第10話 -ヴァミリアの勝負-

「サーレ、それで……シヴィルスから『無神の薬』は回収したのか?」


 荒れ果てた瓦礫の山に腰掛け、無造作に煙草をふかしているのは、裏組織『ガルド』のリーダー、ガレアスだった。その眼差しは冷徹そのもので、部下である私をただの道具とでも思っているような無機質さを感じさせる。


「はい、これ。禁書と『無神の薬』だ。で、一体これで何をするつもりなんだ?」


 私は無造作に箱をガレアスの足元に投げた。その中には禁書と『無神の薬』が収まっている。ガレアスは不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと箱を開ける。その仕草には満足げな余裕が漂っていた。


「お前には話していなかったな。この禁書『忘却の魔導書』は、人間の記憶を代償に莫大な魔力を与えるものだ。そして、『無神の薬』はあらゆる代償を無効化する、いわば奇跡の薬……」


 その説明を聞き、私は思わず眉をひそめた。違和感が頭をよぎり、無意識に問い返していた。


「代償を無効化……? だが、その薬は能力の無効化をするものだと聞いていたが?」


 問いに対するガレアスの反応は、実に下卑た笑みだった。まるで私が何も知らない愚か者だと言わんばかりの態度で、彼は自らの目的を語り出す。


「ははっ、嘘だよ。そんなものはメンバーを納得させるための方便だ。本来の能力は代償を無効化すること。つまり、これを飲んで禁書を全て読み切れば、俺は無限の魔力を手に入れ、この地下都市も、人間界も支配できる!」


 その狂気じみた野望に、私は思わず息を呑む。欲に取り憑かれた彼の目には、理性など欠片も残っていないようだった。


「……そのために禁書を盗み、薬を手に入れたのか?」


「その通りだ。シヴィルスの連中に奪われたときはヒヤリとしたが、あいつらが管理者に怯えてどこかに捨てたおかげでこうしてまた手元に戻った! 運命ってやつだな!」


 ガレアスは箱の中から薬を取り出し、それを飲み干そうとした瞬間だった。外から仲間たちの悲鳴が響き渡る。そして、それに続いて建物全体が激しく揺れ、爆発音とともに崩れ始めた。


「な、何だ!? 外で何が起きている!?」


「私が見てくる!」


 混乱するガレアスを残し、私は慌てて外の様子を確かめに向かう。その胸中には不安が膨れ上がる。


 まさか……あいつらか?


 胸騒ぎを抑えきれぬまま、私は騒ぎの中心へ駆けつけた。やがてたどり着いた場所で目にしたのは——地獄そのものだった。


 瓦礫の山、崩壊した建物、そして炎。気絶した仲間たちは無力に転がり、その周囲には倒れた者たちが残した血痕が染み込んでいる。焦げた匂いと、遠くで鳴り響く雷鳴のような音が耳に残る。


 その中心に立つのは、二人の女。


 一人はフィルビス。冷酷な青い瞳を燃え盛る炎が照らし出し、その剣は赤黒く染まっていた。彼女の姿には、もはや人間らしい情など微塵も感じられない。


 もう一人はレオナ。彼女は雷を纏うような気配を漂わせながら、破壊の残響を背に立ち尽くしている。その唇には笑みが浮かんでいたが、その笑顔には一片の温かみもなかった。むしろそれは、戦場を楽しむ者の狂気そのものだ。


「これが……化け物……」


 膝が震え、私は崩れるようにその場に座り込んだ。


 これじゃまるで……魔族の進撃そのものじゃないか。


 目の前の光景に息を飲み、私は愚かにもこの二人を敵に回した自分を悔いた。だが、遅すぎた。


 フィルビスがゆっくりと私の方に近づいてくる。その瞳は冷酷そのもので、感情のかけらすら読み取れない。やがて私の目の前に立ち止まると、冷えた声で言い放った。


「貴方はヴァミリア様の勝負魂に火をつけた。それが、この末路だ」


 次の瞬間、彼女の手刀が振り下ろされる。それは正確無比で、余計な痛みすら伴わない冷酷な一撃だった。


 意識が薄れていく中、崩壊する瓦礫と二人の背中が視界に残り、やがてすべてが闇に沈んでいった。

 

 数分前。

 

 レオナが周囲を一巡し戻ってくると、彼女はグッと親指を立てた。その合図に、吾輩とフィルビスは静かに頷く。


「禁書の残滓は既に把握してる。これを辿れば、回収できるはず」


 レオナが冷静にそう告げる。吾輩とフィルビス、そしてレオナは本格的な戦闘を想定し、念入りに準備を始めた。武器を手入れし、魔術の発動を確認し合う。やがて準備が整うと、レオナが転移魔法の詠唱を始める。


