ブルートパーズ2
玉櫛さつき
第一章
彼は目を覚まして木造の天井が目に入った時に、
「俺、死に損なったな…」
という言葉が脳裏に浮かんだ。
彼は寝ていたベッドから、ゆっくりと起き上がり、最初に脳裏に浮かんだ言葉の理由を考えた。
──死に損なった?どうして死に損なったなんて思ったんだろう?
そして、ここは何処なんだろう…
部屋を見渡した。
家具はベッドと、その横に白い丸椅子が一つあるだけ。
エアコンが微かな音を立てて稼働している。
床、壁、天井、全てが木造だった。
窓はベージュのカーテンがかかっている。
外は薄明るい…何時頃だろう?
彼はベッドから出て窓際に行ってベージュ色の無地のカーテンを引いた。
外は小雨が降っている。
背後でカチャリと音がしたので振り向くとドアを開けて立っていたのは見知らぬ女性だった。
「まぁ!良かったわ。起きたのね。お腹空いていない?何か軽い物を作るわね」
彼の返事を待たずに現れた女性はドアを閉めながら、そのドアの向こうに居るらしき人物に声をかけていた。
「パパ!彼、起きたわよ」
ノックがしてドアが開くと四十代くらいの男性が現れた。
白いTシャツにジーンズ姿だったが彼が起きているのを確認すると、すぐにドアの向こうに消えて、2分くらい経ってから今度は白衣を着た姿で現れた。
「気分は、どうかな?」
白衣を着た男性は外を見ていた彼にベッドに戻るようにと手で示して寝かせた。
「で、改めて訊くけど気分はどうかな?呼吸も脈も安定していたから、そろそろ目を覚ますかな、と思ってはいたけど」
白衣の男性が再び訊いた。
「悪くないです…ここは何処ですか?」
「診療所だよ。私はルドルフ・カールソン。ここの医師だ。まぁ医師と言っても殆ど廃業しているが。君は弱い睡眠薬を大量に飲んでいた。海に浮かんでいてね。胃洗浄をして、出来る限りのことをした。起きてくれて良かったよ」
「睡眠薬、ですか…」
彼はボソッと呟くように言った。
睡眠薬、死に損なったという言葉…彼は頭の中で整理がつかないでいた。
「それで、意識を取り戻したことだし、君の御両親に連絡したいのだけど…トニーくん、で間違っていないかな?」
彼はカールソン医師の顔をジッと見つめてから、ゆっくりと口を開いて言葉を発した。
「トニーって…それ、俺の名前ですか?」
カールソン医師は改めて脈を診ていていた手を止めて彼を見つめた。
トニーはルドルフを見つめている。
自分の名前以外のこともルドルフが教えてくれるのかもしれない、とでも言うような何か答えを欲しがっているような眼差しだった。
「自分の名前は解らないけど、それが(名前)だということは解るんだね?」
と訊くカールソン医師にトニーは少し空間に視線を向け考えてから、ゆっくりと頷いた。
亡くなった恋人の後追いをして睡眠薬を飲んで海に飛び込んだこと、ブルートパーズというバンドで歌っていたこと、等々、トニーは思い出せなかった。
「…とにかく横になっていなさい。君が誰なのかは、まぁ判っているし。御両親の連絡先は調べてみよう」
カールソン医師は立ち上がって部屋から出ていった。
彼が海に浮かんでいたのを見つけたのはカールソン医師自身だったが身元を証明したのはカールソン医師の娘、ナタリアだった。
のんびりと釣りをしていたら彼が流れてきたので海に飛び込み彼を引き揚げて診療所に連れてきたのを見たナタリアは小さな悲鳴をあげたのだった。
「トニー!」
「ボーイフレンドかい?」
と訊く父親にナタリアは大きくかぶりを振った。
「残念だけど違うわ。ブルートパーズというバンドのヴォーカリストよ!付き合っていた恋人が自殺しちゃったの…もしかしてトニー、彼女の後追いしちゃったのかしら…」
ナタリアは涙ぐんでいる。
「いや、まだ息がある。死んではいないよ」
「そうなの?助かる?」
「出来ることは、やってみよう。大丈夫だとは思うよ。ナタリア、ストーブをつけて部屋を温めておいてくれ」
父親は引き揚げたトニーに息があるのと後追いしたらしいという娘の情報から血液検査をして胃洗浄を施したのだった。
それから眠り続けて一週間が経ちトニーは目を覚ましたのだった。
身体は、それほど衰弱もしていない。
トニーの様子を再び見ると彼はナタリアが作った激不味いスムージーを顔をしかめながら飲んでいる…可哀想に。
娘に任せるんじゃなかった。
もう少し体調が落ち着いてきたら、もっとマシな物を自分が作ってやろう。
さて、どうしたものか…
娘ナタリアの話によれば彼、トニー・オルセンは人気ロックバンド、ブルートパーズのヴォーカリストで、とても人気があったけど付き合っていた彼女が病を苦に自殺して、トニーはブルートパーズを抜けてから行方不明になり後追い自殺をしたのでは?という噂が浮上していて現在、連日メディアを賑わしているという。
人の噂も七十五日…
先程のトニーの様子では記憶を失くしている。
物凄く弱い物とはいえ睡眠薬を大量に服用して身体も本調子ではない。
メディアを賑わしているという彼の話題が下火になるくらいまでは、ここで休養させた方がいいかもしれない。
マスコミが、こんな離島の診療所に押し掛けて来るのも好ましくない。
とりあえず、バンドのメンバーに連絡をしたら彼の御両親に連絡してもらえるだろうか…
「ナタリア、あの彼が居たというバンドのメンバーのこと解るかい?」
ナタリアは二つ返事で答えた。
とりあえずはバンドのリーダーだったロバート・ダンバーに訊くのが早いだろうということだった。
ブルートパーズはトニーが抜けて事実上、解散したけどロバートは弦楽器の修理を仕事にしているから、連絡がつき易いのではとナタリアが言った。
ルドルフはパソコンから楽器修理の店で検索してロバートの修理店を見つけた。
とりあえず機会を作って電話してみよう。
しかし、まずは彼を静養させて様子を見よう。
もしかしたら、すぐに記憶を取り戻すかもしれない。
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