第6話 千春の愛

 私は全て知っている。勇気がはるかという男性と付き合っていたこと。


 突然別れを告げられて、酷くショックを受けたこと。


 私と勇気は同じ高校、同じ大学に通っていた。高校生の時は特に意識することもなく「そこにいるな」という存在だけは知っていた。


 だから、最初は同じ大学に入ったことさえも気づかなかった。知るきっかけとなったのが、ストーカー事件だ。


 私は大学進学で初めてアルバイトを始めた。カフェと書店が併設された、おしゃれな内装が魅力のお店。


 私の出勤日は水曜日・土曜日・日曜日。


 以前からメディア露出の多い店だったため、私が出勤する水曜日にも雑誌記者の人が取材に来ていた。


 店長から「女性が写っていたほうが華があるから」と言われて、私は何も考えず店内写真の端に写り込んだ。


 ある水曜日、その誌面を見たという男が仕事中の私に話しかけてきた。


「ねえ。君可愛いね。雑誌に映ってたでしょ?彼氏いるの?」


 シャカシャカと音のなる黒いアウターを羽織り、髪の毛は長めの天然パーマ。長年刻まれているであろう顔のシワがすごくすごく不快な男だった。


 それなのに、こういうことに慣れていない私は正直に答えてしまう。


「いませんけど」


 この時の「けど」がストーカー心に火をつけてしまったのかもしれない。頭のおかしいこの男には「いませんけど、付き合いますか?」と誘ったふうに聞こえたのだろうか。


「外で待ってるから話そうね」


 男は会計後も、ニタニタと笑いながら店前の道を行き来している。この日は他のスタッフが裏口から私を自宅まで送り届けてくれ、ことなきを得た。


 次の出勤日である土曜日にも、この男は店内で私を待ち構えていた。店長に聞くと、水曜日以降、毎日のように来店し、私を待っていたらしい。


「今日はホールの仕事をせずに、キッチンで料理を手伝ってくれるかな」


 店長にそう言われた私は、キッチンで黙々とキャベツを切っていた。気持ち悪い。男への不快感と恐怖が押し寄せ、アルバイトを辞めようかと考えていた。


 そこに私の友達2人がお客さんとしてやってきた。数日前、私は高校時代の友達へ雑誌に自分が載ったことを教えていたからだ。大学生になり、雑誌に載ったなんて私の自慢だった。


 そんなマウントが最悪の事態を引き起こすきっかけになるとは……


「千春って今日出勤日って言ってたよね?」


「うん。水曜日と土日に入ってるみたい。千春が行ってる京都国際大学も近くだよね? 学校とバ先が近いとか羨ましすぎ〜」


「しかも、おしゃれだもんね」


 2人はお喋りしながら、他のスタッフに私のことを聞いた。


「すみません。千春って今日バイトですよね? 私たち高校の時の友達で」


「あ、えぇ〜っと」


 私のことを尋ねられたスタッフがストーカー男の顔をチラリと横目で見た。その仕草が男に「さっきの話が私の情報である」と確信を与えてしまった。


 次の日、大学へ向かっているとストーカー男に声をかけられた。


「やっと見つけたよ。どうしてアルバイト先に来ないの? この前もずっと待ってたのに帰っちゃうなんて」


「すみません。ちょっと」


 私は身を交わして、先に進もうとする。それでも男はずっと話を続ける。


「こんな大学に通うってことは外国に憧れがあるのかな。僕なら君を海外旅行に連れて行ってあげることもできるよ」


 気持ち悪い。もう話しかけないで。


 何とか振り切ろうと小走りになる私に、男は言った。


「こんな丈の短いスカートを履いて、僕を誘っているのかな。走ったら花柄のパンツが見えちゃうよ。家で待ってるからね」


 私は小刻みに震える足を引き摺るようにして走った。大学に着くと、空いている講義室へ入り地面にへたり込む。


 「花柄のパンツ」「家で待ってるからね」の言葉が耳にこびりついて離れない。家の住所がバレた? 洗濯物を見られた?


 この後、どうしたらいいのかわからず、混乱して涙を流した。


 そんな時に講義室に入ってきたのが勇気だ。私を見るなり「どうしたの?」と躊躇なく聞いた。私は高校からの知り合いである勇気がどうしてここにいるのか戸惑った。


 それ以上に、知り合いが入ってきたことが嬉しかった。もし全く知らない人だったら、大きな声を出して逃げ出していたかもしれない。


 勇気は授業の講義室を間違えて、たまたま私がいた部屋に入ってきたようだ。この時、初めて勇気が同じ大学へ進学していたことを知った。そして、私はこれまでの経緯や先ほどあった出来事を話した。


「え。そんなことが……気持ち悪いね。警察に相談しても事件になるまで動いてくれないし」


 勇気は私のことを本気で心配していた。そして、本気で対策を練ってくれているのがわかった。


「とりあえず、今日から俺が家まで送って行くから。洗濯物は絶対に外に干さないで。カーテンも閉めて。あとは親に相談して……そうだ。誰か信頼できる人とシェアハウスするとかどう?」


「あ。お兄ちゃんが京都に住んでる」


「いいね。大学生の間は一緒に住ませてもらったら?」


 その後、私は勇気が考えた対策の通り、家族に連絡し、京都で就職していた兄と同じ家で暮らすことになった。大学は少し遠くなるが、そのほうがストーカー男に居場所を把握されにくく好都合だ。


 兄の住む家はワンルームだったため、広い部屋へ引っ越す時間が必要だった。その間、勇気は私を毎日家へ迎えきて、見送りもしてくれた。


 私の親に向かって「俺に任せてください」と頼もしい言葉を言ってくれた時には、胸がキュンと締め付けられた。


 大学内でも私と勇気が付き合っていると噂が流れたほどだ。勇気は誠実で純粋で、少女漫画に出てくるような私が理想とする男性だった。高校時代は全く気に留めていなかったくせに、好きになったらそう見えてしまう。


 私より20センチ程高い身長差も、二重がくっきりした瞳も、スッと伸びた綺麗な鼻筋も、頼もしいのに優しいところも、全てを愛おしく思った。


 しかし、私は勇気に別の恋人がいることを知っていた。勇気は私を待っている間、必ず誰かと電話していたからだ。


 勇気の見たこともない笑顔と、チョコレートのような甘い声、たまに小声で話す様子を見てすぐに恋人だと気づいた。


 勇気にとって私はストーカーに遭っている可哀想な被害者でそれ以上ではない。毎日助かっているはずの送迎が少し悲しく、時に苦しくも感じた。


 ストーカー事件から数ヶ月後、私は兄と住む家に帰宅している時、勇気を見かけた。待ち合わせしているようだった。


 その場に現れたのは、女性と疑ってしまうほど端正な顔立ちとふわふわした雰囲気を持つ男性だった。


 勇気はキュートという言葉が似合うその男性の頭を数回ポンポンと叩き、あの電話の時と同じ顔をした。


 この男性が勇気の恋人なんだ。


 そう思った瞬間、自分は選ばれなかったという屈辱が心の底から湧き上がってきた。


 その後、彼と別れた勇気はボロボロに荒れていた。そんな心の隙間に私は入り込んだのだ。

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