「あらかた場所は掴んだ。禁書のある近くまで転移する」


 レオナの宣言と共に、周囲の空間が歪む。刹那、吾輩たちは禁書のある場所へと転移した。


 そこから始まったのは、圧倒的な蹂躙だった。


「誰だァ! テメェらは!」


 怒声と共に剣を振りかざして向かってきた男が一人。だが、その程度でフィルビスを止められるわけがない。険悪な表情を浮かべた彼女は、どこからか剣を取り出し、鮮やかに斬り伏せる。


「失せろ、三下。これからここにいる者たち全員を、絶望の淵へ叩き落としてやる」


 冷徹な宣告を告げたフィルビスは、再び剣を構えた。その隣で、レオナは建物を次々と破壊し始める。魔術の奔流が解き放たれ、積み上げられた努力の結晶が無情にも瓦礫と化していく。


 周囲には業火が吹き荒れ、絶叫と崩壊の音が混ざり合う。その中、吾輩は冷静に禁書のある場所を目指して進む。


 やがて到達したのは、一際目立つ頑丈な部屋。中には、この組織のリーダーらしき大男が震えながら立っていた。彼の目には明らかな恐怖が浮かんでいる。


「お、お前ら……一体何者だ!?」


 声を震わせる彼に対し、フィルビスは無言で剣を抜き放ち、一直線に突進する。


「お前らに名乗る名はない。せいぜいあの世で悔い改めろ」


 その一撃は致命的だったが、大男は辛うじて腕を犠牲にして死を免れた。だが、その代償はあまりにも大きい。


「クッ……グアアアアアア!」


 腕を切り落とされた彼は、痛みに悲鳴を上げながらも懐から何かを取り出し、それを口に含む。


「この期に及んで回復薬を飲むとはな」


 フィルビスは冷笑を浮かべる。しかし、その瞬間、大男は一瞬の隙を突き、禁書を手に取った。


「へへっ……これさえ! これさえ読めば! 俺は、この組織『ガルド』は、人間界を支配できるんだッ……!」


 彼の狂気じみた笑い声が響く中、禁書のページが開かれる。だが、その次の瞬間――。


「無駄だ」


 冷酷な一閃が走る。フィルビスの剣が、大男の首を正確に切り落としていた。彼の声は途絶え、禁書は地面に落ちる。


「阿呆め。お前たちの考えを、私たちが見抜けないとでも思ったのか?」


 レオナが禁書を拾い上げると、その手は一切の迷いもなく、慎重にそれを封じる。


 すべてが終わったように思えた。しかし――。


 突如として、空間にひび割れが走る。そして、その場に現れたのは……「管理者」だった。

 

「よくぞ、禁書を手に入れた。さぁ、それをよこせ」


 管理者が冷徹な声で告げながら、一歩、また一歩とフィルビスに向かって歩み寄る。その目はまるで獲物を追い詰める捕食者のようで、鋭く光っていた。それを見たフィルビスは、一瞬も目を逸らさず冷ややかな視線を返す。


「貴様のその態度……気に入らないわね」


 フィルビスは手に握った剣を肩の高さまで持ち上げ、まるで挑発するように構えをとる。その剣先がわずかに揺れ、周囲の空気が緊張でピリついた。


「ほう……やはりそう来るか」


 管理者の口元に不気味な笑みが浮かぶ。そして、彼の背後に立つ空間がゆがむようにねじれ始めた。次の瞬間、裂け目から現れたのは、金色の装甲に身を包んだ壮健な男——勇者候補と呼ばれた者だった。彼は剣を抜くと、何の前触れもなく一気にフィルビスに切りかかる。


「ッ……!」


 フィルビスは咄嗟に身を翻し、その剣撃をギリギリで受け流した。鋭い金属音が響き、火花が散る。戦いは一瞬で熾烈なものへと発展した。彼女の剣筋は速く、しなやかで、正確無比だった。しかし、相手もまた鋭い技量を見せ、攻撃を次々と繰り出していく。


 剣が交錯する度、空気が震える。二人の間に広がる殺気は、遠く離れた吾輩やレオナにまで伝わってきた。


「フィルビスが……押されているだと……?」


 吾輩の眉間に深い皺が寄る。戦場では無双を誇る彼女が、徐々に押されていく。小さな傷が彼女の体を刻み始め、服を赤く染めていく光景に、吾輩の胸に不吉な予感が広がる。


 その時、目を光らせる管理者たちの姿が視界に入った。フィルビスと勇者候補の激戦に紛れ、彼は何やら長い呪文を詠唱し始めていた。空気中の魔力が収束し、嫌な響きを伴って増幅していく。


「レオナ! 防御魔法を準備しろ!」


 吾輩は即座に叫ぶ。レオナは頷き、急いで呪文を詠唱する。しかし、間に合わなかった。管理者が放った雷鳴の魔法が完成し、轟音とともにフィルビスへと降り注ぐ。


「フィルビス! 伏せろ!」


 吾輩は躊躇なくフィルビスの前に出て、己の魔力を解放した。全身を漲るエネルギーが包み込む。迫り来る雷撃を片手で受け止めると、吾輩は全身に魔力を集中し、力を振り絞ってその一撃を押し返した。


