花は移れど僕たちは

理 世羅

プロローグ


 人の気持ちは、変わるものだ。


 いや、気持ちどころではない。世の中に変わらないものなんてない。何一つ変化することなく、いつもそこに佇んでいるものがもしもあるとするならば、それは幻想に他ならない。


 ともなれば僕のそばに立っている彼女は、幻想ということになってしまうのだけれど、僕の幻覚というには随分周囲からも認知されているから、おそらく実体を持っている。まず世界さえも僕の幻、妄想であるという可能性も捨てきれないが、そこから話しだすとどうにも物語は始まらない。いや、物語はすでに終わっているわけなのだが。


 結論から言えば、彼女は最後まで変わらなかった。最初から最後まで、つむじからつま先まで。表面的には変わっているのかもしれないけれど、根幹的な部分は一つとして変わっていない。


 結局のところ、他の部分から影響を受けていないということなのだろう。環境、関係、成長––––そういった類のものから、遮断されているのかもしれない。箱の中に囚われ、少しも出ようとしないものは、どうしたって変化しないに決まっている。そんな惨めな自分への方便をつらつらと考えながら、僕は階段を降りていた。


 そうだ、これはまごうことなき嘘だ。嘘も方便と言うだろう。なんせ、こうでも思わなければ、僕は彼女の異質さを受け入れられないのだから。


 階段を下り終え、廊下を歩き、しばらくぶりの場所に辿り着く。とはいえ、時間的には数日しか経っていないのだが。だけど、僕はその場所を数年振りに見るような懐かしさを感じていた。


 立て付けの悪い木の扉は開け放たれていて、中の黄色みがかった明かりが漏れ出ている。


「ああ、元宮先輩ですか。お久しぶりです」


 カウンターの奥の椅子に腰掛け、文庫本に目を向けていた金髪の少女は、入ってきた僕のことを一瞥した。文学少女のように文学を嗜んでいるけれど、金髪に日本人の顔立ちで、一見ギャルやチャラいように見えてしまうため、あまり本を読むというイメージに結びつかない。


「実際は数日振りなんだけど。今までがちょっと入り浸りすぎだったんだよ––––もっとも、これからは自重する気なんてないけど。よかったな、桐ヶ谷。これからも二人きりだ」

「利用者が少ないのは図書委員会として課題だと思いますが。それに、先輩は今日当番じゃないはずですよ」


 彼女––––桐ヶ谷茅乃は、図書委員会の後輩だ。そして、クオーターらしい。金髪のみを受け継ぎ、それ以外はほぼ日本人とのこと。その儚げな容姿から男女問わず人気を集め––––なんてことはなく、無口な日本文学オタクで取っ付きにくい性格をしているので、友人は少ない、らしい。ただ本人がそれを気にしている様子はなく、陳腐に言えば、本が友達といったところだ。


「なんだ、僕と二人きりが嫌なのかよ。そこまで一人になりたいのかお前」

「私は少しもそんなこと言ってないですよ。先輩は無駄に干渉してこないので一緒にいて楽です。例えるなら、空気みたいな」

「それってシンプルに失礼じゃないか? 誰が空気薄いって」

「別に薄いとは言ってないです。濃いとも言ってはいませんが」


 無表情のまま悪態をつく桐ヶ谷。どんどん視線が文庫本の方に寄せられていく。本の虫なのは、たとえ先輩の前でも変わらない。


「というか、かなり前のセリフに戻るけどさ、もう当番なんて意味をなしてないだろ」


 この学校の図書室は基本的に図書委員が当番制で運営しているが、司書のやる気がないのと、図書委員が仕事を舐めているせいで、ほぼ僕と桐ヶ谷の二人で運営していた。そもそも図書室の利用者が少ないので、大抵僕と桐ヶ谷の隠れ家というか、そういった放課後の居場所になっている。


