後編 推しとともに虹色に輝くミライへ

 リリアナが事業を拡大していく中、ノクトレス国ではルディが頭を抱えていた。


「なぜだ! なぜ、税収がこんなにも落ち込んでいる!」


「ロッツェン侯爵家の今年の財政が大幅に減っているようです」

 ルディの側近が淡々と答える。


「財産までは没収しなかったはずだ。もしや密かにリリアナに多額の援助を行っているのでは?」

 ルディが疑いの眼差しを書面に落とす。


「いえ、それはないかと。むしろ侯爵家がリリアナ嬢から資金を借りているとか、ヘンドリット卿がのほほんと話しているのを耳にしました」

 側近は感情の乗らない声で答えた。


「な……んだと?」

 ルディが絶望色に染まった顔を上げた。


 リリアナを失ったロッツェン侯爵家の財政は、残念ながらというか予想通りというか崩壊寸前だった。


「……リリアナを呼び戻せ!」

 噛みつくように命じたルディだったが、その返事はすぐにやってきた。


「殿下御自ら頭を下げにいらっしゃるなら、検討してもいいとのことでした……」

 返事の書簡を持った使者は、青ざめたまま報告した。

 ルディのこめかみにピキピキと青筋が浮かぶのが想像できていたからだ。


「くそっ、あの女……どこまで俺に迷惑をかければ気が済むんだ!」


「しかしながら……背に腹は代えられません。陛下も婚約破棄騒動にはあまりいいお顔をされませんでしたしね」


 新たな婚約者、そして現在は早々に妻の座に収まっているクロエは、出産を間近に控え、神経質になり、周囲に当たり散らしている。これ以上、他のことで悩んでいる暇はない。


 側近の進言に、ルディは渋々リリアナの元を訪れた。

 遠路はるばるリヴェール国を訪問した彼は、言葉を失う。


「どうぞ、おかけになって、ルディ殿下。どうなさいました?」

 リリアナは商会の事務所で紅茶を楽しんでいた様子だ。豪華な家具に囲まれ、明らかに以前よりも豊かで気高い姿を見たルディは、あんぐりと口を開けて入り口に突っ立ったまま動けなかった。


