第9話 再会
はるかに電話をかけても意味がない。俺にはもう家族がいる。千春、それに子どもがいる。
はるかと俺はもう別々の生活を送っているんだ。俺は電話番号をメモした紙を職場のゴミ箱へ捨てた。
それから1週間が過ぎた頃、たまたま京都へ出張の仕事が入った。
懐かしいなぁ。
京都の街並みは少しずつ変わっているはずだが、はるかと過ごしたあの頃のままのように見えた。
河原町で仕事を終わらせ、あたりはもう薄暗くなっていた。
早く家に帰ろう、そう思ったのに俺は自然と四条烏丸にある「キョートミラージュ」に足が向いていた。ここは俺とはるかの出会った場所。
今日で一生ここに来ることはない。自分の中でしっかりと区切りをつけるつもりだ。
ミラージュの前に立つと、同じく懐かしむように入り口付近を見つめている人がいる。外はすっかり暗くなり、さらにキャップ帽を被っているから顔はよく見えない。
そこに道路を走る車がテールランプをパァっと明るく光らせた。夜道には白い肌に整った顔が浮かんでいた。はるかだ。
車が通ったことでお互いの目が合う。その一瞬だけ、あの頃に時間が戻った気がした。
すっかり大人になったはるかは驚いた顔を手で隠し、涙ぐみながら俺に深くお辞儀をした。
「あんな手紙を送ってしまって……ごめんなさい」
「レストランの店長に聞いたよ。咲ちゃんのこと。俺こそ、連絡できずにごめん」
はるかは頭を上げながら首を振った。
「少し話さないか?」
はるかと俺はミラージュの通りから少し離れた小さな公園のブランコに腰をかけた。
「咲、最後まで頑張ったんだよ。毎日毎日、僕より前向きだった」
「はるかも頑張ったよ」
大粒の涙を流したはるかだが、どこか落ち着いていて妹を亡くしたことを自分一人で乗り越えようと辛抱しているのがわかった。
昔のように頭を撫でてやりたい。温かく抱きしめてやりたい。
しかし、そんなことをしてしまえば今の幸せまで壊れてしまう。俺は自分の気持ちを押さえつけ、はるかに聞いた。
「なぁ。どうして俺の元から消えたんだ?」
「それは僕が弱かったから。僕のせいで傷つけてごめん」
「そうか……」
少しの沈黙の後、はるかは作ったような明るい声で話しかけた。
「あ、結婚おめでとう。子どももできたんだね。勇気がパパになるのか。ちゃんとお世話できる?」
白い頬を赤く染めてクスクス笑った。
「何で笑うんだよ。フフッ……ちゃんとできるよ。だってパパになるんだからな。パパになる……」
俺は遠くを見つめる。はるかは近くの遊具を見ているようだった。
俺たちはもう別々の道を歩む。お互いに納得して別々の道へ。はるかが俺の前に手を伸ばしてきた。
「勇気。頑張って。僕も頑張るよ」
俺ははるかの白い手をがっしりと掴み、「あぁお互いに頑張ろう」と言った。
恋人ではなく、親友だった頃の俺たちに戻ったようだった。
「あ!はるか。もう1つ気になることがあるんだ。毎月ポストカードを送ってくる意味って」
(ジリリリリリリリ〜)
会話の途中で俺のスマホがなった。千春からの着信だ。
「はい。どうした?」
「勇気……破水したの……」
「え!破水?! すぐに病院へ。俺もすぐに帰るから」
「わかった」
電話を切ると、はるかがタクシーを捕まえていた。「すぐに行ってあげて」と俺の背中を押す。慌ててタクシーに乗り込み、バックミラーを見るとはるかが大きく手を振っている。
「頑張れー」と応援してくれているようで、心強くなった。もうはるかに会うことはないだろう。
「ありがとう」
俺は心の中ではるかに別れを告げた。
電車を乗り継ぎ、千春が待つ産院に到着した。破水したことで緊急入院になったようだ。
「千春、大丈夫か?」
「うん。破水はしたけど、お腹の赤ちゃんは元気だし。陣痛が来るまではまだ時間がかかるみたい」
「そうか。良かった」
俺は千春の頭を撫でる。
「どうしたの?」
「ううん。パワーを送ってる。俺にはこんなことしかできないから」
◇◇◇
「おぎゃ〜おぎゃ〜」
今日は千春の退院の日だ。
俺らは娘に『未来』と名前をつけた。未来を自由に生きる人になってほしいから。
俺ら夫婦ならきっと幸せに育てられるだろう。
俺と千春と母さんで先生や看護師さんにお礼を言い、産院の出入り口から50メートルほど離れたタクシー乗り場でタクシーを待っていた。そこで、千春が大きな声を出す。
「あ! 私、忘れ物しちゃったみたい」
「私が取ってくるわよ」
母さんがそういうと、千春は「いえ! 1週間も入院してて、体が鈍っているので」と笑いながら、未来を俺に託した。
「本当に大丈夫か? 俺が行くよ」
「全然、大丈夫。ちょっと待ってて」
千春は10分も経たないうちに出入り口から出てきた。ちょうどタクシーも捕まったし、これで帰れる。そう思った矢先だ。
千春に向かって歩いていく男が見える。
シャカシャカと音がなりそうな黒いジャンパー。天然パーマの髪の毛が不潔さを際立たせていた。
「なんだ、あの人?」
不自然に感じていると男は千春に話しかける。千春の顔はすぐに青ざめ、叫ぼうと大きく息を吸った。
その声は俺には届かない。男は千春にもたれかかり、千春と一緒にそのまま膝から崩れ落ちた。
出産が済んだら絶対に着たいと新調した白いセーターに、赤い血が広がっていく。
心臓の鼓動が早くなる。
俺は未来を母さんに預けて、千春に駆け寄った。千春を刺したであろう男はイラついた声でブツブツと呟いている。
「やっと探し出したのに。僕の警告を無視するからだ。一緒に海外旅行に行こうって約束したのに。おしゃれな外国のポストカードまで送ったのに。何で子どもを産んじゃうんだ。お前が悪い、お前が悪い、お前が悪い、お前が悪い。全部お前のせいだ」
男の右手には20センチ程の出刃包丁が握られていた。左手には我が家に届いていたものと同じポストカード。
英語の詩の頭文字に、赤のボールペンで丸されているのがわかった。
『Unseen bonds pull us close,Multitudes of stars bear witness,Naught but love remains.』
――U,Mu,Na――
男は千春に『産むな』とメッセージを送っていた。ずっとはるかが送っていると思っていたポストカード。おそらく千春もそう勘違いしただろう。
男は千春の血がベッタリついたその包丁を握る手を小刻みに震わせていた。
包丁を奪わないとこのままでは未来も狙われるかもしれない。
俺はそう思って、男に飛びかかろうとした。その瞬間、男の興奮した表情が緩んだ。
「でも、これで一緒に行ける。会えて嬉しい……待たせたね。愛してるよ、千春」
男の手はもう震えてなどいなかった。
千春に笑みを向けながら、ためらいなく自分の首をかっ切った。生温かい男の血が目の前に吹き出す。
俺は一瞬気を失いかけたが、すぐに千春の顔が頭を過った。千春を、千春を助けなければ。
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