第15話 -創成者《リヴェルク》-

 吾輩とグリオンが次なる魔獣を迎え撃つ構えを取ったその瞬間——。空間を切り裂くような異様な気配と共に、目の前に現れた存在から放たれる膨大な魔力が空気をねじ曲げた。重く澱んだ圧迫感が、肌に触れるだけで焼き付くように迫りくる。呼吸するたびに胸が締め付けられ、視界がぼやけそうになるほどの威圧感だった。


 視線を上げると、漆黒の巨体を持つ黒龍が霧の向こうに堂々と佇んでいた。全身を覆う鱗は光を吸い込むかのように暗く輝き、その赤い瞳が、獲物を捕らえる捕食者のように吾輩たちを射抜いている。


 次の瞬間、黒龍が口を開く。深淵から響くような低音が辺りを震わせ、地面すら震えるような感覚が足元に伝わった。


「何やら魔獣たちの様子が騒がしいと思ったら……魔族たちよ、一体我の領域に何をしに来た?」


 その声は、ただ耳にするだけで魂を揺さぶられるような威厳と重厚感を帯びていた。吾輩は心臓が跳ねるのを感じつつ、目の前の圧倒的な存在に挑むべく視線を逸らさない。


「喋れるドラゴンか……」


 吾輩は思わず呟いたが、その言葉は恐れからではなかった。口元に浮かんだ笑みが、その心中を物語っている。


「面白いな!」


 だが、その言葉に黒龍は眉一つ動かさず、静かに問いかけを繰り返す。


「面白い? ……お主ら、一体我の領域に何をしに来た?」


 その鋭い視線は吾輩の心を貫くようで、体が硬直しそうになる。それでも吾輩は、父上から与えられた試練を思い出し、自らを奮い立たせた。そして、力強く言葉を紡ぐ。


「吾輩の父上、魔王の試練でこの地に眠る禁書と禁断の魔法の調査をしに来た!」


 吾輩の声は迷いなく響き渡ったが、その直後、黒龍の瞳がさらに鋭く光を増した。その視線だけで、まるで体が釘付けにされるような感覚に襲われる。


「ほう、魔王とな? 貴様はあのクソガキの娘というところか?」


 その言葉に吾輩は目を見開き、動揺を隠せなかった。


「く、クソガキ? 父上が?」


 予想外の言葉に吾輩は困惑しつつも、冷静を装おうと努める。しかし、隣のグリオンはそれ以上に黒龍の存在に圧倒されていた。


「ヴァミリア様……まさか、あの黒龍と会話をなさっているのですか?」


 困惑した表情のグリオンが吾輩に問いかける。その言葉に吾輩は驚き、黒龍へ視線を戻す。


「あの黒龍の声が聞こえないのか?」


「はい、まったく……」


 短い会話の間にも、黒龍の瞳は吾輩たちを見据え続ける。そして再び、その深い声が響いた。


「我と喋れるのは、我に匹敵する魔力を持つ者か、我と並びうる可能性を持つ者だけだ。お主の父も我と喋っておった。しかし、あのクソガキに子が生まれるとは……感慨深いものだな」


 その言葉には、嘲笑にも似た感情が滲んでいた。しかし、吾輩の胸には複雑な感情が渦巻く。父上と、この黒龍が何らかの因縁を持っているのか——?


「貴様の名前を教えてくれないか?」


 吾輩が問いかけると、黒龍は短い沈黙の後、漆黒の嵐を纏い始めた。嵐は空間を切り裂くような音を立て、霧を吹き飛ばしていく。その中から現れたのは、ひとりの女性だった。


 その姿は目を見張るほどに美しい。艶やかな黒髪が流れるように背を覆い、赤紫に輝く瞳は鋭い輝きを秘めている。漆黒のドレスは魔力の波動を放ちながら体を包み込み、首元の赤い宝石が妖艶な輝きを添えていた。


「これが我の人型だ。どうだ、気に入ったか?」


 彼女の声には余裕と冷静さが滲んでいる。その姿と言葉に圧倒されつつも、吾輩は意識的に表情を保ち、問いを続ける。


「貴様の名は……?」


 彼女は薄く微笑み、静かに答えた。


「我が名はリヴェルク……この未踏の地の主にして、古き契約を守り続ける者だ」


 その名を聞いた瞬間、空気がさらに張り詰めた。まるでその名が呪文のように空間を支配し、すべてを静止させるかのようだった。

 

 リヴェルクがその名を告げた瞬間、場を包む空気が一層重くなり、吾輩は無意識に喉を鳴らしていた。その名が持つ圧倒的な威厳に、心臓の鼓動が早まる。


「お主たちの名をまだ聞いていないな。名は何と言う?」


 彼女の問いは静かであるにもかかわらず、鋭利な刃のような緊張感を伴っていた。吾輩は背筋を伸ばし、堂々と名乗りを上げる。


「吾輩はヴァミリア! 最強の勇者の母と最凶の魔王の父を持つ、最強と最凶の血を引いた娘だ!」


 言葉を放つたびに、自らの存在を相手に叩きつけるような気持ちで声を張り上げる。これぞ、吾輩が誇る自己紹介だ!


