下弦の月


 翌日、学校へ行くと教室に入った途端に、ご機嫌な花田が近寄ってきた。朝イチから惚気けられるのは辛いものがあるのだが、幸せの真っ只中にいる花田は話したくて仕方ないのだろうな。


「おはよう、雪也。なあなあ聞いてくれよぉ。」

「おはよ。どうせ彼女の惚気け話だろ?はいはい、良かったね。」

「何だよ。まだ何も言ってないだろ?」


 僕が適当にあしらいながら自分の席に座ると、花田は拗ねたような顔をしたが、すぐに気を取り直して問答無用に僕に惚気け始めた。

 まだ未練を捨てきれない僕には苦しい時間だ。早く予鈴がなることを祈りながら、花田の彼女への気持ちを思い知らされていると、背後から僕にのしりと体重をかけてきた奴がいる。


「おはよう、雪也。」

「お、おはよう。深月、重いって、」

「おー、深月。お前も聞くか?オレの話。」

「やだ。雪也行こう。」

「えっ、深月?」


 深月に腕を引っ張られて廊下まで連れて来られた。くるりと僕の方を向くと心配そうに見てくる。そこでようやく深月は僕を助けてくれたのだと思い至って、胸が温かくなった。


「ありがとう、深月。」

「ん……良かった、ちゃんと眠れたみたいだな。」


 僕の目元にそっと触れるとあっさり手を下ろして深月が淡く微笑んだ。

 

「うん。深月のおかげだよ。昨日はありがとう。」


 さっきまで痛かった胸が、深月が来てから癒されていくようだった。自然と笑みが浮かんだ僕の頭を深月はポンポンと軽く叩く。すると丁度よく予鈴が鳴ったのをきっかけに僕達は教室の中へ戻った。


 授業中、僕は昨日のことを思い返していた。毎日、僕の席の斜め前ににいる花田を見つめることが僕の幸せだった。今は視界に花田がいることが少し辛い。

 昼休みに花田が彼女に告白しに行った時、僕は上手くいかない事を願ってしまった。友達なのに酷い奴だと自己嫌悪に陥ったのは記憶に新しい。

 昨日の帰りに深月に会うまでは、今日学校に出られるかさえ自信がなかった。泣いた目を腫らしてズル休みをしてたかもしれない。


 改めて考えると、すごく濃い一日だったな。花田に決定的な失恋をして、胸が引き裂かれるほど苦しくて、早く独りになって泣いてしまいたかった。

 でも、深月がその気持ちに気付いてくれていて、僕を慰めてくれた。おかけで昨夜は眠れたんだと思う。

 そうだ、僕、深月に「好きだ」って言われた。抱きしめられて、大泣きしちゃったんだった。

 リアルに思い出して思わず赤面してしまう。耳まで熱い。僕は顔を伏せて落ち着くまでそのままの状態でいた。


 お昼時間、花田は彼女のところへ行った。深月と二人でお弁当を食べる。今朝は平気だったのに、今は何となく深月の顔が見れない。


「雪也、食欲ないのか?」


 深月が僕の様子に気付いて声をかけてくれた。慌てて僕は首を振り玉子焼きを頬張る。一生懸命もぐもぐしていると、深月の指が僕の口元に触れる。驚いた僕はその指が、深月の口へと運ばれていくのを見ていた。


「ん。美味いな。」


 その言葉を聞いた僕は、ようやく何をされたのか理解して、一気に顔が熱くなった。


「み、深月。何すんのさっ。」

「雪也が美味しそうだったから。」


 ニヤリと笑った深月は、絶対わざとこんな言い回しをしてる。そう分かっていても、上手く言い返せなかった僕は、赤い顔のまま深月を睨んだ。


「ははっ。睨まれても目が潤んでいて可愛いだけだよ、雪也。」

「もうっ!」


 これ以上何も言わせたくなくて、僕はお弁当から、から揚げを箸でつまみ上げると、深月の口に押し込んだ。

 深月は一瞬驚いた顔をしたが、嬉しそうに味わって咀嚼する。僕はこれが俗に言う「あーん」だとは次の深月のお返しが来るまで気付かなかった。


「美味かった。じゃあ俺からはコレ。あーん。」


 そう言って差し出されたエビフライを言われた通りに素直に口を開けると深月に食べさせて貰った。


「美味しいか?」


 美味しいけど、これって!

 深月の言葉に、もぐもぐしながら頷いたけど、頭の中は自分のした事の大胆さにパニックになっていた。

 何とか飲み込んで、僕は深月に言い訳を始めた。


「み、深月!僕、そんなつもりじゃなくって……」

「ふふ、雪也から『あーん』してもらえるなんて、嬉しかったなぁ。」


 絶対、僕が無意識にやったとわかっていて、深月はこう言ってるんだ。でも、本当に嬉しそうにされるとムキになって訂正するのも気が引ける。


「……美味しかったのなら良かったよ。」

「うん。」


 僕が口を尖らせてそう言うと、深月は笑顔で頷いた。

 午後の授業は花田が視界に入っていても、深月の事が頭を占めていて、心が痛む事はなかった。


 

「彼女がさ、イルミネーションが見たいって言うから土曜日にデートするんだ。」

「へえー、そうなんだ。良かったね。行ってらっしゃい。」

「……」


 花田の浮かれ加減に、僕の声は平坦になっている。深月なんて返事すらしていない。花田は僕達の態度をものともせずに、色々デートプランを考えている。いい加減聞き飽きて来たところで、深月が言った。


「彼女と計画したら?そうしたら、その時間も一緒にいられるでしょ?」

「深月、それ最高!帰りにどこか寄って計画立てよう。」


 花田が満足気にそう言うと離れていった。帰りのお誘いでもしに行くのだろう。


「はぁー、他人の惚気け聞かされるの辛い。」

「なあ、雪也。俺達も土曜日遊びに行こう?水族館でもイベントしてるみたいだよ。」


 深月がスマホをいじって、画面を見せてくれる。


「わぁ!きれいだね。あ、でも花田達と会うかもしれないよ?」

「いや、イルミネーションの場所的に反対方向だから、大丈夫だと思う。どうかな?」

「行きたい!」


 僕が話に飛びついた事に満足したのか笑顔になった深月が次の一言で僕を赤面させた。


「じゃあ、俺達もデートだね?楽しみ。」

「デ、デート……。」


 最近の僕は深月に振り回されてばかりだ。

 

 

 

 

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