第二幕 苦戦

「さぁ、どうする? 免妖ども。妾を倒したければ朧介を殺せばいいだけだぞ? 妾の核とこの男の命は一体だ」

「………魔羅螻蛄、お前どこまでも邪道な!」

 食い気味に叫ぶシロクの袖をシヅルが掴む。真正面から向かって行って簡単に討伐できる相手ではないということを免妖の二人は察しているが、挑発されるとどうしても頭に血が上ってしまう。それもこれも、魔羅螻蛄の足元で好きにされている朧介の事が気がかりだったからだ。ああも近くに倒れていては、攻撃すれば巻き添えにしてしまうかもしれない。

 その恐怖がシヅルの手を動かなくさせた。

「……シヅル」

 どうするんだ、と言いたげなシロクの目がシヅルを見た。

「甘いなぁ貴様らも。人間一人の命の為に手出し出来んとは。免妖の名が聞いて呆れるなぁ」

 はははと高らかに笑う魔羅螻蛄が、次の瞬間大きく手を振り上げた。途端その姿は大きな鳥のような姿になり、羽を大きく羽ばたかせれば瞬く間に大きな火球が生まれた。それは魔羅螻蛄から一気に発射され、周辺の森へ飛んでいく。

 ドンッと物凄い音と共に地が震え、次の瞬間には火柱が上がった。火はあっという間に木から木へと燃え移り、辺り一帯を火の海にする。

 だがそれだけでは終わらない。魔羅螻蛄が羽を動かしつつ、耳をつんざくような気味の悪い鳴き声を出せば、今度は一瞬のうちに空が分厚い雲に覆われ、激しい雷鳴が轟き始める。稲妻が暗い空に走り、それが地へと落ちれば、今度は瘴気のようなものが溢れ始めた。

 嵐のように吹き荒れ始めた風に乗って、麓の方で人々の逃げ惑う声が聞えて来る。

 地震のような激しい地鳴りと共に聖霊山の地面が割れた。

 風に吹かれた炎はますます大きくなり、取り囲まれたシヅル達を強い熱波が襲う。秋冬特有の冷えた外気はどこかへ消え失せ、息を吸えば肺が焼けてしまいそうだ。免妖であるシヅル達はともなく、人間である朧介が長時間耐えられる環境ではない。

 背後にある山に火球が飛べば、まるで噴火したかのような大きな音が轟き、一瞬のうちにその山が消し飛んだ。ガラガラと大きな岩が降ってきて、それらが地面を抉り取るように突き刺さる。

「シヅル、海からも来るぞ!」

 シロクが叫んだと同時に、大きな津波が海から湧き上がった。だがそれは陸を飲み込む前に氷結化し、鋭くとがった氷柱となってシヅル達に襲い掛かる。

 一瞬のうちに詠唱をしたシロクが、弧を描くように大きく手を振る。途端、地上と空の間に薄く大きなレンズのようなものが出現し。落ちて来る氷柱の到達を防いだ。

 それを見越したシヅルが、瞬時に魔羅螻蛄との距離を詰め、刀で切りかかる。

「……ほぉ?」

 だが魔羅螻蛄は小さく感嘆し、その刃をいとも簡単に左手の人差し指と親指で挟み込んだ。

「真っ向から挑んで、妾をどうにか出来るとでも?」

「――っ!」

 挟まれた刃を引こうにも、刀はびくともしない。そのまま魔羅螻蛄は刀をぐいっと勢いよく引き寄せ、つられて踏鞴を踏んだシヅルの腹部を力任せに蹴り飛ばした。

 あまりの衝撃に魔羅螻蛄の真正面にシヅルが吹っ飛ばされる。


 そこへ間髪入れずにシロクが魔羅螻蛄の背後で術を発動させる。閃光が辺りを照らし、次の瞬間には刃のように鋭く魔羅螻蛄へと降り注ぐ。さながら光の剣のように見えるそれは、頭上から一直線に魔羅螻蛄の体を貫いた――、

「……と思ったかぇ?」

 まるで思考を読み取ったかのように、ニタリと魔羅螻蛄が目で笑った。貫かれたはずの体はまるでダメージを受けていない。炎のように揺らめく毛に覆われた肌は、みるみるうちにその傷を塞いでいく。

「こそばゆいのぉ。免妖、少しは本気を出したらどうだ?」

「……っこの!」

 再度術を展開しようとするシロクの動きを読んでいたかのように、魔羅螻蛄がちょいと羽を動かす。どんっと心臓を揺るがす程の地響きがしたかと思えば、頭上に向かって地面から大きな岩が突き出した。見上げるように高く、タワーのように鋭く突き出したその岩がシロクの頭上を覆うかのように湾曲し、彼を巻き込みながら地面にその矛先を刺し戻した。

「シロクっ‼」

 シヅルが立ち上がりながら叫ぶが、その声がかき消されてしまう程の嘲笑が木霊する。

「実に愉快だのぉ? まるで赤子のようだなぁ」

「貴様……!」

 包み込むような形で地面に突き刺さった岩が、ボロボロと崩れ落ちる。巻き込まれていたシロクは刀を地面に突き刺した状態で片膝をつき、なんとか一命を取り留めていた。だが一目で重傷とわかる程、至る所に大きな傷がつき、流れだした血が滴っている。

 その姿に、シヅルは柄にもなく更に頭に血が上りそうになった。

「――……っ!」

 再び走り出し、魔羅螻蛄の頭上へ飛び上がれば、姿を追って見上げた魔羅螻蛄が余裕を持った目でシヅルを射抜く。ただの斬撃ではこの厄妖は倒せない。それは先ほどの攻撃で十分理解している。ならば――