「お前が来いと言ったのだろう!」

 気を取り直し、眉を吊り上げると彼はリリアナの所へずんずんと近づいていく。


 彼女の膝の上には真っ白な毛並みの猫が丸くなっていたが、ルディが近づくと、「シャー」と牙を剥いてきた。


「レオ。お客様がこわがるからだめよ」

 彼女が人差し指で鼻の頭をちょんと押すと、白猫は黙り込み、膝の上から飛び降りた。


 しかし、じっと人間たちの言動を見守っている。なんだか監視されているようで落ち着かない。


「リリアナ……帰ってこい。お前が必要だと……ロッツェン侯爵が言っている」


「お父様は、事業が軌道に乗るまでの援助でいいとおっしゃっておりましたわ」

 リリアナはアールグレイの香りを楽しみながら、元婚約者の嘘をあっさりと見抜いた。


「う、ぐ……本当は……我が国の財政が、ひどく落ち込んでいる。それは、お前がいなくなったから……ということに気づいた。だから……」

 ルディは両手の拳をきつく握る。


「帰る? ご冗談を。あなたが追放した女に、今さら何を求めるのですか?」

 リリアナは冷ややかな笑みを浮かべた。


「わたくしの推し活を邪魔するなんて、許されると思いまして?」


「だ、だが……予算を組めねば民が苦しむことになるのだぞ!」

 彼は苦し紛れに言葉を絞り出す。


「それをなんとかするのが王族の務めではございませんの?」


「だから……こうして頭を下げに来てやっているではないか!」

 ルディは声を荒げ、ダンと床を踏み鳴らした。


「頭を……下げに……来て、やっている……」

 リリアナは紅茶のカップをソーサーに戻し、気だるげな視線を彼の方に向けてきた。


 彼女を見下ろす形でそばに立っていた彼は、そこでハッと彼女の言いたいことに気づき、ぎりぎりと歯噛みする。


「……頼む、戻ってきてくれ。そうでないと、俺の子につらい未来を背負わせることになる」

 ルディはそう言ってその場に膝をつくと、深くこうべを垂れた。


 しばらくリリアナの返答はなかった。

 やがて、長いため息が聞こえた。


「わかりました。リヴェール国を通じてなんとかできないか、確認してみます。ですが、わたくしは祖国には帰りません」

 それは、はっきりとした決別の言葉だった。


「財政を支えてくれるのなら、お前は帰ってこなくてもいい。好きに生きろ」

 ルディはホッとして顔を上げたが、彼女の表情を目の当たりにして心臓が止まるかと思った。


 リリアナは微笑みを浮かべていた。だが、瞳は凍てつくような無感情。まるで「それが本心ですか」と見透かされているような不気味な威厳が漂っていた。


「げ、言質は取ったぞ!」

 そう言ってルディは脱兎のごとく商会を後にしたのだった。



「嫌なことは推しの顔を見て発散するに限りますわ」

 その夜、リリアナはアリックスの公演を観にいった。チケットがなくても関係者席がいつでも利用できるので、今回は初めてそこを利用させてもらった。


「わたくしの帰るべき場所はどこなのかしら……」

 自由だし、推し活は楽しいし、今の生活になんの不満もない。だが、あの矜持プライドの高い王太子に頭を下げさせるほど、血を分けた家族の存在は大きいというのが驚きだった。


 追い払うのは簡単だったが、これから生まれてくる子どもには何の罪もないので、思わず財政援助を約束してしまった。


 ただし私財を投入するわけにはいかないから、商会を通じてまずリヴェール国に進言しなければならない。もっともこの国もとても豊かとはいえない。なにやら後継問題で王宮内がごたついているとかなんとか。


「まあ、なんとかなりますでしょう。今夜は少しだけ寒いわね……おいで、レオ」

 リリアナがベッドに入れば、白猫もついてくる。この従順なかわいい家族が彼女のすべてだ。整った鼻筋を撫でながらリリアナは微笑んだ。


「そういえばね、今夜の公演は新しいお話だったのよ。呪いで猫にされてしまった王子が愛する姫のキスで人間に戻って、幸せに暮らす話なの。アリックス様が王子役で、姫役を男性の方が演じていらしてね、それがまた素敵だったのよ」

 公演内容を思い出してリリアナはうっとりする。


「ふふ、もしレオが人間だったら、どんな人なのかしら」

 冗談半分で、レオの口元に軽くキスをした瞬間、彼の体が突然光り出した。


「えっ!? な、なに――!」

 眩しい光を見つめていられなくて思わず目を閉じる。それが収まってから彼女はおそるおそる瞼を開いた。


 乙女の眼前に飛び込んできたのはプラチナブロンドの髪にアイスブルーの瞳を持つ美しい青年――の引き締まった裸体。


「きゃあああー! 痴漢! 変態! 犯罪者!」

 枕を投げつけた後、慌てて後ろに飛び退いたらベッドから上半身が落ちそうになった。頭を打ちそうになったのを寸前で助けてくれたのは、背中を支えてくれる青年の逞しい腕。


 だが、やっぱり裸は裸だ。


「いやぁっ!」

 その腕から逃れるように、ころんとベッドから無事に下りられたリリアナだが、腰が抜けてしまって立ち上がれない。


「私だよ、。わかるかい?」

 青年の唇の間から甘いテノールが漏れた。


「は、はい? レオ?」

 涙目で寝室を見回せば、いつの間にか白猫の姿がない。そういえば先ほど変な光に包まれていた気がする。


「ほ、本当にレオなの?」

 目のやり場に困っていると、彼はシーツで自分の体を覆った。それで少しは話がしやすくなる。


「やっと元の姿に戻れた。君のおかげだ、リリアナ」

 青年はふわりと陽だまりの猫のように微笑する。


「まさか、本当に……?」


「私はレアンドル・デ・クリューガー。この国の王子だよ」

 青年――いや、元白猫は頷いた。


「な、な……」


「なぜ猫の姿になっていたかって? 西の森の住む魔女に気に入られてしまってね。結婚してくれないなら呪ってやると言われて、猫の姿にされてしまった。逃げ回っているうちに、いつの間にかノクトレス国へ向かう劇団の荷馬車に乗っていて……」

