三、【零雨の香】その③
「好きだったからかな」
「好きなら好きでいいじゃない」
がっかりしたというような声で返す霖鵜に、文碧は少し鼻で笑う。
「そうだね……、でも私は物好きだから仕方ない」
「ふうん、環叡様って変わってるのね」
「そうかい?」
「変わってる。珀秀様より変だもの」
言って、霖鵜は手についた余分な軟膏を布で拭った。
「文淑は変なのかい?」
「あの方は……私知ってるもの。食べ物の好き嫌いがすごく多いの。旦那様が言ってたわ」
楽しげに尋ねる文碧の声を聞いて、霖鵜も明るい声色で、文碧の着物を薬を塗った後の背中にそっとかけつつ言った。文碧は文淑の話に愛想笑いをするばかりのなので、霖鵜は気になって、また文淑のことを口にした。
「そういえば、芳梅姉さんは珀秀様と仲がいいみたいだけど。私は、珀秀様に嫌われているみたい。みんなで仲良くしたいのに……」
残念がるような表情を作りながらも霖鵜は文碧をじっと見つめた。もし文碧が蝶たちの貞操を信じているならはじめ自分に言ったように、芳梅は文飛のものだ、というのではないか、と考えて一計してこの事を言ったのだ。逆に文碧が蝶の巣のことをすべて知っていれば、何も指摘してこない可能性や、芳梅と文淑の関係を知らないのか?と尋ねられる可能性もあるというわけだ。霖鵜は文碧が口を開くのをゆっくりと見ていた。緊張の一瞬につい文碧の衣をぎゅうとつかんでしまう。
「さあ、弟の好みはわからないからね。なにか失礼なことでもしたんじゃないのかい」
ただ文碧の答えに霖鵜は肩を落とした。後ろから見ているため表情もわからない上、声色も至って明るくいつも通りで確信を得ることはできず、霖鵜の一計は徒労のまま終わった。
「そうかな……、私時々、言ってはいけないことを言うみたいだから、それかもしれないわ」
霖鵜はさっぱりとした声でいいながら、薬を籠の中に仕舞った。結局この日これ以上話をすることはなく、雨の中傘をさしながら、霖鵜は蝶の巣に戻った。
部屋に帰ったあと、霖鵜は靴を脱ぎ、足に巻いてある布を変えてから寝台に寝そべった。文淑のことを尋ねたときの文碧の反応を思い起こしながらも「雨が好きなのかい?」という文碧の質問がずっと喉に詰まっているようで苦しかった。
雨なんて、好きなわけがなかった。
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