 リヴェルクはその名乗りに目を細め、一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに口元に笑みを浮かべた。


「面白い……なかなか気に入ったぞ、ヴァミリア」


 その柔らかな微笑みには、先ほどまでの冷たさが少しだけ薄れたように感じられた。しかし、隣で構えるグリオンは明らかに警戒を強めている。その鋭い視線がリヴェルクを捕らえ、眉間には深い皺が刻まれていた。


「グリオン、どうした? 何をそんなに警戒している?」


 吾輩が問いかけると、グリオンは視線をリヴェルクから外すことなく、小さな声で答えた。


「ヴァミリア様……このリヴェルクと名乗る者が本物ならば、極めて危険です。この未踏の地を支配するだけではない……伝説そのものです!」


 彼の言葉には、普段の豪胆さとはまるで異なる緊張が滲んでいた。吾輩はその言葉に驚きながらも、改めて目の前のリヴェルクに注目する。


「伝説だと……?」


 その時、リヴェルクが冷静な声でグリオンに向き直った。


「そこのイフリートよ。我の名を聞いたのならば、名を名乗るが礼儀だろう?」


 その一言が放たれると、辺りの空気がさらに冷たく凍りついたようだった。グリオンはその圧倒的な威圧感にたじろぎながらも、冷や汗を滲ませながら頭を垂れる。


「し、失礼致しました! 俺はグリオンと言います!」


 グリオンの声は緊張でかすかに震え、その額に滲む冷や汗がこの場の重圧を物語っていた。リヴェルクは一瞬、彼を観察するように鋭い視線を向けたが、やがて満足したように小さく頷いた。その仕草はどこか気品があり、まるで全てを支配しているかのような威厳に満ちていた。


 視線を再び吾輩に向けると、その瞳には好奇の光が宿り、まるで吾輩を測るかのように鋭く輝いていた。その目に射られ、吾輩は思わず拳を握りしめる。


「さっき、この未踏の地の主と言っておったな……つまり、ここに眠る禁書や禁断の魔法を守っているのか?」


 核心を突く問いを投げかけると、リヴェルクは一瞬だけ目を細めた後、ゆっくりと頷いた。その動きには威厳と重みがあり、否応なく説得力を持たせるものだった。


「その通りだ」


 その声は厳かで深い響きを持ち、周囲の空気がさらに張り詰めたように感じられる。


「お主たちが求める禁断の魔法と禁書は、ただ力を持つ者のためにあるものではない。この地で試練を超え、資格を示した者にのみ許される」


 その言葉には裁定を下す者のような確固たる意思が感じられ、その瞳の鋭さはさらに増していた。吾輩とグリオンをじっと見据えるその眼差しは、まるで魂の奥深くまで見通されているかのようだった。吾輩は無意識のうちに背筋を伸ばし、息を飲む。


「まぁ、ここで話をするのも疲れるだろう。こっちへ来い」


 リヴェルクはそう告げると、何もない空間に手を伸ばした。彼女の手先が動くたびに空間がゆっくりと歪み、その歪みの向こう側には信じがたい光景が広がった。


 一面の緑がどこまでも続く広大な平野。風にそよぐ草原と、穏やかに流れる雲。自然の息吹を感じさせる美しい景色に、吾輩とグリオンは思わず視線を奪われた。


「なんだここは……」


 吾輩が漏らすと、リヴェルクは小さく微笑む。


「ここは我が住まう場所だ。気に入ったか?」


 彼女の案内に従い、吾輩たちは草原を進む。やがて目の前に現れたのは、素朴ながらも趣のある木造の家だった。その佇まいは周囲の自然と見事に調和し、不思議な安らぎを感じさせる。


「さぁ入れ、狭いと思うが」


 リヴェルクが促すと、吾輩とグリオンは家の中に足を踏み入れた。中は驚くほど整然としており、家具一つひとつに手入れの行き届いた温かみを感じる。


「なぁ」


 吾輩が話しかけようとすると、リヴェルクが鋭い視線を向けてきた。その瞳には明らかな苛立ちが宿っている。


「我のことはリヴェルクとでも呼べ。なぁなどと曖昧な言い方は嫌いだ」


 彼女の言葉に、吾輩は慌てて頷いた。


「リ、リヴェルク、貴様は普段どっちの姿で暮らしてるんだ? あの巨体なドラゴンだとこの家には到底収まりきれないと思うが……」


 問いかけると、リヴェルクは軽くため息をつきながら答えた。


「なんだそんなことか。普段の我はこの人型で暮らしている。この人型の方が機敏に動けるし、なによりこっちの方が可愛いからな!」


 その言葉に、吾輩は思わず納得してしまう。

 

 ※

 

「茶を持ってくる。ここで待っておれ」


 リヴェルクは家の広いベランダに吾輩たちを案内すると、どこか嬉しそうな表情を浮かべて部屋の奥へと消えた。


「ヴァミリア様、俺達生きて帰れるんでしょうか?」


 グリオンが不安げに呟く。その声に、吾輩は軽くため息をつきながら言い放つ。


「そんなもの知るか!」


 だが、続けて彼を見据えながら問いを投げる。


「それより、グリオン。貴様、リヴェルクのことを知っているような様子だったな」


 その言葉に、グリオンの表情が険しさを増した。


「リヴェルクは……この世界を創造したと言われる龍の一体です」


「ナニッ!? じゃ、じゃあ! 吾輩の父上より凄いということか?!」


 吾輩の驚愕に対し、グリオンはゆっくりと頷く。


 その瞬間、ベランダの扉が開き、リヴェルクが茶葉の詰まった籠を抱えて現れた。


「色んな茶葉を持ってきた。つまらぬものしかないが、ここで少し話をしようではないか」


 彼女の微笑みは柔らかく、それでいて底知れぬ力を感じさせる。そうして始まった茶会は、吾輩たちにとって新たな試練の序章であることを予感させるものであった。

 

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