 それで王都を彷徨っていたところを、リリアナが見つけ、連れて帰って「レオ」と名付けたのだという。


「その呪いを解くには、私が真に愛されたい相手からのキスが必要だったんだ。けれど、それは自分からは話せないような呪いもかけられていて、相手がしてくれるのを待つしかなかった。君のおかげで、やっと人間に戻れた」

 レアンドルは爽やかにはにかんだ。


「そんな……じゃあ今夜の公演は……」


「私が元ネタなのかもしれないね」

 くしゃりと笑うと、なんとなく猫の面影があるような気がしなくもない。


「待って……待って……それじゃあ、わたくしが今までしてきたことは――」

 レオのふかふかのお腹に顔を埋めてその匂いに癒されたこともあった。一緒にお風呂に入って体を洗ってあげたこともあった。夜は必ずそばにやってきて、朝まで抱いて寝ていた。


 とにかく何をするにも一緒で――。

 リリアナは言葉を失い、頭の先からつま先まで真っ赤になる。


「君がどれだけ特別な存在か、ずっと猫の姿で君を見ていて気づいたんだ」


「いやっ、恥ずかしいからもう何も言わないで!」

 リリアナは両手で左右の耳を押さえ、座り込んだまま首を横に振る。


「君は私を助けてくれただけじゃない。君の強さや優しさに惹かれていった。リリアナ、どうか私と結婚してくれないか?」

 レアンドルはお構いなしに声をかけてくる。だが、裸である。シーツを纏っていても、神殿に鎮座する神の彫刻のように完璧な肉体美だから余計に困る。


「いきなりそんなことを言われても困るわ! それに私は推し活で忙しいの!」

 リリアナはふいっと顔を逸らした。


「うん、知っているよ。それなら、君の一番の推しになれるよう努力する。それでどう?」

 レアンドルは微笑みながら、まっすぐに彼女を見つめてきた。


 その甘い囁きに、リリアナはまた顔が茹ってしまう。


「そ、そんなこと、そんな恰好で言われても説得力がないわ!」

 リリアナは赤くなった顔を隠すようにそっぽを向いていたが、ちらりと彼の顔が見えた。その端整な顔立ちは、舞台俳優すら霞んでしまうほど綺羅綺羅きらきらしい。


「はは、たしかに。それじゃあ明日王宮に戻って、無事を報告したら改めて君の下へ帰ってくるよ」


「帰ってくるって……あなたの住まいは王宮でしょう? 今すぐにでも戻った方がいいし、こちらへ出入りするたび護衛をたくさん連れて歩くのは大変よ」

 肩をすくめながら困った表情で答えるが、少しだけ寂しさが滲む。


「あの腰抜け……じゃなかった、ルディ王子と一緒にしないでもらいたいな。猫の姿では君を守ることはできなかったけど、これからは存分に私を頼ってほしいし、推してほしい」

 彼は、いたずらっぽく口元に弧を描いた。


「レアンドル殿下……」

 リリアナは戸惑いながらも、彼の真摯な眼差しから目を逸らすことができない。


「とりあえず、今夜はもう遅いし、休んだ方がいいよ」

 レアンドルはぽんぽんと敷布を軽くたたいた。その仕草がどこか猫の名残を感じさせる。


「わたくし、隣の部屋のソファで眠るわ」

 ようやく足腰に力が入るようになったので、ゆっくりと立ちあがった。


「今までもずっと一緒だったのに、つれないな」

 レアンドルはにやりと笑い、わざとらしく肩をすくめてみせる。


「もう……っ、それが無理なんです~!」

 リリアナは恥ずかしそうに叫んだ。



 けれど、そう――遠くない未来に、リリアナの帰る場所はレアンドルの腕の中になるのだった。


―了―



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最後までお読みいただき、誠にありがとうございました!

強いヒロインが活躍するお話が書きたくて生まれた作品です。

もし、おもしろいと思われましたら、感想や星レビューお待ちしております!



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