「……っち、当番を言い訳にして先輩との会話を回避しようと思ったんですが。ちょっと浅はかでしたかね」

「お前僕のことそんなふうに思ってたの?」

「逆にどう思います? 私が元宮先輩のことをどう思っているか」

「てっきりお前は僕のことが好きなんだと思っていたが」

「調子、のんな」


 流れるような動作で中指を放つ桐ヶ谷。僕はもうすでに慣れたので、別段気にすることもないが、この美貌の少女に初対面でこれさえらたら誰もが撃沈するのではないだろうか。こんなことをしているから、教室で浮いてしまうのだ。


「で、今日はあの人はいないんですか? ついに振られたんですね、おめでとうございます。だから私を次の彼女にしようとしたんですね、気持ち悪」

「あいつなら今は門の前で僕のことを待ってるよ。あとお前のことは彼女にする気ないから安心しろ」


 僕は、カウンターに一番近い閲覧席に座った。当番ではないと言われてしまったので、図書委員の席には座らなかった。


 窓に、僕の姿が映っていた。


 そこにいたのは、女子制服を着た、黒髪の少女だった。紺色のプリーツスカートは膝上で、黒いタイツは下の肌色を程よく透過している。白いブラウスに学校指定の茶色いセーターを着込み、上からブレザーを着ていた。


 僕が手を動かすと、少女も動かす。僕があざとくピースをすると、少女もあざとくピースをする。


 まあ、こんな勿体ぶらなくても、どうせこの少女は僕、元宮順なわけなのだが。

 僕は、かつて普通の男子高校生だったのだが、訳あって可愛らしい女の子になってしまった。ざっと二ヶ月ほど前だろうか。

 別に好きでこんな可愛い格好をしているわけではない。とある人物にこうしろと言われたからこうしているだけだし、女子の体になったのに女子の格好をしないのはあれだろうなどと屁理屈をつけられてこんな格好をしているだけなのだ。決して女装趣味ではない。まあ、スカートにももう慣れたものだし、僕はそこまで容姿に気を使うタイプではないから、気にしていない。なんか言い訳がましいが、そういうことなのだ。


「元宮先輩」


 桐ヶ谷は、澄んだ声で呼んだ。


「何か言いたいことがあるならはっきり言ったらどうですか。勿体ぶるのはうざすぎて中指向けたくなります」

「中指の安売りやめろ」


 睨みつけてくる桐ヶ谷の言葉を、軽口で避けた。だけど、桐ヶ谷の目と言葉は僕を避けてはくれない。


「…………お前にも話しておかないといけないと思ってさ。桐ヶ谷。お前も、ただの傍観者、作り物の安楽椅子に座るのは飽きて来た頃だろ?」


「さあ、どうですかね。そもそも、そちらの話は元宮家の諸々に関わっているのでしょう? だったら、わざわざ私に全て話さなくてもいいんですよ」


「そんなの今更じゃないか。それに、お前なら守秘義務くらい守ってくれるって信じてるから」


「先輩は、私のことを手放しに信じすぎてる節がありますよね––––やっぱり、私のことを桜庭先輩の代わりだと思ってるんじゃないですか? 性欲の捌け口だと思ったら大間違いですよ」

「桜庭は桜庭、桐ヶ谷は桐ヶ谷に決まってるだろ。まあ、共通項がないわけじゃなかったのは確かだけども」

「そうですね、ある一点において、ですけど。桜庭さんは違いすぎますから」


 図書室には、僕と桐ヶ谷しかいなかった。


 沈黙は、話を急かすようにはしていない。桐ヶ谷の瞳だって、僕に早く話し出すように催促はしていなかった。


 これは、必要ない話なのかもしれない。だけど、桐ヶ谷に話さないと、この物語は終わらない。他の誰が終わったと思おうが、僕はこのまま終われないから。物語には、相応の結末が必要だ。伏線を放り出したまま畳むのは、素人のやることでしかない。


「まず、復習からしようか。どうして僕は今このようにスカートを身にまとい、変わらなくちゃいけなかったのかを」


 僕と桐ヶ谷の視線は、交差しないままだった。

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