第3話 異世界の扉

「いけませんなぁ〜昼間から明かりもつけずにカーテンを締め切って。ほら、布団の中に隠れていらっしゃる」


ズカズカと部屋へ入ってきた営業マン風の男は、そう言うと瞬く間に息子の布団を剥ぎ取る。そして、呆れる様なため息のあと胸の内ポケットから取り出した名刺をベットの上の息子に差し出した。


異世界転生コーディネーター 伊勢 涼太 


名刺にはそう書かれている。


「い、異世界転生コーディネーター?」


息子は思わず恐怖に強張った顔をもち上げた。


「はい、異世界転生コーディネーターの伊勢涼介と申します。あなたの異世界転生のお手伝いにやってまいりました。ただし、今回は急なことでしたのでこのような形の訪問になってしまったことをお詫びします」


「な、なんですか、異世界転生コーディネーターって。それに勝手に家の中まで入ってくるなんて……」


「申し訳ございません。本来ならばもっと別の形でお訪ねする予定だったのですが……。契約で、お母様の死後1時間以内に必ず訪ねて欲しいとのご要望でしたので」


息子もこの男がまともな人間で無いことは分かっていた。勝手に家に入ってくることも、母親の死体を見ても平気でいることも、そして異世界転生コーディネーターという名刺も……。何もかも全てが普通では無い。


この男を相手にしてはいけない……そんな事は充分に理解していた。


しかし、息子は堪らず言い返してしまった。


「ちょ、ちょっと……。それじゃぁなんで朝に来なかったんだよ……」


「いや、私と致しましても本日のことは予定外でして……。朝、お母様は生きてらっしゃったんですよ。亡くなったのはつい先ほど、20分前ぐらいでしょうか。」


「で、でたらめなことを……」


「ちゃんと調べました?調べてないでしょう」


思わず痛いところを突かれ息子は押し黙る。怪しいとは思いながらも思わず乗せられて会話を始めてしまった息子に、目の前の男は次々意味の分からない言葉を投げかける。しかしその柔らかい物腰とは裏腹に、男にはどことなく有無を言わせない凄みのような物があり、そして残念ながら息子は、それに抗うだけの経験と勇気を持ち合わせてはいなかった。


そして、いつにまにか男はリビングのテーブルの上に丁寧に資料を並べると、まるで保険のセールスマンのように異世界転生の説明を始めた。


「こちらが、以前お母様と交わした契約書になっております。選べるパック10《テン》のご契約です。お客様がお好きなシチュエーションを最大10個まで選択することができます。しかしその前に、まずはご本人の確認と転生の意思の確認。これだけさせて頂く決まりになっております。」


そんな男の口から次々と繰り出される異常な言葉を息子は勢いにおされ、ただ黙ったまま享受していた。


「まずは、お名前は佐藤瑛太様でよろしいですね。35歳。母子家庭ながら大学院を卒業されるも就職活動で挫折。それから約10年間引きこもりでいらっしゃる。よろしいですか?」


「は、はい」


「お優しいお母様でいらしたんですね。女で一つで大学院まで…さぞやご自慢の息子さんだったんでしょうな。しかもその後、引きこもりになられてからも諦めず瑛太様の世話をしっかりと見ていらして……ちなみにお母様のご病気の事は?」


「いえ、聞いていません」


「心配をかけたくなかったんでしょうなぁ。以前一週間程家をお空けになったことがあったでしょ。その時に手術をされたそうなんですが、完治されなかったそうです。お母様はそのご病気がきっかけで私どもの営業所にお出でになられたんですよ」


息子にとってそれはいちいちが耳障りな言葉だった。病気のことはうすうす気が付いてはいたが、母親の病気がここまで酷くなっていた事を自分が聞かされていなかったのが腹立たしかった。しかし、なによりも自分が引きこもりになったのは過度な期待をかけた母親の責任なのだ……。目の前の男はそんな現実を無視して母親の気持ちばかりを尊重していることに苛立ちを覚えた。


「耳が痛いですか?まぁ、形式的なものなのでお気になさらずに。これを行わないことには異世界の扉が開かないのです。ですのでもう少しだけ我慢してくださいね。これで終わりますから」


そして男は一枚の書類を出してきた。


「さて今の本人確認をふまえて、瑛太さまに異世界転生の意思がお有りであればこの書類にサインをお願いします。サインをした瞬間に異世界の扉は開かれます。しかし現世に残りお母様の死を受け止めた上で新たな一歩を踏み出す。それもあなたにとっては異世界転生かも知れません」


息子の目の前には、金色に輝く用紙と七色に光る羽根ペンがプカプカと浮かんでいた。


「さぁ、サインをされますか?」


ペンと用紙を見た、息子の顔色が急に変わっていく。この宙に浮くペンと用紙はどう見てもこの世のものとは思えない。


「コレは、異世界のものだ。異世界転生は本当にあったのだ!」


その顔からは先ほどまでの怯えた表情が消え、急に自信に溢れたものへと変わっていく。息子は心の底から震えていた。


「当然サインをするに決まっている。こんな馬鹿ばかしいクズのような世の中に何の未練があるか!」


息まく息子は七色に輝くペンを手にすると、金色の紙に勢いよく名前を書き込んだ。


 佐藤 瑛太


そして、彼が用紙を目の前の男に差し出したその途端、金色の紙に書かれた七色の文字が突然光り始める。文字は空中へと浮かび上がり今まで見たこともない文字へと変わっていった。3行4行と次々に空中へ書き込まれていく文字は次第に炎へと姿を変えて、空中を燃やしていく。


そして燃え尽きた先には、真っ白な美しい草原が広がっていた。


「おめでとうございます。これが異世界への扉です。この先の世界はまだ真っ白なままでございます。そしてその世界に色を付けて行くのは瑛太様あなたでございます。」


「やった……」


感無量の息子を目の前にして――


さて、ここからがこの異世界コーディネーターの仕事の始まりである。


「さて、それではプランの方を組み立ててまいりましょう。」

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