「うるあぁぁぁぁぁ!」


 雷光が吾輩を包み込む。まるで天と地がぶつかるかのような轟音が響き渡り、周囲の瓦礫を吹き飛ばす。しかし、吾輩はその場に立ち続け、ついに雷撃を消滅させた。


 息を整えながら、吾輩は睨みを効かせる。その目は激しい怒りで燃え上がり、威圧感が場を支配した。


「貴様ら……これ以上吾輩の仲間に手を出すなら、覚悟はあるのだろうな?」


 吾輩の低い声に、周囲の空気が凍りつく。勇者候補は明らかに動揺し、管理者たちの顔にも汗が浮かんでいるのが見えた。


「勝負は吾輩達の勝ちだ。禁書も、戦いも吾輩達が制した。それを覆すつもりならば——」


 吾輩が攻撃態勢を取った瞬間、管理者の一人が動揺した声で割り込んだ。


「よ、良かろう。今回ばかりは……我らの負けを認めよう。禁書もお主達に託す」


 管理者たちは互いに目配せをし、撤退の態勢を整えた。勇者候補の肩を掴むと、再び空間を歪ませ、霞のように姿を消した。


 残った静寂の中、吾輩は拳を握りしめながら吐き捨てるように呟いた。


「これで終わりにすると思うなよ……次は必ず叩き潰してやる」


 フィルビスとレオナもそれぞれの傷を確認しながら、次の戦いに備える決意を胸に刻むのだった。

 

 ※

 

 禁書の騒動がようやく終わり、吾輩たちは全身が鉛のように重く感じるほどの疲労感に襲われていた。裏組織のメンバー全員を騎士団に引き渡し、地下都市を出る準備を整える。だが、出口へ向かう途中、吾輩はふと足を止めた。


 禁書を手にしたままでは、また誰かがこれを狙うかもしれない。それは許されない。吾輩の中で、ある決意が固まる。


「レオナ、この禁書は貴様の魔法で焼却しておいてくれ」


 吾輩は手にしていた禁書をレオナに差し出す。その表情には少しの迷いもない。禁書の表紙にはまだ禍々しいオーラが漂い、触れているだけで冷たい気配が全身にまとわりつくようだ。


「うん、わかった」


 レオナは軽く頷き、禁書を慎重に受け取った。その瞳には、ただ無表情ながらも使命感のようなものが宿っている。そして、彼女はその場で小声で呪文を唱え始める。禁書の周囲を小さな炎が取り囲み、徐々にその姿を飲み込んでいく。黒い煙が立ち上る中、禁書はやがて完全に消え去った。


 だが、吾輩はほっとする間もなく、別の問題に思い至る。


「や、ヤバい……」


 吾輩の額から冷や汗が滲み出す。昨日、父上に無断で人間界へ行ったことを思い出したのだ。それだけではない。魔王城の門限も、すっかり過ぎている。父上の怒る顔、母上の呆れた顔……そんな未来が頭をよぎる。


 どうする……どうする吾輩!?


 内心で慌てふためきながらも、外には平静を装う。だが、フィルビスはそんな吾輩の様子を見て、くすりと微笑んだ。


「ヴァミリア様、大丈夫ですよ。私が何とかうまく取り繕いますから」


「そ、そうか……頼むぞ、フィルビス」


 フィルビスの言葉に少しだけ安心しつつも、根本的な解決策にはならないと自覚している自分がいた。


 地下都市の出口を抜け、吾輩たちが地上へ戻った頃には、空は茜色に染まっていた。夕焼けの光が街並みをオレンジ色に照らし、戦いの喧騒が嘘のように静寂が広がる。


 そして、ついに魔王城へ帰宅。吾輩、フィルビス、レオナは何事もなかったかのように振る舞い、禁書の一件は三人の秘密として胸にしまった。だが——。


「ヴァミリア!!!」


 豪壮な玉座の間で、父上の雷のような声が轟いた。その背後で、母上が腕を組んで見守っている。その目は怒りというよりも、呆れと失望が入り混じったような表情だ。


「な、なんだ父上! 吾輩は決して悪くは——」


「黙れ!!」


 父上の声で吾輩の言い訳は一蹴される。


「人間界に無断で行き、門限を破り、魔王としての信用を傷つける行為! 説明してみろ!」


 吾輩は冷や汗をダラダラとかきながら、言葉を選んだ。しかし、口を開くたびに父上の視線が鋭く刺さり、言葉が喉に詰まる。


 結局、その日の夜、吾輩は父上と母上からみっちりと叱られ、しばらく魔王城の外出禁止を言い渡される羽目になった。


「くっ……吾輩の偉大なる冒険がこんな形で幕を閉じるとは……」


 吾輩は自室のベッドに倒れ込み、枕に顔を埋めながら小さく呟いた。

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