「――冥々めいめい回天かいてん

 

 飛び上がったまま唱えながら、シヅルはどこからともなく出現させた鞘に一度その刀を収めた。カチンと小気味の良い音がして収まった日本刀を、まるで抜刀術の時のように構え直す。


朗々ろうろう――穿うがて、」


 シヅルの全身から青白いオーラが噴き出し、眼光が魔羅螻蛄を射抜く――


光明こうみょう――招来しょうらい‼」


 瞬間。

 目にも止まらぬ速さで抜刀したシヅルの刃が、魔羅螻蛄の側頭にガンッとめり込み、そこから流れ込むように雷撃が魔羅螻蛄の体に走った。

 バリバリと焼けつくような気味の悪い轟音と共に、物凄い閃光と焦げ付くような臭いが辺りに立ち込める。天から下ろした雷を直接妖に叩き込むこの技は、即ち天の裁きと同じダメージを与える。いくら魔羅螻蛄とはいえ、無事では済まないはずだ。

 そう思ったシヅルが、ほんの一瞬……わずかに手の力を抜いたその時――


「光明か……さすがは免妖じゃ」


 閃光がやんだその向こうに、魔羅螻蛄の赤く光る眼が不気味に笑い揺れた。

「⁉」

「だが妾には、効かぬぞ」

 側頭にめり込んだ刀を、頭を振り乱すようにして外した魔羅螻蛄が、今度は羽でシヅルの体をはたき落とし、思い切り地面に叩きつけた。

「ぁうっ‼」

 地面に伏したシヅルの体に向けて、魔羅螻蛄が鋭い嘴の奥から火を吐き出す。咄嗟に避けようにも肺の中の酸素が全て逃げてしまい、酸欠になった体に力が入らない。

 焼かれる、そう覚悟してシヅルがその細い体を強張らせた刹那、息も絶え絶えに走って来たシロクがその背中に覆い被さった。

「シ、ロク……!」

「馬鹿、野郎!」

 背中にしがみつく様にしてシロクがシヅルの体を抱きかかえ、間一髪のところで嘴から放出された炎をかわし避けた。

 勢いあまって数メートル先に二人揃って転がる。シヅルの上にシロクが覆いかぶさるような形で倒れ込めば、仰向けのシヅルの頬に、覆いかぶさったシロクの血が滴り落ちてくる。

「……シロク、血が……っ」

 思わず手を伸ばして、シロクのこめかみから顎にかけて流れる血に触れれば、生暖かい血がシヅルの冷たい指先に浸透する。

「俺は……大丈夫だ」

「……だけど!」

「シヅル!」

「……!」

 しっかりしろと、震える手でシロクがシヅルの頬を撫で返す。血で固まった手が、ただただ冷たい。

「心配は、朧介のために取っておいてやってくれ……」

「……っ」

「……な?」

「シロ、」

 次の瞬間、目の前にいたシロクが、後方から伸びてきた魔羅螻蛄の体毛によって真横に大きく薙ぎ払われた。

 彼が吹っ飛ばされた茂みから、何かが潰れるような鈍い衝撃音がして、通った跡にはおびただしい量の血液が残されていた。


 目を見開いたシヅルが上体を起こす。目線先で魔羅螻蛄がニタリと笑った。茂みの中に消えたシロクの安否は確認できない。

「泣けるのぉ。仲間の負傷に動揺するなんぞ、可愛い面も持ち合わせておるではないか。免妖なんてお堅い名を担ごうが、しょせんただの女子じゃのぉ」

 冷たい目で笑う魔羅螻蛄を、シヅルは呆然と見つめる。それから視線を下げ、血の付いた両手を見つめた。小刻みに震えている両手には、何も残されていない。目の前の魔羅螻蛄を止める術も、方法も、何一つ浮かんで来はしない。

「…………っ」

 両手をグッと握り締め、首を垂れれば、耳飾りがシャランとか細く鳴り響いた。

 その音すらも、轟々と燃えさかる火の声がかき消してしまう。


「さて……お遊びに付き合うのも、もう飽きてきたぞ」


 疲弊したシヅルに、冷たい声が降る。


「貴様らの魂も妾が取り込んでやる――潔く死ね」


 言うや否や、魔羅螻蛄が今度はその体毛を伸ばし、シヅルの体に巻き付けた。

「……っ!」

 そのまま背後の木に叩きつけられ、思わずうめき声が漏れる。取りこぼしていた刀は遥か遠くに落ちていて、拾うことはもはや叶わない。新しく武器を出そうにも手が体にぴったりとくっつけられたまま背後の木に拘束されているせいでそれも出来ない。

 ぎりぎりと徐々に絞める力が強まり、肺が圧迫される。

「さて……お前はどう殺してくれようか? シロクのようにぐちゃっと潰すのがええかえ?」

「……シロク、は……そう簡単に死んだり、しない!」

「ふん、口答えは面白くないねぇ」

「……ぁあっ‼」

 ぐっと更に力を込められて、たまらなくなったシヅルが喉を仰け反らせて叫ぶ。シヅルと一緒に締め上げられている太い木の幹が、ミシリと音を立てた。相当な圧力がその体にかかっていることがわかる。

「ははは、愉快よのぉ。山本の手先が、手も足も出ないとはなぁ?」

 シヅルの額に脂汗が浮かぶ。

 どうにかしなければ。

 そればかりを考えようとしているのに、縛り上げられ酸素が薄くなった脳みそは答えを導き出してはくれなかった。

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