澱みの中で
コウノトリ🐣
第1話 創作スランプ
小さなデスクの上にノートパソコンが置かれている。画面には投稿サイトのページが開いていたが、
投稿を始めて半年。期待していた反応が得られない日々に、彼女は自分の作品を読み返していた。
たとえ評価されなくても、もう少しは見てもらえるって思っていた。そして、再びため息をつく。
「暗い話ばっかり……これじゃ、誰も読んでくれないよね」
投稿した約20作品。 その中で唯一例外的な物語が2つだけ、彼女の目に留まった。
どちらも、彼女が理想とする微笑ましい世界を描いたものだったが、評価は暗い作品よりもさらに低かった。それが彼女を一層苦しめる。
「私の理想って、伝わらないのかな……」
彼女は、自分が何を書きたいのか、どこに向かっているのか、わからなくなっていた。本当は中学生の頃、高校受験の息抜きに読んでいた幸せでクスッと笑える物語を書きたいと思っていたはずだった。
それなのに、投稿された作品のほとんどが、人間の苦悩や社会の厳しさを押し出したような話ばかり。書き上げるたびに、なぜこんなことになるのか自分でもわからなかった。
「……こんなのじゃ、息抜きどころか、読むのもしんどいよね」
画面をスクロールしながら、自分でも「どうして投稿したんだろう」と思うような作品が並ぶ投稿一覧を眺める。手をかけた努力を無駄にしたくないという執念だけが、投稿ボタンを押させたのだ。
「でも、そんな作品にさえ負ける、私の理想の作品……」
自嘲気味に笑った彼女の指先は、キーボードから離れて宙を漂う。画面にはカーソルが|小学生の微笑ましい生活の一部を切り取った
「何を書けばいいのか、もうわからない」
幸せな物語を思い描いてキーボードを叩いていたかつての感覚は、どこか遠くに消えてしまった。今では、書き始めることさえ苦痛になりつつある。
カーテンが半分閉じた部屋には、薄い日差しが差し込むだけ。窓辺の隅にたまった埃は、彼女がしばらく外に出ていないことを物語っている。
紡はスマートフォンを手に取り、一週間前にインストールした「雑談Discoverd」のアプリを開く。
画面には、軽やかで明るい文字が踊る。誰もが軽やかに言葉を交わし、画面越しでも笑顔が伝わってくるようだった。それなのに、自分の指先は動かない。彼女の心を覆う透明な壁が、また一つ厚みを増したように感じた。
「みんな、こんなに自由に話せるの、すごいな……何を話せばいいのか、全然わかんない」
画面をじっと見つめるが、結局何も書き込むことはできない。画面がスリープ状態になると、彼女は毛布に体を沈めてスマートフォンを置いた。
「別に話せないわけじゃないの。話したいことが見つからないだけで……一応、私だって話せるもん」
誰もいない部屋の中で呟く声は、空虚に響き、虚しさを感じさせただけだった。それでも、そう言葉にすることで、ほんの少し気が楽になる気がした。
時計は16時30分を指している。17時から始まるスーパーのバイトに向け、彼女は床に無造作に置かれたゴミを足で退けながら
外出用の服を着るのはいつ以来だろうか? もういつだったか思い出せないことに気づいて、彼女は薄く口に笑みを浮かべた。
「今日は、少しでいいから誰かと話してみよう……」
決意を胸に前を向き、頬を冷たい風が撫でる中、彼女は自転車を漕ぎ始めた。胸の中で膨らむのは、不安と、ほんのわずかな期待だった。
風が軽く彼女の背を押すように、冷たくも心地よく通り過ぎていく。緊張で硬くなっていた心と体が少しだけほぐれた気がした――。
バイト先の自動ドアが開き、店内の温かい空気が身を包む。制服に着替えてタイムカードを押すと、仕事仲間に挨拶に回る。
「おはようございます」
この挨拶が、彼女は苦手だった。人が仕事をしている最中に自分が話しかけて妨害する。そう思うと声は掠れ、小さくなる。
でも、ここから私は変わらないといけない。そう思ったのに、長年の習慣なのか、私の都合で邪魔していいのかと考えてしまい、結局何も変わらなかった。
「大丈夫、今日は閉店までだから、その時に頑張ればいいんだ」
彼女はレジに向かって足を踏み出し、思わず自分を励ますように呟いた。その声は誰にも届かず、店内のざわめきにかき消されてしまう。冷たい風に押されながらも、彼女は小さな一歩を踏み出した。
仕事は慣れたものだ。自分の手が自然に動き、無意識にレジを打ちながらも、心はどこか遠くに漂っていた。笑顔を作り、決まったセリフを繰り返す。相手の顔を見ながら、どこか心が軽くなることを期待している自分がいることに気づく。
「ありがとうございました」と言うと、客はそのまま帰っていく。次のお客さんがやってきて、また同じセリフを繰り返す。ただその繰り返しの中に、彼女はほんの少しだけ安堵を感じる。
――今日も私はちゃんと声を出せている。
店内のカウンターの端に立つ男性が、私に目を留めてくれたのを感じた。彼は常連客で、毎日のように訪れる。そしてそんな彼が口を開く。
「いつもありがとうな」
その言葉に心が温かくなるのを感じながら、彼女は笑顔を作った。けれど、それも彼女にとっては自然な反応のはずだった。
「こちらこそ、ありがとうございます」
その時、この言葉だけは彼女にとって本心で、機械的ではなかった。この心の温もりに対する感謝が伝わってくれるといい。そう思いながら――。
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