第二関節にキスをした。


「……こんな大雨じゃ、びしょ濡れになっちゃうし風邪ひきますよ?」


恭吾に手を引かれ、七海は部屋の中に入っていった。




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