第3話 ワンオペ育児

「新天地で家のことまで手が回るか分からない」


その言葉に、七海は耳を疑った。



春樹は新天地ではない今でも育児には非協力的だ。正確には、"人が見ていないところでは育児に非協力的"で七海が一人で家事・育児を担っていた。



仕事上、夜勤や当直で休みが不規則なことはしょうがない。会食で仕事後に出掛けることや休日は接待ゴルフで家を空けることも多かった。後輩ドクターに奢るために交際費も多く渡している。



ある日、七海は美容院へ行くために子どもたちを見ていて欲しいと頼んだ。しかし、そのことを忘れゴルフの予定を入れていた。



「仕事だからしょうがないだろう……」謝るわけでもなく、不機嫌になりその言葉ですべて片付けられた。

七海は美容院の予定をキャンセルし子どもたちと過ごした。もう半年以上切っていない髪は痛み、根本は黒い毛が目立ち始めていた。



子ども達の送迎もすべて七海が行っている。

最初のうちは出来る方がやると話をしていたが、"オペの前に患者のカルテを見直したい"、"普段頑張っている看護師たちを労いたい"など何かと理由をつけて行けないと言ってくる。



(仕事の日は期待しないでおこう……。)


そう思い諦めていたある日、海斗が熱を出しお迎えに来てほしいと保育園から連絡があった。その日は春樹は仕事が休みで家にいるはずだ。七海は午前中までに終わらせたい仕事があったため春樹に連絡をした。



「もしもし、春くん?海斗が熱を出してしまったそうでお迎えにきてほしいと言われたの。私、午前中までにやらなくちゃ行けない仕事があって行ってもらえないかな?」



「今日はもうお酒を飲んでしまったから行けないよ。調整して七海が行ってくれ」


「歩いていける範囲だよね?歩きで迎えに行くのも難しいくらい飲んでいるの?」



「悪いけど無理。お酒の匂いがしたら保育園側への印象も悪くなると思うから、七海が行って。」



その言葉に唖然とした。

仕事の時はしょうがないと思っていたが、仕事じゃない時も断るなんて……。

ましてや今は私は仕事中で、こちらが「仕事なんだからしょうがない」と言える立場なはずなのに。七海は泣きたくなる気持ちを堪えて、保育園に引継ぎ等をしてから向かうため1時間後になる旨を連絡した。



息子が発熱したので早退させてほしい。午前中までの仕事はあと30分ほどで終わるので片付けてから帰ると上司に伝えた。



「あとはやるからいいよ。息子さんが大変だから早く行ってあげてください。旦那さんも仕事で頼めないし、坂下さん大変だね」

と優しく労ってくれた。 



(……本当は夫は今日休みです。お酒を飲んだから無理という理由で断られました。)

と心の中で呟いた。



総務部の人たちはみな困ったらお互い様の精神でいつも優しく接してくれる。こうした急な遅刻・早退・欠勤にも快く承諾し、何か手伝えることはないかと尋ねてくれる。


そんな上司や同僚に対し、七海は感謝の気持ちといつも中途半端になってしまうことに申し訳なさを感じている。




海斗を迎えに行くと、おでこには熱冷まし用のシートが貼ってある。顔を真っ赤にしていて呼吸も苦しそうだ。七海は待たせてしまったことに胸が痛くなった。



帰宅をすると、春樹はソファでくつろいでいた。ダイニングテーブルにはワインとチーズやナッツなどつまみが開けられている。



寝室に入ると、朝出たままの状態だった。

衛生面を考慮して折り畳み式のベッドマットを立てかけ毎日ルンバをかけていた。



帰宅後にマットと布団をかけベットメイキングをすることは、結婚した時から続けているので春樹も知っている。



熱が出たから早退すると連絡しておいたのに何もしていないことに虚しさが募った。

抱っこしていた海斗を一旦ソファにおろし、急いで横になれるようにベッドを整える。



(お迎えに行けないのなら家の中だけでも整えてすぐに休めるようにしておいてよ……)


腹ただしい気持ちでいっぱいだったが今は海斗をゆっくり休ませることが先だ。




「遅くなってごめんね……ごめんね……」



海斗の横で、手を握りながら七海は呟いた。

海斗は迎えに行った時は熱で苦しそうだったが、家に帰り七海の顔を見たら安心をしたのかすぐに眠りについた。



リビングに戻ると春樹はバツが悪そうな顔をしていたが、謝罪や感謝の言葉はなかった。

自分に非があるのを認識しているので居心地が悪い、そんな感じだった。



「海斗寝たよ。熱上がって苦しそうだった」



「そうか…。」



「ね?今までは春くんが仕事の時は”仕事だからしょうがない"って春くんも言っていたし私もそう思っていたよ。でも今日は違う。あなたはお休みなのに、仕事の私が迎えに行った。私は、平日にお休みの時でも子どもたちのお迎え要請があるかもって昼間からアルコールは飲まないようにしているよ。私が飲んだらあなたにお願いすることになるから仕事のあなた頼むのは申し訳ないから、動けるようにしているよ?」



「……迎えの要請なんて毎回来るわけじゃないだろう?来るか分からない連絡のために酒を飲むなって言うのか?僕は久々の休日なんだよ」


春樹は声を荒げて太々しく答えた。

七海は立ち上がりパントリーに非難した。



(ごめんとか気をつけるとかそういう言葉は一切ないんだ……。)


春樹の心ない言葉に傷つき、声を出さないように静かにただただ泣いた。



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